2023年12月03日「クリスマスの話1 永遠からの約束」
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クリスマスの話1 永遠からの約束
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- 木村恭子 牧師
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マタイによる福音書 1章1節~17節
聖書の言葉
アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、
1:5 サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。
バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。
こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マタイによる福音書 1章1節~17節
メッセージ
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今日から待降節、アドベントに入ります。今年のアドベントの礼拝は、マタイによる福音書を中心にメッセージをいたします。今朝はマタイによる福音書1章1~17節です。
1:1は「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」という言葉で始まっています。ここは、2節~16節にある系図の表題のようなものですが、ここに、すでに大切なことがまとめて語られています。
まず、この系図は、アブラハムの子孫の系図です。今から4000年くらい前、神はアブラムという人を選び、彼と彼の子孫に祝福の約束を与えました。
「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。」(創世記22:18a)
アブラハムは神を信じる正しい人だったので、神に選ばれたのでしょうか? いいえ、違います。
アブラハムは、もとはまことの神を知らず、他の神々を拝んでいたのです。しかし神の方でアブラハムを選び、彼とその子孫に祝福の約束を与えました。しかしこの約束は、アブラハムだけでなく地上の諸国民を視野に入れた約束でした。
第2にこの系図は、ダビデの子孫の系図です。ダビデに与えられた約束がサムエル記下7章11節以下に記されています。「主があなたのために家を興す。 あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。 この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。私は彼の父となり、彼はわたしの子となる。」この約束は、アブラハムへの約束より具体的になっています。神は、ダビデに彼の王国をしっかりしたものとする。そして彼の子孫の中から神の子を誕生させるということが示されており、これが神の祝福の中身です。
第3にこの系図はイエス・キリストの系図です。「イエス」という名前は一般的なユダヤ人の名前で、旧約聖書(ヘブル語)では「ヨシュア」、「ヤハウエは救いである」「神は救いである」という意味を持つ名前です。「キリスト」の方は、「メシア」「油注がれた者」という意味です。ですから、「イエス・キリスト」とは、「イエスはメシア、救い主である」という意味です。
このように、「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」という表題は、神がアブラハムになさった約束と、ダビデになさった約束を実現される方として、イエスが誕生したという系図であり、イエスは「メシア、救い主」であり、「神の子」である、という大切な表題なのです。
では、この系図は今の「私たち」にとって、どんな意味があるのでしょうか? それを知るためにはアブラハムよりもっとずっと前、人が神によって造られた時の話にさかのぼらなければなりません。天地創造に続く、人間の創造の話です。
神は天地創造の最後に人をお造りになりました。人を土の塵でかたちづくり、そして人の鼻に「命の息」、「神の息」をフッと吹き込まれました。そうして人は「生きる者」となったと創世記に記されています。
最初の人間は、神の手によって誕生し、神の息、命の息を吹き込まれて、神の祝福の中で、神と豊かな交わりを持つことができる者でした。人はエデンの園におかれ、神と豊かな交わりを持ちながら、神に従って、神と共に平和に生きるはずでした。ところが、最初の人類であるアダムとエバが、蛇に化けたサタンにだまされて、神に禁じられていた「善悪の知識の木の実」を食べてしまいました。人は、神に背を向け、自分の意思に従って生きることを選んだのです。これは神にそむく大~きな罪でした。
その後、人はエデンの園から追放され、神との命の関係が失われ、「死ぬべきもの」となりました。今の私たちの労苦、罪、悲惨、などなど、全ての罪と悲惨の根元はここにあります。
しかし神は、人間をそのままお見捨てになりませんでした。それが創世記3章15節に記されている「原福音」ともいわれる大切な約束です。
「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭(あたま)を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」不思議な言葉ですが、これが聖書の中に記されている最初の福音です。
「人間の子孫、女の子孫として生まれる方が、サタンの頭(あたま)を砕いて、サタンに決定的に勝利する」という約束です。サタンの頭を砕いて勝利する方こそが、約束の救い主イエス・キリストなのです。
創世記3章に記された不思議な約束が、アブラハムによって受け継がれ、そしてダビデまで14代、ダビデからバビロン移住まで14代、そしてバビロン移住の後、マリアの夫ヨセフに受け継がれ、ついに、アブラハムの子ダビデの子イエス・キリストの誕生となったのです。マタイがアブラハムから書き始めた系図、これは実は、アダムの堕落の後、神が私たち人間を救うため、もう一度神との豊かな交わりを回復するために、神の側から始められた救いの御計画なのです。
そこまで理解したところで、先ほどの系図をもう少し詳しく見ましょう。連ねられた名前は、人物は、いったいどんな人たちでしょうか? いろんな人がいます。一般の人もいるし、王様の名前もあります。男性だけでなく、女性の名もあります。ユダヤ人だけでなく、異邦人と言われる外国人もいるのです。またここには、連なる人々の罪や弱さまでが記されています。
アブラハムは、もとは異教の神を信じる人でした。それを神がお選びになったのです。3節に「ユダはタマルによってペレツとゼラを」とありますが、タマルはユダの息子エルの嫁。つまり、ユダと息子の嫁の間に生まれたのがペレツとゼラです。5節に名前のあるラハブは遊女であり、ルツはイスラエル人が嫌うモアブ人でした。さたに「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」とあります。「ウリヤの妻によって」つまりダビデは「人妻」に子どもを産ませ、それがソロモンだというのです。ダビデのあとに続く人の中には、まことの神を捨て異教の神に走った王の名もあります。そして、その結果、ソロモンが建てた立派な神殿は壊され、国は滅び、民はバビロンへ移住させられることになったのです。その頃になると、多くの人々は神の祝福の約束などすっかり忘れてしまったことでしょう。
しかし神は、アブラハムの子孫たちに腹を立て、愛想をつかし、祝福の約束をとりやめる、ということはなさいませんでした。
神は、世界の民を祝福に入れる救い主がアブラハムの子孫から出るよう、何千年にもわたる長い歴史を通して働いてくださったのです。これは、ただただ、神の側の熱心、熱意であり、それがこの祝福の約束の系図です。そしてこの系図からイエス・キリストが誕生したのです。
そして今、神は、この場にいる私たちを選び、祝福の系図に連なるものとして、イエス・キリストを信じる信仰を与えてくださいました。わたしたちも、系図の中の人たちと同じように、ある時は神を忘れ、ある時は神を悲しませる罪を犯してしまいます。
しかし、それでも神は、約束をお忘れになりません。
「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって、(つまりイエス・キリストによって)祝福を得る。」
この約束の実現のために、神は今も歴史の中で、又私たちの心に、生きて働いておられるのです。