2023年12月24日「預言が実現するとき」

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占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。
こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、/慰めてもらおうともしない、/子供たちがもういないから。」

ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マタイによる福音書 2章13節~23節

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2023年12月24日 クリスマス礼拝説教 マタイ2:13-23 「預言が実現するとき」

クリスマスは、イエス・キリストのご降誕をお祝いするときですが、お祝いというよりは「イエス・キリストが人としてお生まれになったことを感謝するとき」です。

イエスの誕生は、普通の人間の誕生とは大きく違っていました。マリアが妊娠した時、天使が、ヨセフとマリアそれぞれのもとにあらわれて、その子は「聖霊によって宿った」と告げています。「聖霊によって」とは、「神の力によって」ということです。それで、イエス・キリストは神の御子と言われるのです。
受胎はそうであったとしても、やはりマリアの子宮の中で成長し、人間として生まれたのですから、神でありつつ、しかし同時に、肉体を持った人間で、私たちと同じように、痛みや苦しみ、空腹や疲れ、喜びや悲しみを感じる、そういう人間としての肉体と感性を持った方でした。
ただ一つ、人間と違う点は、この方は生涯、神と共に歩み、罪を犯さなかった、ということです。
ですから、イエスの誕生は、神の御子、神の独り子が、人として地上にお生まれになった、ということ。
さらに重要なことは、イエスが人として地上に生まれた目的です。
イエスは、罪ある人間の身代わりに、十字架にかかって、罪の裁きを受けるため。罪の無い方が、罪ある人間に代わって十字架で死ぬことで、神は、わたしたちの罪を赦してくださる、これが神の永遠からの救いのご計画でした。ですから、イエスの誕生前後には、不思議なことがいろいろ起こっています。

不思議な出来事の一つに、外国から数人の学者が星に導かれて、イエスを礼拝しに来た、という出来事があります。それが2章1-12節に記されている話です。彼らはある時、天に不思議な星を発見しました。そして、星と、旧約聖書の救い主誕生の預言を結び付けて考え、その星を「ユダヤ人の王の誕生のしるし」と理解し、はるばるエルサレムへとやってきたのです。
ユダヤ人の王なら、王の宮殿にいるはずと考え、ヘロデ王のもとを訪ねました。しかし、その話を聞いたヘロデは、自分が手にしている地位や権力がおびやかされるのではないか、と不安になりました。それで彼は、強硬手段に出たのです。それが、今日の箇所13節から23節です。

これは、ヘロデ王の晩年の頃の話です。ヘロデには妻が10人、子どもが十数人いました。しかし妻や子が絶えず陰謀を巡らせ、後継者争いを繰り返したため、ヘロデは疑心暗鬼となり、残虐な行為に走りました。
妻を殺害し、陰謀の疑いで3人の息子を殺害しました。こんな具合に、ヘロデは大王としてユダヤに君臨し、権力をふるい、宮殿で贅沢三昧の生活をしていたにもかかわらず、心休まることなく、とても不幸でした。富と権力を手にして、殺人でもなんでも、思いのままに行える。しかし、人を思いやり、民を思いやる心を持たなかったヘロデの人生の末路は、大変不幸でした。多くを得ても、彼の人生は決して幸いな人生ではなかった、ということです。

一方で、ヨセフ一家はどうだったでしょうか?
今日の所を読んだだけでも、ヨセフ一家は、ヘロデに命を狙われ、逃げ回って安心できる状況ではありません。しかし、神は、その都度ヨセフに夢で危険を知らせ、逃げ道を示しました。
聖霊による誕生の告知を受けた時も、ヘロデが子どもの命を狙っているというお告げを受けた時も、エジプトからユダヤに戻ってからも、ヨセフは慌てず、騒がず、天使の言葉に従って行動しました。
マタイ福音書は、これらの状況を淡々と記しています。けれど実際には、この一家の運命、イエスの命は綱渡り状態で守られた、というのがふさわしいような状況でした。
しかし、これは偶然に魔の手から逃げ延びることができた、ということでは決してありません。
神は、ヨセフ・マリア・そしてイエスが、ヘロデの手から逃れるために、初めから道を準備していたのです。
神は、ヨセフに夢のお告げを示して彼らを守ることで、永遠からのご計画、神の御子イエス・キリストを用いて人類を救うという計画を進められたのです。

この世の権力者であるヘロデが、自分の地位を守ろうと躍起になっても、結局彼の思い通りにならず、幼子イエスを殺すことはできませんでした。人の罪や悪がどのようにはびこったとしても、神のご計画を変えることはできない、ということです。
キリストの誕生によって、神の救いのご計画が地上において確かに始められました。新約聖書によれば、この救いのご計画は、キリストの十字架と死、復活と昇天によって、確実に前進しています。
今、イエス・キリストによる神の救いを信じる者たちは、神の民とされ、神と共に生きる命が与えられています。その、最初の一歩がイエスの誕生です。このように、神の救いの働き、御業が、すでに始められているのです。

しかし、同時に罪の世は、今も続いています。
2章16-18節には、ヘロデが2歳以下の男の子を皆殺しにした、という痛ましい事件が記されていますが、
世界には、今も同じようなことが起こっています。
約ひと月前、ガザ北部にあるシファ病院が攻撃を受け、新生児が犠牲になったという記事、また命が救われた新生児がガザ地区南部へと移送されたという報道記事を見ました。しかしその後、ガザ地区南部への攻撃が始まりました。しかし、ハマスによるイスラエル人への報復も起こっていて、終わりが見えません。
ロシア、ウクライナ戦争も、先が見えない状況が続いています。
どちらも、政治的な背景や、歴史的、宗教的な原因はいろいろあるのでしょう。しかし、根本には人の欲、心の罪があります。本当に残念なことですが、人の心に罪があり続ける以上、このような悲劇は絶えることがありません。

今、この世界には、そして私たちの心には、罪からの救いが必要です。
クリスマスに誕生した神の御子、イエス・キリストを信じ、罪赦されて、神に従って歩む歩みの中でこそ、神を愛し、隣人を愛することができるし、そうなって初めて真の平和が与えられるのです。

神の約束の成就、預言の実現、という形で、神の救いの御業が少しずつ広がっています。
ですから私たちは、希望を持ちたいと思うのです。

1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

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