時は満ちた
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- 説教
- 木村恭子 牧師
- 聖書 マルコによる福音書 1章12節~15節
1:12 それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。
1:13 イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
1:14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
1:15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マルコによる福音書 1章12節~15節
<説教要約>2024年5月5日 マルコ1:12-15 時は満ちた
今日の箇所は、イエス様がサタンの誘惑を受けられた話「荒野の誘惑」と、福音宣教を始めるときのイエス様のお言葉です。
「荒野の誘惑」の話しは、マタイ福音書、ルカ福音書にも記されていますが、どちらももっと長い記述でサタンの誘惑の内容まで記されています。マルコ福音書はたった2節だけでとても簡潔です。でも、それだからこそ、マルコ福音書がここで伝えたいことがよくわかります。説教はマルコ福音書に沿って、誘惑の内容には触れずに、マルコが記していることに注目します。
「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」(1:12-13)
ここで注目すべきは、“霊”「聖霊」が「イエスを荒れ野に送り出した」のです。サタンがイエス様を誘い出して誘惑を仕掛けてきたのではありません。
神にとって「愛する子、わたしの心に適う者」であるイエス様を、聖霊が誘惑の場、試練の場へと追いやった。目的は、サタンの挑戦を受けるためです。サタンはこの世の悪の霊、罪の世を支配している、神様の反対勢力で、イエス様は、荒野で40日の間、サタンの誘惑を受けられ、サタンと対決されたのです。
しかし、サタンとイエス様の対決は、これで終わりではなく、実はここがスタートなのです。
この先イエス様が、地上で神の国の福音を宣べ伝えるわけですが、それはサタンとの対決です。
「神の国の福音を信じる」とは、その人が「サタンの支配」から「神の恵みの支配」へと移されるということですから、サタンはそれを全力で阻止したいのです。
しかし、ここで見落としてはいけないことがあります。
40日の間、「野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」というところです。
イエス様はサタンの誘惑を受けられたけれども、同時に天使たちを通しての神の助け、支えがあった。
荒野で、サタンの力からも、また野獣からも守られていたのです。
ただ、マルコ福音書にはこの対決の終わりがどうなったのか、ははっきり記されていません。
そこは気になりますから、マタイ福音書とルカ福音書を見ておきます。
マタイ4:11「そこで、悪魔は離れ去った。」(マタイ4:11)、「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。」(ルカ4:13)。というわけで、サタンはいったんはイエス様から離れたのです。
14~15節は、いよいよイエス様の福音宣教のスタートです。
14節はその時の状況、15節は福音宣教の第一声、最初の言葉が記されています。捕らえられた理由については、マルコ福音書ではこの後6章になって明らかになります。
ですが、これは象徴的な出来事でもあります。メシアの道を備える役割のヨハネが捕られ、働きを継続できなくなり、そしてメシア・キリストが活動が始まるのです。
イエス様はこのニュースを聞いて、ユダヤから故郷のガリラヤへと向かわれ、ガリラヤで神の福音の第一声を発せられました。
1:15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
洗礼者ヨハネのメッセージは「メシア、救い主がおいでになる。だから、悔い改めて神に立ち帰れ」という内容でした。
しかしイエス様のメッセージは、
「神の国は近づいた」で始まります。これは、イエス様が地上に来られたことで、神の支配がはじまる、始まりつつある、イエス様と共に神の国が地上に来た、ということです。
もうそういう状況なのだから、「悔い改めて福音を信じなさい」です。
「悔い改め」とは、神に戻ること、まことの神を見上げること。
「福音」については、すでに1章1節で学びましたが、確認しておきます。
「福音」とは、神の御子、メシア・キリストが、私たちの罪のために死なれたこと、葬られたこと、三日目に甦られたこと、天に昇ったこと、です。この段階では、まだすべては成し遂げられていませんから、「神の国は近づいた」とイエス様は言われたのです。
ですが、私たちが生きている今現在、神の御子、メシアであるイエス様は、私たちの罪のために死なれ、葬られ、三日目に甦られ、天に昇って神の右の座におられます。つまり、イエス様はご自身が語られた福音を成し遂げられ、すでに「神の国」は到来しています。すから、私たちは、地上に到来した神の国に入るために、神の恵みの支配に入るために、イエス様を信じ、従えばいいのです。そして地上の神の国は、天国、天の神の国に続く唯一の道です。時は満ち、救いの道は完成しています。
しかし、この福音を知らない多くの人々がいることも事実です。
先にこの福音を知り、信じ、神の国に入れられている私たちが、神の国の福音に生き、そして神の国を言い広めていくことが求められています。
最後に、試練や誘惑について、考えたいと思います。
聖霊に満たされた神の御子が、公の生涯、福音宣教のお働きを開始する直前にサタンの誘惑にあわれました。
同じように、イエス・キリストを信じて生きている私たちも、地上で様々な誘惑や試練、苦しみにであうのです。サタンは私たちが福音を信じて、神の国に加えられ、神の国が地上に広がるのを恐れているからです。
ですが、イエス様を天使が支えたように、私たちにも、必ず神からの助け、支えがあります。
サタンの誘惑や、試練に会った時、心や体に痛みや苦しみがある時、大きな悲しみに出会ったとき、そういうときこそ、神様に目を向け、祈り、神様からの助けを期待したいし、期待すべきです。
詩篇91篇1-4をお読みください。
試練にあったとき、辛い時、苦しい時。
信仰をもって、イエス様を信じて歩んでいても、必ずそういう時があります。
自分ではどうにもできない出来事、努力しても改善しない状況、病気、老い、家族や生活の問題、私たちの人生にもいろんなことが起こります。そういう時、どうすればいいのでしょうか。
詩篇91篇は、「わたしの避けどころ、砦/わたしの神、依り頼む方」と神に祈るよう、勧めています。
神に依り頼む私たちに対して、神は「羽をもってあなたを覆い/翼の下にかばってくださる。」「あなたの盾となってくださる」と言います。
試練の時、苦しみの時には、神の翼のもとに身を隠すようにして、試練をやり過ごすよう勧めています。
そうするとどうなるのでしょうか。
神からの応答は詩篇91:14-16をお読みください。神からどんな解決が与えられるのか、あるいは直接解決が与えられないかもしれません。しかし、確実なことは91篇16節「生涯、彼を満ち足らせ/わたしの救いを彼に見せよう。」です。どのような仕方でかはわかりませんが、私たちの生涯を満ちたらせ、神の救いを見せてくださる、と約束しておられるのです。神を見上げ、神により頼み、忍耐して神のみ翼の下にとどまる私たちを、神は守ってくださる、そう約束しておられます。この神の約束を信じ、依り頼みたいと思うのです。