2024年01月28日「あなたに居場所を」

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あなたに居場所を

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ヨハネによる福音書 13章33節~14章10節

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聖句のアイコン聖書の言葉

子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」
ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」
イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。
わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨハネによる福音書 13章33節~14章10節

原稿のアイコンメッセージ

中心的主張点: 主イエスの恵みによって 創造主との関係の回復ができ、永久に続く平安と喜びある居場所が備えられます。

序説: 43年前アメリカの実家を離れて来日しましたが、これから引退に伴い、愛着ができた日本を離れるにも困難が伴います。ホームレスになってしまうでしょうか?ちょっと心細い思いがする日々になってきました。相応しい居場所が与えられるでしょうか?アメリカでの住居を見つけるのが現在一つの大きな課題です。そこで今日な聖書箇所を思ってわけです。

1、今日の箇所の背後にある聖書の基本的テーマと流れについて確認しましょう。
創世記の初めを見れば、そこで天地創造に伴い、人間の素晴らしい住処と創造主との交わりが与えられていることが分かります。人は本当に恵まれた状況にいました。けれども、創造主に背きこれを失います。人はエデンの園から追い出されて処罰を受け、惨めな存在となってしまいます。そこで、いかにして主との良い関係を取り戻せるのか?これが聖書の基本的テーマです。救いがどのように与えられるのかということです。様々な時代と歴史の流れが記されていますが、このいわゆる救いの問題が中心にあります。幸いと平和があり、創造主の顔の温もりを感じる居場所がどのように与えられるでしょうか。今は場合によって地上の恵まれた状況があっても、これは一時的で、結局、墓しか期待できないのか?私たちは知っています。今あるものが一瞬のうちに失われていく場合が多いです。戦争があり、予期できない自然災害もあり、大きなトラウマをもたらします。でもこれはこの世のことです。この世の終わりが来たらどうなるでしょうか。今は比較的に素晴らしい住処があっても、私たちは皆、かの日にはお墓に入り、そこで一体どうなるでしょうか。一体何を期待できるでしょうか。これについて、聖書によれば、グッドニュースがあります!イエス様が新たに私たちの居場所を備えてくださいます。それが私たちの想像力の限界を超えている素晴らしいものです。イエス様によって与えられる恵みにより 居場所がこの小さな私たちにも提供されます。そこには創造主なる全能の神様の事を「天のお父様」と呼び、そこにいれば愛し合う主の民がいて、住処があり、光と喜びの中で安全に宿ることができます。詩篇23篇もこれを次のように語ります。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い/魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(23:1-4a)

2、ヨハネ伝14章が私の父の愛称聖書箇所でした。なぜそうだったのでしょうか。私が幼い時からこれを暗唱させられ、誤解をしていました。どうしてでしょうか。ちょっと古い聖書の英訳はこうなっています。「 In my Father’s house are many mansions。」Mansionの意味についてある特定の意味があったからです。Mansionという言葉は外来語で日本語になっていますが、元々の英語の意味では豪華なでっかい屋敷の意味があります。幼い私で素直に、あっ、父は贅沢な大きな家を希望しているだろうかな、と思ったわけですね。立派な住まいでしたら、六本木ヒルズのアパートというイメージはありませんね。外来語の意味に要注意の場合が他にもありますが。実は、父は牧師の子供で、4年ごとに引っ越し、落ち着かない生活を余儀なくされました。遊牧民的な生活がきっと嫌だったと思います。お祖父さんはとてもいい人でしたが、父たちに対する配慮が足りなかったと思います。たまに同じような状況に置かれる宣教師もここで注意しなければならないかもしれません。でなければ家族は傷を負うことができてしまいがちです。1980年に胎児を宿していた妻に日本に行きたいという話を持ち出した時、妻に対して十分な配慮的思いがあったでしょうか。たまに引っ越す場合は子供がどうなるだろうかと十分に思いやりがあったでしょうか。今、米国に戻るにあたって、行くところがなく、まるでホームレスになるような思いがしていますが、ただ神
様の導きを仰ぎたいと思っています。僕らのためにどこかのマンションがあるでしょうか!
 私が大人になって、父にはきっと別の深い思いがあって、この箇所に慰めを求めていたと思うようになりました。神様は果たして自分のために居場所を用意してくださるだろうかと気にしていたかもしれません。父はある時に私に打ち開けて、子供の頃に何回も引っ越したりしたことについて、自分の親に対する怒りを抱いていたと話しました。同時に、お父さんがそのように連続的に引越しをするのは主のお働き、主の召に応えるためであると思って、自分の不満について有罪感を抱いていたと話すのでした。父はさらに人生における辛いことがいろいろあって、アルコール依存症になってしまい、これについてもなお大きな有罪感がありました。自分が罪深い、神様の前に失敗者である者のようになりますので、主はこのようなダメな自分を受け入れてくださるだろうかと気にします。そこでヨハネ伝14章の言葉に本当に深い慰めがあることがわかります。弱さと失敗があっても、イエス様にすがり、信じる人に素晴らしい約束がここにあります。「私を信じなさい。あなたの居場所をちゃんと用意するのよ」と、語りかけてくださいます。自分の良さ、功績、術でしたら、希望がありませんが、主の恵みの備えを信じて待ち望むのです。父がきっとそのように思い、この箇所に愛着ができたと信じます。これによってこそ心の平安を抱くようになります。たとえ、自分が迷い出る羊のようなものではあっても、弱さがいろいろあっても、恵みの主は私たちをお見捨てになるのではありません。イエス様のおかげで新しい命を与え、聖霊の働きかけによって信仰を与え、ご自分のすぐそばに呼び寄せて最も素晴らしい居場所を備えてくださいます。私をもあなたをも招いてくださるのです。

