2024年02月11日「命からがらの船旅」
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命からがらの船旅
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- 木村恭子 牧師
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使徒言行録 27章1節~44節
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聖書の言葉
わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。わたしたちは、アジア州沿岸の各地に寄港することになっている、アドラミティオン港の船に乗って出港した。テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコも一緒であった。翌日シドンに着いたが、ユリウスはパウロを親切に扱い、友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた。そこから船出したが、向かい風のためキプロス島の陰を航行し、キリキア州とパンフィリア州の沖を過ぎて、リキア州のミラに着いた。
ここで百人隊長は、イタリアに行くアレクサンドリアの船を見つけて、わたしたちをそれに乗り込ませた。幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、サルモネ岬を回ってクレタ島の陰を航行し、ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれる所に着いた。かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった。それで、パウロは人々に忠告した。「皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります。」しかし、百人隊長は、パウロの言ったことよりも、船長や船主の方を信用した。
この港は冬を越すのに適していなかった。それで、大多数の者の意見により、ここから船出し、できるならばクレタ島で南西と北西に面しているフェニクス港に行き、そこで冬を過ごすことになった。ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。しかし、間もなく「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろして来た。
27:15 船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、わたしたちは流されるにまかせた。やがて、カウダという小島の陰に来たので、やっとのことで小舟をしっかりと引き寄せることができた。小舟を船に引き上げてから、船体には綱を巻きつけ、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて海錨を降ろし、流されるにまかせた。しかし、ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。人々は長い間、食事をとっていなかった。そのとき、パウロは彼らの中に立って言った。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」
十四日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた。真夜中ごろ船員たちは、どこかの陸地に近づいているように感じた。そこで、水の深さを測ってみると、二十オルギィアあることが分かった。もう少し進んでまた測ってみると、十五オルギィアであった。船が暗礁に乗り上げることを恐れて、船員たちは船尾から錨を四つ投げ込み、夜の明けるのを待ちわびた。ところが、船員たちは船から逃げ出そうとし、船首から錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろしたので、パウロは百人隊長と兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言った。そこで、兵士たちは綱を断ち切って、小舟を流れるにまかせた。夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。
朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったが、百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 27章1節~44節
メッセージ
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<説教要約>
今朝は使徒言行録27章全体を扱います。
27章の1-3節は、いよいよローマへ向けての出発です。主語が「わたしたち」ですから、この船旅に、使徒言行録の著者ルカが同行していたことがわかります。ルカ以外にも複数の弟子が同行していたと思われますが、名前が出ているのはテサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコです。
イタリアへ向かう目的は、「ローマ皇帝の前に出頭するため」で、ここから皇帝直属部隊が護送します。部隊の隊長ユリウスは「パウロを親切に扱った」とあります。その親切さは、パウロが「友人たちのところへ行ってもてなしを受けることを許す」ほど。パウロはユリウスの信頼を得ていたことがわかります。
最初に乗ったのは小さな船でしたが、リキア州のミラで、イタリアに行くアレクサンドリアの船、前よりは大きな船に乗りかえます。ですがそうはいっても、風と人力を頼りに動く船ですから、危険な船旅です。7節「幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれた。それでで、サルモネ岬を回ってクレタ島の陰を航行し、ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれる所に着いた。」という状況です。
