2023年10月15日「人生、何を手にすれば幸いか」

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人生、何を手にすれば幸いか

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
ルカによる福音書 12章13節~34節

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群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」
イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。
命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。
野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。
あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。
あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ルカによる福音書 12章13節~34節

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<説教要約>
ルカによる福音書12章13-34節 「人生、何を手にすれば幸いか?」

話の始まりは、一人の人とイエスの対話です。この人がイエスに、財産分与に関する調停をお願いしたのです。しかし、イエスはこの願いを退けられました。そして、この後16節から21節までで、たとえ話を語ります。富は手にしたけれど、幸いとは言えない「金持ちの話」です。

15節「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
この発言の前半「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい」、「注意を払い、用心しなさい」と、同じような言葉が重ねられています。これは「よくよく気をつけなさい」ということです。
では、何に気を付けるのか。それは「貪欲」に、です。「貪欲」とは、「必要以上に」「もっともっと」「人のものを取り上げても」「人の権利を踏みにじっても」という強欲です。
15節後半で理由が語られています。「有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」直訳では「豊かであっても、命は持ち物によるのではない」というような感じでしょうか。
この後16節から20節までがたとえ話。21節がたとえ話の結末です。
ある年、金持ちの畑の穀物は豊作でたくさん作物が実ったので、倉に入りきれません。そこでこの人は
もっと大きな倉を建て、そこに保存しておこうと考えます。そうすればこの何の心配もなく、贅沢に生きていくことができる!と。
しかし、この人の命は、長くありませんでした。神は「今夜、お前の命は取り上げられる。」と言われたのです。たとえ話は21節の言葉でまとめられています。
12:21「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

この話を聞いて、何をお感じになるでしょうか? 
この金持ちの問題は、「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」という言葉に隠されています。富を独占して、自分のためにだけに使おうとしたこと。「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(12:21)地上で財産を手にしても、それを独り占めして、周囲のことを考えない生き方は、幸いな人生ではないということです。

しかし、話はここで終わりません。22節からイエスは、「弟子たちに」対して話の続きを語っておられます。
ですが、先ほどの、有り余る富の使い方に悩む金持ちの話しとは違って、日々の生活のことを心配して悩んでいるという話です。弟子たちはイエスと一緒に町や村を巡り歩いて、福音宣教をしていました。ですから、日常の必要のことでいろんな苦労があったはずです。私たちも、どっちかと言えば、先ほどの金持ちの悩みより、こちらの悩みの方が近いかもしれません。ですが、イエスは言います。
22-23節 「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。」と。そして空の鳥、野原の花の話を例に出してお語りになりました。「カラスの事、野の花の事、それらをよく見て、考えなさい!」と主イエスは言われます。
カラスも野の花も、神さまのご支配の中で、生き、そしてその生涯を終えていくのですが、イエスは、「あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。」とおっしゃいます。神は、人間をご自身に似たものとしてお造りになりましたから、神の前で人間は特別な存在なんですね。カラスや野の花を養い、装わせ、それぞれの生を全うさせてくださる神は、それ以上の存在である人間を、価値あるものとして愛し、養い、生かしてくださる。そうであればこれほど安心なことはありません。だから「思い悩むな!」です。
「 あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。」(12:25-26)
人は健康を維持するため、長生きするため、いろんな努力をします。神にいただいている肉体を、人生を大切にすることは重要なことです。でも、どうでしょうか。そういう諸々のことに時間とお金を費やしても、どれほど寿命を延ばすことができるでしょう? 結局は地上生涯の死は、誰一人避けて通ることができないのです。
しかし主イエスは言います「あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。」と。
ここ、注意が必要です。「神はカラスを養ってくださる。」、野の花に対しても、「神はこのように養ってくださる。」。しかし、弟子たちに対しては、「あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。」と言っておられます。
神が、キリストにあって私たちの父となって下さる。イエス・キリストを救い主と信じ受け入れた者は、キリストに結ばれて神の子とされている。だから神は「父」として私たちに接し、配慮してくださるのです。父は子どもの必要を全てご存知で、最もふさわしい時に、必要な物を与えてくださるのです。
私たちが神の子どもという身分であれば、何を食べようか、着ようかと、心配し、悩み、あくせく探し求める必要はないのです。それで、31節「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。」と続くのです。
「神の国」とは、人が死んだ後に行く天国のことだけではなく、もっと大きな含みを持つ言葉です。神が父として私の人生を配慮してくださる場、神の御心が実現する空間、あるいは領域といってもいいでしょう。神の国に入るためには、イエスを神の御子、私の救い主と信じること。信仰を通して私たちは神の子としていただくことができるのです。ですから、「神の国を求めなさい」とは、「主イエスを信じなさい」と同じことです。主イエスを信じ、神の国、神の恵みの支配の中に入れられたなら、私たちに必要なものは、加えて、さらに、与えられる、と主イエスは言っておられるのです。

32節「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」当時、主・イエスの弟子の数は、ユダヤ教の信者に比べるならほんの一握り、小さな群れでした。ですが、主イエスは弟子たちに「恐れるな!!」と言われる。「あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」と言われる。
神は、主イエスを信じた弟子たちの父として、喜んで、満足して、神の国を与えてくださいます。

33、34節は、32節までと話が変わっているように思いますが、13-21節の「愚かな金持ち」の話の結論、と考えるとよくわかります。ここでは、地上の富、物欲に捕らわれる生き方ではなく、天に宝を積む生き方、イエスを主と信じ、神を父として、神の国の民となって、地上生涯を終えた後まで続く神の祝福を求める生き方をしなさい、と教えられているのです。
34節「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」 富とは、宝とも訳せる言葉です。あなたの宝は何でしょうか? 人生において最も大切と考えているものは何でしょうか?
人生の中で最も大切なものは、地上の生涯を終えた後まで続く祝福、神の国の祝福です。主イエスは、「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。」と教えます。そして、「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」と私たちを励ましておられるのです。 

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