3、さて、今日の聖書箇所はどのような背景になっていたでしょうか。これについてだけたくさんの時間を費やすることができますが、簡単に話しますと、十字架につけられる前の夜ですので、イエス様は集中的に弟子たちを諭そうとします。ヨハネ伝の13ー17章が一つの固まりで、これを過ぎるとすぐにイエス様が裏切られ、逮捕され、次第に十字架にかけられるようになります。このようになることを主はご存知で、その弟子たちに最も大切なことを話すのです。ご自身が十字架に架けられて殺されることをすでに何回か予めお話しになってきましたが、もう時がきているので、思いがけないことが起こった時に耐えられるようにと狙っています。ご自身が罪を贖う犠牲を払うこと、これによって私たちに救いの道を切り開いてくださることを話すのです。これらのことをただ言葉で話すだけではありません。行動も伴います。彼らの足を洗って、へりくだってご自分の民に仕える僕であることを示すのです。過越祭の儀式的食事によって、昔あったエジプトからの救いよりもはるかに大事な罪からの救いを描写してくださります。弟子の一人がご自身を裏切ること、第一の弟子ペテロがご自分を「知らない」と否定することを予め話します。彼らには十分に理解する能力がありませんが、彼らへの豊かな配慮があります。預言者たちが語ったとおりに実現するので、これが 神様が定めたご計画であることを理解させようとします。
 私たちはここで主イエス様の決心を十分に理解できているでしょうか。主は人々の背きの責任をご自身で負って十字架にかかります。そのために一時的に彼らから離れます。が、後になればまた一緒になります。彼らに対して配慮して、彼らが信仰を捨てないように整えます。彼らのために祈ります(17章のとおりです)。復活して彼らのところに戻ることを丁寧に話しておきます。
 彼らは弱くても主に愛されていることを信じ、一時的な当惑を乗り越えます。主はさらに聖霊を彼らに送り、ご自分が彼らに話している言葉を正確に思い出すことができるようにと約束してくださいます。そして最も大切なこととして、もう一度救いの道を、創造主なる天のお父様との交わりの回復の道を教えてくださいます。ヨハネ伝14章1ー6節をもう一度聴きましょう。「『心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。』トマスが言った。『主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。』イエスは言われた。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』」

