2024年11月10日「良い地にまかれた種」

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◆「種を蒔く人」のたとえ
4:1 イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。
4:2 イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。
4:3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
4:4 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。
4:5 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。
4:6 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
4:7 ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。
4:8 また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」
4:9 そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。
◆たとえを用いて話す理由
4:10 イエスがひとりになられたとき、十二人と一緒にイエスの周りにいた人たちとがたとえについて尋ねた。
4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。
4:12 それは、/『彼らが見るには見るが、認めず、/聞くには聞くが、理解できず、/こうして、立ち帰って赦されることがない』/ようになるためである。」
◆「種を蒔く人」のたとえの説明
4:13 また、イエスは言われた。「このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。
4:14 種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。
4:15 道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。
4:16 石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、
4:17 自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。
4:18 また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、
4:19 この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。
4:20 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」
◆「ともし火」と「秤」のたとえ
4:21 また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。
4:22 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。
4:23 聞く耳のある者は聞きなさい。」
4:24 また、彼らに言われた。「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。
4:25 持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」
◆「成長する種」のたとえ
4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、
4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
4:28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。
4:29 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
◆「からし種」のたとえ
4:30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。
4:31 それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、
4:32 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
◆たとえを用いて語る
4:33 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。
4:34 たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マルコによる福音書 4章1節~34節

原稿のアイコンメッセージ

<説教要約>マルコ4章1-34節 ⑱「良い地にまかれた種」
今朝は少し長い個所を朗読しましたが、ここは一連のメッセージです。
「神の支配、神の国のたとえ」といってもいいと思います。「種を蒔く人」のたとえと説明、「ともし火とはかり」のたとえ、「成長する種」のたとえ、「からし種」のたとえ、これらの話は、神の支配の将来の完成と現在の開始が語られています。初めは目立たず、隠されています。しかし人間の助けなしに、神の支配、神の国は確実に完成へと向かいます。

まず、「種を蒔く人のたとえと説明」ですが、多分ご存知の話だと思います。
種は神の言葉、種をまく人は、神の言葉を語る人、福音宣教の働きです。土地は神の言葉の聞き方の違いを示しています。
道端にまかれた種は、御言葉を聞いても、それを受け入れない人です。
石だらけの所とは、最初は喜んで受け入れるけれど、なにか困ったことが起こると、それを簡単に手放してしまう人。
茨の中にまかれた種とは、とりあえず神の言葉を聞くのですが、聞いているうちに、神の言葉よりも、この世の価値観や富、あるいは様々な欲望に心奪われて、御言葉から遠ざかってしまう人。
この3つのタイプでは、御言葉の種は成長して実を結ぶことがありません。
良い土地にまかれた種とは、み言葉を聞いて受け入れる人。この種だけは成長して実を結びます。
このたとえをお話になった主イエスは、最後に「聞く耳のある者は聞きなさい」といわれました。
4人の違いは、「み言葉を聞く態度」「御言葉の聞き方」です。
4章20節「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」
実を結ぶのは、御言葉を聞いて受け入れる という聞き方です。御言葉を、他人事として聞くのではなく、自分の問題として聞き、受け入れ、従うことで、人生に豊かな実りが与えられ、神の国の民となることができます。
 
ところで、この「種まきのたとえ」を「御言葉の種をまく働き」という視点で考えてみましょう。
このたとえで、種を蒔く人は、「神の言葉を蒔く人」です。
しかし、その時に、良い土地だけを選んで種をまいたのではありません。あるいは、畑を耕してから蒔いたのでもありませんでした。とにかく、いろんな場所に種を蒔いたのです。そして、蒔き続けたのです。
これは、私たちが伝道を考える時に大切な視点です。
川越教会では、11月24日に特別集会を計画しています。今回も、新聞折り込みにチラシを入れることにしています。また、手渡しの分も届いています。それぞれ必要な分をお持ち帰って、有効にお使いください。
いろんな方法で、いろんな場所に種を蒔き、蒔き続けましょう。これが、御言葉の種の蒔き方の大切な一面だということを、種まきのたとえは教えてくれています。

4章はこの後も3つ、たとえ話が続きます。
21~25節が「ともし火と秤のたとえ」、26~29節が「成長する種のたとえ」、30~32節が「からしだねのたとえ」
最初にもお話ししましたが、この3つの話は、ばらばらな話ではなく関連する話です。

①21~25節「ともし火と秤のたとえ」
このたとえは、4章の10~12節と関連があります。
主イエスは、多くの人々に神の国の福音を語る時、たとえを用いて話されました。そのことについての弟子たちとのやり取りが10~12節です。
「神の国の秘密」「神の国の福音」について、主イエスの弟子たちや、それを信じ受け入れる者には、それが明らかにされているが、「外(そと)の人々」に対しては、たとえで示す、と主イエスは言われました。
種まきのたとえでいうなら、「外(そと)の人々」とは、道端、石だらけの所、いばらの中にまかれた種にあたります。この人たちは、福音を聞いても認めず、理解できず、受け入れないので、彼らは、神のもとに立ち返り、赦しを得ることがない、というイザヤ書の厳しい言葉が引用されています。
しかし、これは、外の人々が理解できないように、わざとたとえで語るということではありません。反対に、少しでも理解できるように、たとえで語るのです。しかし彼らは認めず、理解できず、受け入れない。残念なことですが、そういう人々が多いのです。
どんなに心を尽くして、わかりやすく、福音を語ったとしても、やはり、聞いて受け入れるっ人とそうでない人、二つに分かれるのです。
しかし、だからと言って、語らなくていいわけではありません。誰が受け入れる人であり、誰が受け入れない人なのか隠されているからです。ですから、神の国の福音、み言葉は、隠し持っているのではなく、目立つところで、多くの人に語るべきなのです。
それが、4章21-22節。ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。」
神の国の福音は隠されていて、多くの人々が理解できずにいます。しかし、隠されたままではありません。少しずつ、少しずつ、明らかにされつつあります。その第一段階として、神の国の福音は、イエス様の十字架と復活によって明らかにされました。イエス様の十字架を通して示された神の愛を理解する人がいます。
ですが、それでもすべての人が理解できるわけではありません。やはり、聞き方が重要なのです。
4章24~25節は、御言葉の聞き方についての教えです。
「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。 持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」 
聞いている内容に注意しなさいというより、大切なことを聞いているのだから注意して聞きなさい!です。
24節後半「あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。」は、み言葉を注意深く聞けば聞くほど、霊的な理解力が深まって、神の愛と恵みがさらに理解できるようになり、結果として豊かな恵みが与えられる、ということです。
この話に続くのが、26~29節で「成長する種のたとえ」です。この話は、福音書の中ではマルコにだけ記されています。ここは、「成長は人の力によるのではなく神のわざ」であること。また「福音は生きて働く力」であることが示されています。
4章30~32節は「からし種のたとえ」です。
ゴマ粒より小さいからしの種ですが、その小さな種が蒔かれると、成長してどんな野菜よりも大きくなる。
そして、その種を成長させてくださるのは、神のお働きなのです。
イエス様は、私たち一人一人に向かって、「聞く耳のある者は聞きなさい。」と言われます。
今、私に語られている神の言葉を注意深く聞き分けて、私たちも神の国の恵みに、さらに豊かに与らせていただこうではありませんか。

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