2024年02月18日「マルタからローマへ」
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マルタからローマへ
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- 木村恭子 牧師
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使徒言行録 28章1節~16節
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聖書の言葉
わたしたちが助かったとき、この島がマルタと呼ばれていることが分かった。
島の住民は大変親切にしてくれた。降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて、わたしたち一同をもてなしてくれたのである。パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。住民は彼の手にぶら下がっているこの生き物を見て、互いに言った。「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ。」
ところが、パウロはその生き物を火の中に振り落とし、何の害も受けなかった。体がはれ上がるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと、彼らはパウロの様子をうかがっていた。しかし、いつまでたっても何も起こらないのを見て、考えを変え、「この人は神様だ」と言った。
さて、この場所の近くに、島の長官でプブリウスという人の所有地があった。彼はわたしたちを歓迎して、三日間、手厚くもてなしてくれた。ときに、プブリウスの父親が熱病と下痢で床についていたので、パウロはその家に行って祈り、手を置いていやした。このことがあったので、島のほかの病人たちもやって来て、いやしてもらった。
それで、彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。
三か月後、わたしたちは、この島で冬を越していたアレクサンドリアの船に乗って出航した。ディオスクロイを船印とする船であった。わたしたちは、シラクサに寄港して三日間そこに滞在し、ここから海岸沿いに進み、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹いて来たので、二日でプテオリに入港した。わたしたちはそこで兄弟たちを見つけ、請われるままに七日間滞在した。こうして、わたしたちはローマに着いた。ローマからは、兄弟たちがわたしたちのことを聞き伝えて、アピイフォルムとトレス・タベルネまで迎えに来てくれた。パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。
わたしたちがローマに入ったとき、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 28章1節~16節
メッセージ
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<説教要約> 使徒言行録28章1-16節「 マルタ島からローマへ 」
命がけの船旅が守られ乗っていた276人全員が「マルタ島」に上陸ができました。
28:2 島の住民は大変親切にしてくれた。降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて、わたしたち一同をもてなしてくれたのである。
当時マルタ島はローマの支配下にあり、ローマからの総督が駐在していました。この島の住民は、ギリシャ語を話さず、アラム語に似た言葉を話す人々で、ルカは彼らを「未開人」と記しています。
ですが島の人々は、彼らを親切にもてなし、暖を取るために焚火を焚いてくれました。一行が漂着したのは真冬の寒い時期、しかも海水に濡れ、雨も降っていたからです。
28章3節から10節を読むと、ここでも神の守りがあったことがわかります。
28:3 -4パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。住民は彼の手にぶら下がっているこの生き物を見て、互いに言った。「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、『正義の女神』はこの人を生かしておかないのだ。」
マムシはふつう、冬はほとんど活動しないのですが、この時は焚火に暖められて、出てきたようです。口語訳聖書は「マムシがパウロの手にかみついた」とありますが、新共同訳聖書では「絡みついた」です。どちらにしても、命が危険な状態です。マムシの危険性を熟知している島民たちは、この後パウロがどうなるか固唾をのんで見守っていました。たぶん倒れて死ぬだろう。そして彼は殺人犯に違いない!とまで想像して。
ところが彼らの期待に反して? パウロは何の害も受けなかったのです。それで今度は、パウロを「神様だ」と騒ぎ出したのです。もちろんパウロは否定したと思いますが、これがこの後3か月間、パウロ一行の命を支えることになったのです。パウロ一行は住む場所と食事が提供され3か月を過ごすことができたのだと想像します。
