2024年08月21日「惨めなのか、幸せなのか?」

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キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。
死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。
そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。
更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。
死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。
そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。
そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。
この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。
死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。
つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。
ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、
次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。
キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。
最後の敵として、死が滅ぼされます。
「神は、すべてをその足の下に服従させた」からです。すべてが服従させられたと言われるとき、すべてをキリストに服従させた方自身が、それに含まれていないことは、明らかです。
すべてが御子に服従するとき、御子自身も、すべてを御自分に服従させてくださった方に服従されます。神がすべてにおいてすべてとなられるためです。
そうでなければ、死者のために洗礼を受ける人たちは、何をしようとするのか。死者が決して復活しないのなら、なぜ死者のために洗礼など受けるのですか。
また、なぜわたしたちはいつも危険を冒しているのですか。
兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスに結ばれてわたしが持つ、あなたがたに対する誇りにかけて言えば、わたしは日々死んでいます。
単に人間的な動機からエフェソで野獣と闘ったとしたら、わたしに何の得があったでしょう。もし、死者が復活しないとしたら、/「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」ということになります。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
コリントの信徒への手紙一 15章12節~32節

原稿のアイコンメッセージ

<説教のアウトライン> 
日本宣教に一生涯を捧げたことについて、私の考えと 気持ちをお伝えし、「あなたがたに伝えた最も大切なこと」を再確認したいと思います。
中心的主張点:「身体のよみがえり、永久の生命」を主が約束してくださいますので、主の働きに人生を捧げても惜しい事がありません。むしろ、御国のための犠牲があっても、大きな報いが期待できますから、辛いことを耐え忍んで、主の愛に生かされて、永遠の喜びを今から楽しみましょう。
序:今年は宣教師となり、満44年になりましたが、いよいよ退職・帰米になりました。これについて複雑な心境になっています。けれども本日は、この機会を感謝しながら、「最も大切なこと」を再確認したいと願っています。
1.使徒パウロとコリント教会、また、その他の幼い教会に対して、救いの福音を再確認する機会をつかんで、しっかりと信じるようにと呼びかけています。
 イ、エフェソ教会の例を使徒言行録20章が参考になります。
 ロ、コリントの教会の場合は幾つかの具体的な問題点について健全な信仰にちゃ  んと留まるように論じて勧めています。
 ハ、宣教師の大先輩である使徒パウロの気持ちに幾つか同感できます。
2.第一コリント15章は復活を否定するようになった教会員の疑問を取り上げ、正統的信仰に戻り、あるいは、これに留まるように呼びかけています。
 イ、使徒パウロにとって、キリスト・イエス様の復活の事実は「最も大切な教え」であると、救いの信仰の中心的中身であり、オプションではないことを主張します。
 ロ、コリント教会のあるものが体の蘇りの信仰を否定していたように、世々のある人たちも、また、今日もこの教えに引っかかる方がいます。
 ハ、使徒パウロは完璧なロジックで議論して、復活信仰の是正を主張します。
 二、復活を否定するのは救われる信仰から外れてしまうことになります。
 ホ、復活を信じる十分な根拠があるだけではなく、これを信じることによって大きな力が与えられます。
 ヘ、使徒パウロは、復活がなければ、自分の人生を無駄に費やしてしまったことになると結論しています。しかし、復活があるからこそ、あらゆる敵に立ち向かうことができ、苦しみに耐え忍ぶことができます。最後の敵である死も恐れません。
3.「自分の十字架を背負い私に従いなさい」と、主イエス様が呼びかけます。
 イ、預言者も、使徒パウロも、主イエス様ご自身も、救いが多くの方に行き届くために、苦しみを拒否しません。迫害が当たり前にあると主は忠告します。
 ロ、たとえ、犠牲があっても、大きな報いが備えられます。
 ハ、パウロの場合は、イエス様の名のために多くの苦しみを味わいましたが、使徒のために栄冠が与えられることを期待して、最後まで励みました。ふつつかな僕に過ぎない私たちですが、ご主人が家に帰ってくるときに忠実な僕に報いるように、私たちにもそれを約束してくださいます。
 二、自分を過度に評価すべきではありませんが、絶えなる恵みを備えてくださる主のためにできることがあれば、犠牲が伴っても、喜びとしてそれに取り組みます。
結論:私たちの信仰に伴って、正義を行い、平和を作り、主の憐れみを広めることがあるはずです。この世において大いに役に立つはずです。けれども、一時的なものに過ぎないこの世だけあるわけではありません。天からおいでになる主の再臨の時に、体が朽ちないものに蘇り、大いなる祝福が備えられます。これこそ、私たちの慰めであり、私たちの究極的な希望です。

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