2020年08月16日「平和を実現する人は幸い」

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「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マタイによる福音書 5章9節

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<説教要約>平和を考える礼拝 
マタイによる福音書5章9節 (新約 P6)
説教 「平和を実現する人は幸い」 

今月(8月)は戦争と平和を特に覚える月です。日本キリスト改革派教会は毎年、8月15日に一近い主の日を「平和を考える日」として礼拝を献げています。川越教会でも毎年この時期に、礼拝の中で平和を考える時を持っています。そういうわけで、今朝は聖書から、平和について考えます。
今朝は5章9節「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」に注目します。

「平和」という時、多くの人は人間関係や、国際間の関係などを思い浮かべるでしょう。また、消極的な平和、積極的な平和、という言い方もあります。対立していない状態が消極的平和。積極的平和は対立しないだけでなく、仲のいい状態。困っている時に助け合える関係が積極的な平和と言えるでしょうか。
9節は「平和を実現する人々は幸い」とありますから、消極的な平和で満足するのではなく、積極的な平和のために働く、あるいは生きることが想定されているのでしょう。
ですが、聖書で「平和」といい言葉は、人と人との関係や国際間の平和という意味で用いられるだけではありません。
それよりは、神と人との関係で用いられる方が多いのです。
何か所か聖句を引用します。
ロマ1:7わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
こういう挨拶は、パウロが好んで使う挨拶で、新約のパウロ書簡にはたくさん出てきます。
ロマ 5:1 「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、・・・。」とあります。ここでの平和は、神と人間の関係で「平和」という言葉が使われています。具体的には神と人との和解、人が罪赦されることで神との関係が「平和」になった、という言い方です。
二ペト1:2 神とわたしたちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。
「神と主イエスを知る」とは、知識として知るという意味ではありません。知るとは深い交わり、生きた関係までのことです。神と主イエスとの深い交わりが、恵みと平和を与えるという言い方です。
細かく見ていくといろいろあるのですが、言いたいことは、聖書が語る「平和」には「神との平和」と「人との平和」という二つの方向性があるということ。
それで、この両方のことを考えて、マタイ5章9節の前半、「平和を実現する人々は、幸いである」は、神との平和と人との平和、両方の平和を手にすること、あるいはつくり出す人が幸いだ、と読みたいのです。
9節後半「その人たちは神の子と呼ばれる。」は、神とも人とも平和な生き方をする人は、「神の子と呼ばれる」となります。ここで「呼ばれる」と訳されている言葉は、「人からそう呼ばれる」ということではありません。実際にその名が示すものである、というように使われる言葉です。ですから、イエスはここで「その人たちは神の子である」宣言しているのです。また同時に、神の子であるのだから、人との平和を築くために力を使いなさいということでもあります。そういうふうに生きることが幸いな生き方、神と共に神の国で生きる生き方だ、と主イエスは教えておられるのです。

このことを実際に考えるために、ある講演をご紹介します。これは、2015年4月に神戸改革派神学校の3学期の開講講演で語られたもので、私は文章で読みました。講演者は関キリスト教会の橋谷英徳(ひでのり)牧師です。講演そのものはもっともっと長いのですが、今日の説教に関係するところだけを短く紹介します。なお、礼拝説教で講演を紹介することを橋谷牧師にはご了解いただいています。

講演の題は、「ル・シャンボン改革派教会の実践に学ぶ」です。
フランスの山間部にある、ル・シャンボンという小さな村の、改革派教会が行った愛の働きであり、具体的に平和を実現した話です。
フランスといえばカトリック教会が圧倒的に多いのですが、ル・シャンボン村のほとんどの人は改革派教会の信徒です。というのも宗教改革の後、17世紀にカトリック教会の迫害を逃れたプロテスタント教会の信者たち、いわゆるユグノーと言われる人たちが隠れ住んだのがこの村でした。しかし、この話はもっと後の時代、第2次世界大戦下でのことです。

当時、ナチス・ドイツに占領されたフランスでは、時の政府がユダヤ人を強制収容所に送る政策に協力しました。そして追い詰められて逃げてきたユダヤ人たちを、この小さな村の人々がかくまい助けたのです。中心となったのが、ル・シャンボン改革派教会でした。
村の人びとは、ナチに追われ逃れてきたユダヤ人たちを迎え入れ、衣食住を与え、居場所を提供しました。子どもたちには学校教育も施され、危険が迫ったときには、彼らを森の中に隠しました。
あるいは、急な山岳地帯を越えてスイスに脱出させたりもしたそうです。当然ながらこれらの活動は、村人にとって大変危険なことでした。しかし、村人たちは協力を惜しまなかったそうです。命を助けられたユダヤ人の総数は約5000 人(ユダヤ人の子ども3500 人)以上とも言われています。村の人口が3000人弱であったことを思えば、驚異的な数の人びとが助けられたことになります。

