2025年01月12日「あきらめから希望へ」

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聖句のアイコン聖書の言葉

一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。
イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。
そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。
ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。
イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。
彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。
イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」
その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マルコによる福音書 5章1節~20節

原稿のアイコンメッセージ

<説教要約> 2025年1月12日 マルコ5:1-20 「あきらめから希望へ」
今朝からまた、マルコ福音書に戻ります。5章1節からです。
弟子たちは、ガリラヤ湖で嵐に遭遇し大変な経験をしましたが、風も波も従わせるイエス様の力に守られて目的地にたどり着きました。「湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方」でした。ゲラサという町のことはよくわからないのですが、しかしデカポリスと言われる異邦人の町のひとつだということは間違いないようです。
2-3節、「イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。」とあります。さらに4-5節「これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。5:5彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。と書かれています。
人に危害を加えるのでしょうか? あるいは自分を傷つけることもあったようです。彼は足枷や鎖で縛られても、そのたびに鎖を引きちぎり、足枷を砕いてしまうほど、強く暴れたのです。聖書はそれを「汚れた霊につかれていたため」と記しています。そして彼は、人々の住む町から離れた墓場に住み、夜昼なく奇声を上げ、自分の身体を傷つけていました。人間社会から見捨てられた存在として、野獣のようにただ命をつないでいたのです。
しかし、この人は、「イエスが舟から上がられるとすぐに、墓場からやって来た。」とあります。
この人はイエス様が来られたのを直感的に感じたのでしょうか。一方で、イエス様は、彼の存在を知っていて、わざわざやってきたと思われます。
彼はイエス様を見つけると、遠くから、走り寄ってきて大声で叫びました。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」
8節には、イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。とありますから。叫びは、この男の人の叫びではなく、彼の中にいる汚れた霊の叫びでした。
ですから、イエス様が、汚れた霊に名前を訪ねますと、「名はレギオン。大勢だから」という答えが返ってきたのです。レギオンとは、多数」あるいは「多量」を表す言葉です。汚れた霊は、自分たちは「悪霊の軍団だぞ!!」と名乗って、自分たちの力を主張しているのです。実際、汚れた霊は、自らレギオンと名乗るほど複雑多岐な形で、この人の心と体の隅から隅までを支配していたのです。
しかし、この悪霊軍団は、イエス様を恐れていました。聖なる霊に満ちているイエス様の正体を本能的に見分けることができたからです。イエス様のことを「いと高き神の子イエス」と言い、正確にイエス様の正体を言い当てています。
ですからこの悪霊軍団はその力の前に観念したのでしょう。イエス様に命乞いをして、近くで餌を食べていた豚の大群の中に乗り移らせてほしいと願い、イエス様はそれをお許しになりましたので、汚れた霊は豚の中へと入ります。
しかし、これがさらに大変な事態になりました。
13節「イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。」というわけです。想像するだけでも、なにか不気味な光景です。

この様子を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。
やってきた人々が見たものは、
まず、悪霊につかれて、墓で叫んでいた男が、全く正常になった姿でした。彼はきちんと服を着て、足枷や鎖に縛られることなく、自ら静かに座っていました。
悪霊につかれていた人が癒され、正気になった姿でした。
そしてもう一つ、彼らが見たものは、湖の中に落ちて死んでいる2千匹の豚です。
ユダヤ人は豚肉を食べませんが、ここは異邦人の地、異邦人は豚肉を食べます。私たちも食べますよね。豚はもちろん、食用に飼われていたものでしょうから、2千匹が死んだというのは、持ち主にとっては大損害です。
5:17そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。
とあります。
一方で、イエス様によって、悪霊の軍団が追い出され、癒されて、正気に戻ったこの男性は、社会復帰することができる状況になりました。 彼の地上での人生が取り戻されたのです。この人は、イエス様に従って行きたい、一緒に行きたいと願いました。
イエス様のお力に感動し、又自分も弟子たちの仲間になってイエス様にお仕えしたいと考えたのでしょう。しかし、イエス様はそれをお許しになりませんでした。
そして、彼にいいました。
19節b「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」イエス様がこの男性に与えた働きは、イエス様について行くことではなく、異邦人の地、デカポリスに残って、自分の故郷で、神の恵みを証するという働きでした。
まとめ
①一方的に与えられた癒し・・・今日の箇所で、一人の男に与えられた肉体と心の癒しは、彼が望んで与えられたものではありません。むしろ、悪霊に取りつかれた状況下で、そのままにしておいて欲しいと願っていました。しかし、イエス様は、一方的にこの男の置かれている状況を憐れみ、癒されたのです。
②一方的に与えられた救い・・・この人に与えられた恵みはそれだけではありませんでした。
イエス様はこの人に、19節で、「「主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」とおっしゃいました。「イエスがしてくださったこと」を、「主がしてくださった」と言い換えています。つまり、イエスが主であること、もっと言えばイエスが神であることを、悪霊だけでなくこの人も知ったのです。イエスを神、私の主と信じる信仰が与えられた、と言い換えてもいいでしょう。
Ⅰコリント12:3bに、「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」とあります。イエス様は彼に魂の救い、イエス様を主と信じる信仰を与えられたのです。イエス様によってただ一方的に、与えられた恵みでした。
また、さらに覚えたいことは、人それぞれに生きるべき場所が与えられ、それぞれに使命、働きがあるということです。ガリラヤ湖の漁師だったペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネはイエス様に従って、実際に行動を共にすることが求められました。しかし、ここでの彼には、その地に留まることを求めたのです。しかし彼にも大切な働きが与えられました。「神が、イエス様が、私を憐れみ、大きな恵みをお与えくださった」ということを、身内の人、故郷の人に証するという働きです。
20節「 その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。人々は皆驚いた」。とあります。彼は、イエス様のお言葉の通り、自分に与えられた使命を忠実に果たしたのです。
これは、今の私たちにも重要な教えです。今の状況が自分の望みとは違う、と感じることがあるでしょう。それでも、ここが今の私の居場所。ここに必ず神様の恵みと祝福がある。人との比較ではなく、今自分が置かれている場所をもう一度見回して感謝すべきことを考えてみてください。

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