2025年01月05日「kokorowo takakuageyo」

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こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。
あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヘブライ人への手紙 12章1節~3節

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<説教要約> 2025年1月5日 ヘブライ12:1-3「心を高くあげよ」
今朝は今年最初の礼拝説教としてヘブライ人への手紙12章1~3節を選びました。
12:1 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
1節の出だしは「こういうわけで」です。ですから前の文章を受けて語られていることがわかります。ですので、少し前の文章から見ていきます。
ヘブライ10:37-38 「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。 わたしの正しい者は信仰によって生きる。もしひるむようなことがあれば、/その者はわたしの心に適わない。」
ここは、「 」がついていますから、他の箇所からの引用。中心は旧約聖書ハバクク書からの引用です。
そして、ヘブライ書の著者の言葉が39節
10:39 しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。
言葉の背後には迫害に苦しむキリスト者の姿があります。信仰を貫くために苦しみを耐え忍ばなければならない、そういう状況があったと思われます。それでも、著者は、どのような苦難にあったとしても、自分たちはひるんで滅びるものではない!と宣言しています。
そして、この言葉が11章1節に続きます。
11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
「信仰」とは、果たしてどのようなものでしょうか? 11章では旧約の信仰者たちの歩みを例に出して、「信仰」について明らかにしようとしています。
11:4信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ・・・、11:5信仰によって、エノクは・・・、11:7信仰によって、ノアは・・・、11:8信仰によって、アブラハムは・・・、11:20信仰によって、イサクは・・・、
11:32これ以上、何を話そう。もしギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、また預言者たちのことを語るなら、時間が足りないでしょう。
旧約の信仰者たちは、神を信じ、神の約束を信じて歩んだけれど、約束されたものを手にしませんでした。これは特に、メシア救い主のことを言っています。それでも、メシア救い主が必ず与えられることを信じ続け、神を信じて歩みました。それが
11:1信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。の説明です。
さらに、ヘブライ書の読者に向けて
12:1 「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか」と語るのです。

ところで、私は、毎年1月2日、3日に行われる、箱根駅伝を楽しみにしています。駅伝は全員でタスキをつないで、ゴールを目指す競技です。一人一人が自分に定められている競走を忍耐強く走り抜くことで初めてタスキがつながって、ゴールテープが切れるのです。レース後、選手たちのインタヴューを聞くと、苦しい時に力になるのが沿道の声援だそうです。沿道の声援を聞いてまだ頑張れる! もう少し頑張ろう!という気持ちになるそうです。

なんでこんな話をしたかと言えば、私たちの信仰の歩み、信仰の忍耐も、これとよく似ていると思うからです。
キリスト者はイエス・キリストを罪からの救い主、永遠の命に至る道と信じています。しかし、その救いを完全に手にしているわけではありません。今現在、キリストを信じて、神の恵みの中に入れられていると信じています。それでも、様々な困難や苦しみがあり、全き救いに入れられているという実感が持てないこともあります。ひとりでは完走できそうにない時、周囲の励ましや支えが用いられたりもします。
ですが、それだけでなく、旧約の信仰者たちが、雲のように私たちの周りを取り巻いて、私たちを応援してくれている。そんな風に考えると、旧約聖書の登場人物がなんだかとても近くに感じられます。
だから、地上での様々な重荷や罪を捨てて、身軽になって、前を向いて、心を高くあげて、自分に与えられている信仰の歩みを「忍耐をもって」走り続けよう! というのがここでの勧めです。
「忍耐強く走り抜こうではありませんか」あるいは新改訳2017年版では「忍耐をもって走り続けようではありませんか。」となっています。信仰の歩みには、忍耐が必要です。また、前に向かって走り続けることが大切です。でも、そうはいっても、どうしても前に向かって進めない時があります。ヘブライ書の著者も、そういう苦しさをよく知っているのでしょう。そのときどうすればいいのでしょうか。それが2節、3節に記されています。

2節では、辛く、苦しい時には「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめ」なさいと勧めます。
キリスト教信仰は、イエス・キリストを信じることで信仰の歩みがスタートします。そしてイエス様を信じ続けることで信仰の歩みを全うします。地上生涯の最後まで、信仰を持ち続けることが、キリスト者のゴールです。私たちの信仰の歩みを、イエス様が先導してくださいます。そのイエス様から目を離さないことで、私たちは自分のレースを走り通し、完走できるのです。
12:3 あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。
11章に記されている信仰の先輩たちが、いつもいつも信仰によってまっすぐ走り続けたわけではありません。信仰が弱って神様を信じ切れなかったり、自分の思いで罪を犯したこともありました。それでも神に支えられて、恵みの中にとどまることができたのです。
しかし旧約の信仰者たちに比べると、今のわたしたちにはさらに大きな恵みが与えられています。「信仰の創始者であり完成者であるイエス」が、「御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐され」て、救いの道筋がすでに完成しているからです。あなた方は、そのイエス様の忍耐をよく考えなさい! というのが、著者の勧めの言葉です。

信仰のレースを走りぬくためには、イエス様から目を離さないこと! とりわけ、試練の中にあるとき、苦しみを覚えるときには、イエス様が経験された苦しみと、その忍耐を考えながら、自分の置かれている状況を顧みて、祈りましょう。でも、ただ耐え忍ぶだけではありません。耐え忍んだ先にある、神の約束、復活の希望と新しい命、神と共に、又主にある兄弟姉妹と共に生きる永遠の命の約束でを仰ぎ見つつ。
そして、地上で、イエス様から目を離さず歩むために必要なのは、御言葉と祈りです。毎週の礼拝です。
礼拝でイエス様と出会い、御言葉を受け止め、新しい週へと向かう歩みが重要です。
今年は、週報にリジョイスの聖書日課を記すことにしましたので、一緒に聖書を読んでいきましょう。そのようにして一週間をみ言葉と共に歩み、主に従う生活を続けましょう。
「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」一緒に信仰のレースを最後まで走り抜けましょう。

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