1940年~1944年のフランスのホロコーストの全期間、ル・シャンボンの人々の抵抗、平和を実現する行動は非暴力で実行されました。また驚くべきことに、人びとの愛は、ユダヤ人たちにだけに向けられのではなく、ユダヤ人を追って村にやってきたナチにまで向けられたのです。この働きの担い手は、牧師だけではなく、ごく普通の素朴なキリスト者、農夫や職人たち、婦人たち、さらには子どもたちでした。
周囲の人びとが、戦争の渦に巻き込まれ、人間性を失っていくなかで、ル・シャンボンの人びとは人間性を失うことがありませんでした。それは、彼らの中心に教会があり、説教と聖餐がしっかり機能し、それぞれの人が置かれた立場で愛の働き、平和を実現する役割を果たしたのです。
何故、この教会に、そして彼らに、こんなことができたのでしょうか? 講演ではいくつかのヒントが語られています。
ひとつは、牧師による適切な説教と牧会があったということです。当時のル・シャンボンの牧師はアンドレ・トロクメという人でした。彼は伝統的なユグノー(改革派信徒)の家庭で育ち、第1 次大戦中に、良心的兵役拒否者となっていました。つまり、牧師自身が平和への意識が強かったのです。
もう一つは、ル・シャンボン教会の小会が牧師をしっかり支えたということです。当時、教会が良心的兵役拒否者を牧師として招聘することは珍しかったそうですが、小会はあえてトロメク牧師を招聘しました。ということは小会が、戦争に対して、暴力に対して強い意識があった。「平和を実現すること」への意識が強かったということでしょう。それは多分、彼らの先祖がユグノーとして迫害され、追われた歴史から学んだことだったと思われます。
しかし、具体的な働きを担ったのは一般信徒たち、とくに婦人たちでした。ユダヤ人たちをかくまうのに最も必要だったのは、信徒たちの協力でした。村の生活は豊だったわけではないし、そのことで彼らが金銭的な利益を得たわけでもありません。しかし、彼らはそれをしたのです。ある婦人はこう語ります。
「それはごく当たり前のこと。何も特別に騒ぎ立てるようなことじゃありませんよ。そう、それは実に単純素朴なことです。…私たちだって、多くのものを持っていたわけではありません。…でも、彼らは列車で到着すると、みんな(駅の)床の上で寝ていたのですもの…。ですから、私たちはなんとかやりくりしましたわ。どうしようもないときには、自分のベッドだって空けました。助けの手を伸ばしたのは、彼らが助けを必要としていたから、というだけのことですわ。聖書に教えられているじゃありませんか。『飢えた者に食べ物を与えなさい。病んでいる人を訪ねなさい』と。それに従うことは当然のことではありませんか。」と。このように、具体的な働きをしたのは村人たち、特に婦人たちでした。彼女たちは「さあ、どうぞお入りなさい」と言って扉を開いて、ユダヤ人たちを迎え入れたのです。
さらに驚くべきことに、愛の業はユダヤ人たちだけに向けられたのではありませんでした。ユダヤ人たちを捕えに来た、フランスの警官やナチの人たちにさえ向けられたのです。彼らを敵として憎んだり、傷つけたり、殺したりすることはありませんでした。彼らに対してもまた人間として、温かく尊敬と好意をもって接したのです。
ここからわかること、それは、彼らの抵抗は、ユダヤ人解放のための闘争ではなかったということです。
ただ、イエス・キリストが私たちに示された十字架の愛を知る者として、キリストの教えに従って、困っている人、助けが必要な人を受け入れただけのこと。しかし、み言葉に忠実に、命をかけてそれを行ったのでした。そうして彼らは「平和を実現する者」となったのです。
裏返せば、キリストの愛を知っていて、神の恵みに生きている神の子であるからこそ、このように平和を実現する者として積極的な助けがができた、ということでもあります。
そしてこのように生きられることこそが、幸いな生き方と言えるのではないでしょうか。

今日の例話は第二次世界大戦中に起こった特別な話しですが、同時に私たちキリスト者にとっては特別なことではない、ともいえるのだと思います。
私たちも、それぞれ自分が置かれている日常の中で、神の子として生きるために常に選択を迫られています。積極的な平和を実現するために、一人一人がキリストの言葉に従う歩みを選び取っていくことで、神との平和も人との平和も広がっていくのです。どうか、お一人一人がその時々に、神の子としてふさわしい選択をすることができますように。地上の平和のために積極的な生き方ができるようにと願っています。また私たち川越教会も、そのような教会でありたいと願います。

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