4、永遠の居場所に行く道、それがどんな様子か、幾つか確認しましょう。まず、創造主との良き関係を取り戻させてくださるのがご自分であるとイエス様が教えます。これについてキリスト教会にこだわりがあり、人の徳を高めるのなら、仏教でもイスラム教でも、どんな宗教でも良いとか、という考えを否定します。まあ、下手にこだわって人を躓かせるほどのうるさいクリスチャンもいるかもしれませんが、イエス様によってだけしか救いがないことをイエス様ご自身がおっしゃっておられることです。このお方こそがエデンの園に戻り、創造主なる父なる神様との健全な関係を取り戻させてくださるお方です。キリスト•イエス様にだけ頼るべきことに納得できるでしょうか?それとも躓きますか?このお方を信じて、このお方に従うことによって、たとえ、困難や試練や迫害さえあっても、約束されるとおり、主が用意してくださる住処、居場所に入ることができます。たとえ、私たちがペテロのように失敗して一時主に背くことがあってもです。
 また確認したいもう一つのことですが、イエス様が提供する救いはただ「死んで天国に昇っていく」のではありません。これをはるかに超えていることです。福音書を記した同じヨハネに与えられた黙示録の21章と22章に記されている通りです。黙示録の21章、22章に新しい天地の様子を伺いましょう。時間の関係で一部だけ読んでおきます。「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。』」(21:1-4)。「天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。」(22:1-4)。ここに記されている通り、エデンの園以上の素晴らしい住処が与えられるのですから、主の民はその実現まで忠誠を尽くして励みます。これに入るにはどうすれば良いかをもう一度確認しましょう。これを用意してくださるのはイエス様です。ここに入らせてくださるのもイエス様です。どのように準備するのかをすでに弟子たちに話しました。彼らからしばらく離れること、つまり、十字架にかかって、死んで、葬られます。弟子たちにとって心の痛みと恐れと当惑を味わうことになりますが、しかし、主はまた彼らのところに戻ります。40日間にわたって彼らと一緒にいて、彼らの教育を施し、それから天に昇って行かれ、聖霊を送ってくださいます。そうしてこの世に対する創造主の最後の計画が実現に移ります。地の果てにまで救いの福音が宣べ伝えられます。その後は天地が一切亡び去り、新しいものが完成されたまま、現れるのです。ヨハネ伝14:3:「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」と。

5、永遠の住処はいいのですが、苦しみある今はどうすれば良いでしょうか。遠い将来あるいは来世の話はいいのですが、今は苦しみがあります。大地震や津波、台風や火災、愛する者に死別されて、すべてを失ってしまうことがあります。ことがうまくいく時もあれば、試練の時もあります。つまらないことですが、私と妻の次が一体どうなるのかもわかりません。
 永遠についてイエス様によってベストの備えがあると信じています。だから、今が苦しんでいる者に手を貸す時です。かの日が来るまで忍耐して待ち、その時まで主が示しまた命じている愛し合う道を歩みます。ヨハネ伝13章34-35節:「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

決論:大震災、小規模の災害、火災、病、色々な苦しいこと、戦争さえ起こってきます。イエス様は永遠について豊かに備えておいてくださいます。ですから私たちは イエス様の約束を信じて、主の弟子らしく生き、人に居場所を提供しましょう。救いのメッセージを告げ広めると同時に、真心を込めて真実な隣人愛を示しながら歩みましょう。お互いを愛し合う、隣人を愛し合う、また、イエス様がなさったように、敵でさえ愛するのです。足を洗い合い、人の救いのために命をも惜しまないで犠牲を払います。緊急事態に対応して、長引く心のケアーを与えます。これが私に期待される神様の御心です。これがあなたがたにも期待される神様の御心です。
 どうか主がそのみことばを私たちすべての心のうちにちゃんと書き記してくださいますように。主イエス様による備えあることを信じさせてくださいますように。来ようとしているみ国を待ち望ませてくださいますように。アーメン。

祈祷:寄り頼む人を確実に救いに入れ、永遠の住処を用意してくださいます主イエス•キリストの素晴らしい恵みを感謝申し上げます。実際にそのためにご自身でホームレスとなり、十字架の死を耐えるまで大きな犠牲を捧げて、天の父なる神様に立ち返る道を切り開いてくださいました。私たちの住むところを用意してくださる約束を確認できたことを感謝いたします。このお約束を肉体の耳でだけでなく、心の耳で聞かせてくださり、しっかりした信仰へとお導きください。道であり、真理であり、命であるイエス様による唯一の救いをすべての人に分かち合い、ますます大勢の者と共に主の恵みを賛美する結果となります様に、なお小さなことしかできない私たちの歩みと働きをお導きください。今も苦しい思いを持っておられるすべての人に必要を満たしてくださいます様に。

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