神の家族になる
- 日付
- 説教
- 木村恭子 牧師
- 聖書 マルコによる福音書 3章31節~35節
イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、
イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、
周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マルコによる福音書 3章31節~35節
<説教要約>2024年11月3日マルコ3:31-35 ⑰「 神の家族になる 」
今日の個所は、直前の3章20節以下のベルゼブル論争の初めにしるされている話からつづいています。
3:20‐21イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。
身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。
ここで、「身内の人たち」とはだれかというと、実は3:31イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。と続くわけです。
イエス様の母や兄弟たちがイエス様のところへやってきた理由は想像がつきます。
イエス様の家族は、食事をする時間もないほどに忙しく働き続けるイエス様のことを心配して、そんな働き方をやめさせようと、やって来たのかもしれません。あるいは「あの男は気が変になっている」という人々の言葉を気にして、イエス様を家に連れ戻そうとしていたとも考えられます。あるいは、イエス様のいろんな噂が家族たちにも聞こえてきて、その噂の真偽を確かめに来たとも考えられます。
いずれにしても、イエス様の地上の家族である、母マリアも弟や妹たちも、この時点でイエス様が誰なのか、今何をしておられるのか、そのことの意味を正しく理解していませんでした。
そういう前段があっての今日の話です。
3:31 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
イエス様の周りには、大勢の人が集まって座っていました。彼らはイエス様の教え、福音に耳を傾けていたのです。その時、誰かが、主イエスに、
3:32「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが、外であなたを捜しておられます」と話を中断したのです。
イエス様を探している家族を気の毒に思ったのかもしれません。するとイエス様は
3:33「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答えたのです。
家族が心配して訪ねてきたのですから、それなりの対応があってもいいのではないか、とも思います。
親兄弟に対して、ちょっと冷たいのでは?と思う方もいらっしゃるでしょう。
しかし、イエス様は、ご自身の周りに座ってイエス様の話を聞いている人々を見回し、彼らに言いました。
3:34「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。」と。
イエス様の周りに集って、イエス様の教えを聞いている人々こそが、私の母、私の兄弟、私の家族だ、という意味です。そしてさらに、35節で言われました。
3:35 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」と。
神のもとに集って、教えを聞く。教えを聞いて、神の意志、御心を悟ったら、次はそれを行う努力をする。
み言葉に従って、ともに生きていくのが神の家族です。
私たちも、毎週礼拝に集い、み言葉を聞き、神の願っておられること、神の心を教えられています。
聖書の言葉を学び、その教えを理解することができるのは幸いなことです。しかしそれでは十分ではありません。理解したら、それを行うことまでが求められている、ということも覚えたいと思います。
ですが、イエス様は神の家族だけを大切になさり、地上の家族関係、いわゆる肉親には関心がないのでしょうか? イエス様は私たちに対しても、肉親の家族より神の家族を大切にすること、優先するよう求めておられるのでしょうか?
ヨハネによる福音書に、こんな記事があります。
① ヨハネ19:26‐27です。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
イエス様が十字架にお掛りになったとき、地上の母マリアのことを案じて彼女を「愛する弟子」つまりヨハネに託した、という記事です。マリアの長男であるイエス様は、自分の死後マリアの身を案じられたのです。
ここからもわかるように、イエス様は肉親の母に対して、あるいは弟や妹に対して、関心がなかったわけでも、冷たくあしらったわけでもありません。地上での肉親に対する配慮をなさったのです。
しかし地上での親子関係、あるいは夫婦関係も含みますが、それは地上での関係です。
一方で、イエス様がここで教えておられる関係、神の家族としての関係は、地上での関係にとどまらず、永遠まで続く関係です。一時の関係も大切ですが、しかし、それ以上の関係、永遠にまで続く関係は重要です。
私たちはこの地上で、家族、親族との関係、先祖との関係があります。
先祖代々大切にしてきた仏壇や、お墓を、守っていかなければならない。
だから、洗礼を受けて、クリスチャンになることは難しい。
このように家族、親族との関係と、キリスト教信仰のはざまで悩んでいる方がおられます。
でも、イエス・キリストを信じて信仰を持つことで、先祖を切り捨てよ。親兄弟との関係を断てと求められているわけではありません。あれかこれか、ではないのです。
地上の関係を大切にしながら、しかし永遠の命を共有する神の家族に加えられる方法、イエス・キリストを信じ従う道を模索する努力が大切です。
必ず、ふさわしい方法が示されます。
今朝、主イエスは私たちにこのように語りかけておられます。
「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
神の家族は、主日礼拝を中心にした信仰共同体であり、共に主の晩餐、聖餐の礼典を囲む家族です。
今朝は礼拝の中で聖餐の礼典を囲みます。まさに、私たちが神の家族であることを覚え、感謝して与りたく思います。
また、まだこの恵みに加わる決心がつかない方もおられますが、ふさわしい時に主が、この恵みに加えてくださるよう、祈り続けたいと思います。