「良い港」は、夏の停泊には向いている港ですが、冬に向かう時期の停泊には適さない港。それで船を移動させてフェニクス港まで行くことになりました。
しかし、すでに航海には危険な時期に入っていたのでパウロは警告します。10節「わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります。」しかしこの時百人隊長は、パウロの言葉より船長や船主など、専門家の意見を聞き入れフェニクス港に向けて出港したのです。
最初はいい感じで出航できたのですが、間もなく「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろして」きました。クレタ島の真ん中にある2000メーター級の山から暴風が吹き降ろすのです。それで、もう風に逆らって進むことができなくなり、ただ流されるままになってしまいました。
20節、「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。」太陽も星も見えないと、船の位置がわかりません。そのうえ暴風は止まない。船にのっている人たちは、もう助かる見込みがないのではと思い始めました。
そこでパウロが話始めました。
21節「 人々は長い間、食事をとっていなかった。そのとき、パウロは彼らの中に立って言った。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。」これは、振り返って反省を促す言葉です。
この時、船にいた人々は、航海の技術や人間的な知恵ではもうどうにもならないことを悟っていました。
船が沈むかもしれないと感じていました。不安と恐れでいっぱいでした。ですから元気なく、沈み込んで、食事ものどを通らなかったのです。
そういう中で人々は、パウロの話を聞きました。それは、天使によって告げられた神の言葉。パウロが信じている神の言葉です。
『恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』
パウロが信じている神は、パウロがローマ皇帝の前に出頭するために、無事ローマへ行かなければならないと告げました。これは嵐の中でもパウロの命が守られてローマに行ける。そしてパウロだけが助かるのではなく、一緒に船に乗っている者たちを、パウロに任せる、という言葉でもありました。
パウロは言います。「皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」
この船に乗っている人々は、パウロたち以外はほとんどが外国人です。ですから、ユダヤ教の神、あるいは唯一まことの神を信じていない異教徒たちです。しかしこの状況下で、命が助かるならどの神でもいい。
パウロの言葉にすがって、パウロの信じている神にすがって、何とか生き延びたいと思ったはずです。
「良い港」を出てから14日間、2週間、彼らは海を漂っていました。しかし、船員たちは陸地に近付いていると感じたのです。船乗りとしての経験からわかったのでしょう。
明るくなって水の深さを測ってみると確かにだんだん浅くなってきている。これはもう、陸に近付いている証拠です。それで暗礁に乗り上げないような処置をしたのです。
またその時、船員たちは小舟を下ろして、自分たちだけ脱出しようとしたのですが、阻止されます。。
彼らは14日も飲まず食わずだったので、人々は既に気力も体力も弱っていました。そこでパウロは自分が信じる神の言葉を語り、そして人々を励まし、食事を勧めました。神に感謝の祈りをささげて、パンを食べ始めたのです。それで、一同も元気づいて食事をしました。
朝になって明るくなると、ほんとうに陸地に近付いていることがわかりました。砂浜のある入り江を見つけて、そこから上陸しようとしましたが、船が浅瀬に乗り上げて壊れ始めました。
すると兵士たちは、囚人たちが逃げるのを警戒して、彼らを殺してしまおうとしたのです。兵士たちは、まかされている囚人を逃がすと、逃がした者の責任が問われ、自分の命が危うくなります。ですから、そうなる前に、囚人を殺してしまおうと考えたのです。しかし、そこに百人隊長の思いが用いられます。
「百人隊長はパウロを助けたいと思った」それで「この計画を思いとどまらせ、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。」ここでも百人隊長の好意が用いられて、パウロの命が守られ、御名無事に上陸したのです。
今日の所から、いくつかのことを覚えたいと思います。
一つは、これまで何度もお話ししていることで、神の御心、ご計画は必ずなるということ。
三か所、聖書を確認してください。使徒言行録23章11節、27章24節、1章8節。
もう一つは別の視点ですが、嵐に巻き込まれた船で果たしたパウロの役割、働きです。
嵐に巻き込まれてなすすべがなくなった人々は、パウロの言葉を通して、パウロの信じる神を知ることになりました。ですからパウロは、ローマに着く以前に、この船の中で、まことの神を証ししたことになります。
さらにもう一つパウロが果たした役割は、嵐の中で船に乗っている人々全員の命を守ったということ。これは、まことの神を信じるクリスチャンがいることで、周りの人々にも神の恵みが及ぶ、ということです。
一コリント7:14参照。これは、神の恵みが、一人のクリスチャンを通して、その夫婦や家族にも及ぶという話です。これと同じことが、今回の船旅でも、又私たちにもいえるのだと思います。
ですから、たとえ家族に一人だけのクリスチャンであっても、小さな存在ではありません。その人を通して、神は、その家族に福音を届け、又祝福を与えてくださるからです。そうであれば、信仰に入る可能性だって、大きくなるはず。ですから、これからも未信の家族を覚えて、祈り、また支えていきましょう。