さらにこの話をローマ総督のプブリウスという人が聞きつけ、パウロたちを招待して手厚くもてなしました。また、その時たまたま病の床にあった総督の父親をパウロが癒したので、この人からもこの後3か月の滞在中にいろんな便宜が与えられたと想像できます。
28:9 このことがあったので、島のほかの病人たちもやって来て、いやしてもらった。
3か月もの滞在です。パウロが神の力によって癒しを行うという評判が立つと、島の人々が病人を連れてやってきました。ルカは医者ですから、彼が医学の知識を用いて病人たちを治療することもあったかもしれません。そうしながら一行はマルタ島で命をつなぐことができたのです。
28:11三か月後、わたしたちは、この島で冬を越していたアレクサンドリアの船に乗って出航した。ディオスクロイを船印とする船であった。
マルタ島で冬を越した一行は、航海の危険な時期を過ぎた3月上旬に、出航しました。
ちょうどいい船があったようですね。ディオスクロイを船印とする船、とありますが、ディオスクロイのディオスはゼウスのこと。ゼウスの息子で双子の兄弟のことだそうですが、この双子は船員の守護神だそうです。
その船に乗ってマルタ島を出航し、シラクサに寄港して三日間滞在し、レギオンに着きました。
レギオンは長靴に例えられるイタリア半島の、長靴のつま先に当たるところにある町です。ここからいよいよイタリアです。しかしまだ上陸しないで、プテオリに向かいます。船旅は順調、ちょうどいい南風に乗って「二日でプテオリに入港した」とあります。
28:14 わたしたちはそこで兄弟たちを見つけ、請われるままに七日間滞在した。こうして、わたしたちはローマに着いた。とあります。
プテオリは、いろんな国の人が住んでいる港町で、ユダヤ人居住区もあったようです。
「請われるままに七日間滞在した」とありますが、7日も滞在した理由は定かではありません。
パウロがローマへ行くのはこの時が初めてですが、以前にパウロはローマへ手紙を書き送っています。ローマの信徒への手紙です。56-57年頃にコリントで書いた手紙で、いずれローマへ行くことを願いつつ書いたものです。この手紙は、キリスト教教理と生活が詳しく整理されまとめられた手紙です。ですから、パウロと直接の面識はなくても、手紙を読んでパウロの訪問を待っていた人々がいたのかもしれません。そういう人々がパウロ一行を歓迎したのでしょう。プテオリで7日間滞在したのち、一行は陸路、ローマへと向かいました。
途中のアピイフォルムとトレス・タベルネという二つの町に、ローマのキリスト者グループがそれぞれパウロを迎えに来た、とあります。「パウロがローマに来た」というニュースがあっという間に拡散したようです。
15節後半には「パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。」とあります。
初めての土地、慣れない旅先で、同じ信仰を持つ人に会って、暖かい気持ちになり、励まされたのですね。
パウロ一行には、これまで神の守りが常にありました。また、パウロは超人的な弟子なので、人の助けを必要としないのではないか、と思ってしまうのですが、そうではありません。人間による具体的な助けや支えも必要なのです。「神に感謝し、勇気づけられた。」から、そのことがよくわかります。
28:16 わたしたちがローマに入ったとき、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された。
ここは、次の17節以下で後日扱いたいと考えています。
先週は、キリスト者がそこにいることで周囲にも神の恵みが及ぶ、ということを確認しました。
ですが反対に、一般の人々がキリスト者を助けるということもあります。それが今回のマルタ島での出来事です。もちろん背後に神が働いておられるのですが、キリスト者が一般の人、キリストを信じていない人に助けられることもある、ということを覚えたいと思います。
また、ここでちょっと不思議だなあと思うことは、3か月も滞在したマルタ島で、パウロたちが宣教した記事がないことです。パウロは、マルタ島で全く福音宣教、神の言葉を語らなかったのか? それとも、たまたま、伝道の記事をルカが載せなかったのか? 真相はわかりません。しかし言葉での伝道をしていなくても、病気の癒しという大きな神の力を見た島民たちは、神の愛と神の力を知ったはずです。ですから、いつかパウロたちが信じている神、イエス・キリストを求めるとき、信じるときが来るかもしれません。イエス・キリストの宣教は、み言葉と愛の業の両方でなされたことを思うとき、必ずしもパウロたちがここで伝道をしなかったとは言えないと思います。
最後に先週のまとめで、パウロがローマへ行って伝道するという神の御計画が成就するとお話しして、使徒言行録を三か所確認しました。しかしそれは、神の御計画であっただけでなく、パウロの願いでもあったのです。それを確認したいと思います。
使徒19:21 このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」と言った。
このような神の国の働きは、永遠の価値を持つ働きで、パウロはこの働きに喜んで献身したのです。
そしてわたしたちが神と教会のためになす働きもこれと同じです。神と教会のための献身、働きは、永遠の価値を持つ働きであることを心に覚え、私たちも喜んで仕えていきましょう。