2023年09月17日「誤解から混乱へ」
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誤解から混乱へ
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- 木村恭子 牧師
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使徒言行録 21章27節~40節
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聖書の言葉
七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」
彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、守備大隊の千人隊長のもとに届いた。千人隊長は直ちに兵士と百人隊長を率いて、その場に駆けつけた。群衆は千人隊長と兵士を見ると、パウロを殴るのをやめた。
千人隊長は近寄ってパウロを捕らえ、二本の鎖で縛るように命じた。そして、パウロが何者であるのか、また、何をしたのかと尋ねた。
しかし、群衆はあれやこれやと叫び立てていた。千人隊長は、騒々しくて真相をつかむことができないので、パウロを兵営に連れて行くように命じた。パウロが階段にさしかかったとき、群衆の暴行を避けるために、兵士たちは彼を担いで行かなければならなかった。
大勢の民衆が、「その男を殺してしまえ」と叫びながらついて来たからである。
パウロは兵営の中に連れて行かれそうになったとき、「ひと言お話ししてもよいでしょうか」と千人隊長に言った。すると、千人隊長が尋ねた。「ギリシア語が話せるのか。それならお前は、最近反乱を起こし、四千人の暗殺者を引き連れて荒れ野へ行った、あのエジプト人ではないのか。」
パウロは言った。「わたしは確かにユダヤ人です。キリキア州のれっきとした町、タルソスの市民です。どうか、この人たちに話をさせてください。」千人隊長が許可したので、パウロは階段の上に立ち、民衆を手で制した。すっかり静かになったとき、パウロはヘブライ語で話し始めた。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 21章27節~40節
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<説教要約> 9/17 使徒言行録21章27-40 説教題「誤解から混乱へ」
今朝は使徒言行録21章27節から最後、40節までです。
パウロは、エルサレム教会の長老たちのアドバイスに従って「4人の誓願者と一緒にパウロ自身も身を清めること、その費用をパウロが支払うこと、そして神殿に供え物をささげること」を実行しました。パウロは、エルサレム教会内での無用な対立を防ぎたかったのです。しかし事はそれでおさまらず、思わぬ方向へ向かいました。
27節、28節「七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった。」とあります。
「アジア州から来たユダヤ人たち」とは、エフェソからやってきたユダヤ人、ユダヤ教徒たちのことで、彼らは巡礼のためにエルサレムにやってきていました。彼らは、エフェソでのパウロたちの熱心な伝道と、それを聞いた多くの異邦人がイエス・キリストを信じて教会に加わったことを知っていました。パウロが異邦人キリスト者に対して、割礼は必要ないと教えていることも知っていたのです。そういう彼らがパウロがエルサレム神殿にいるのを見て、これはいい機会とばかりに、ユダヤ人の群衆をあおり立てたのです。
前にもお話ししたとことがありますが、エルサレム神殿は、誰でもどこにでも入っていいというわけではありません。一番奥の庭まで入って祈りをささげることができるのはユダヤ人男性だけ、その外側にイスラエルの婦人の庭があり、さらにその外側に異邦人の庭があります。それぞれの庭の間に石垣があり、異邦人の庭とイスラエルの婦人の庭の間には立札があって、「異邦人がここから先に入ると死をもって罰せられる」と記されていたそうです。パウロはユダヤ人ですから、神殿の内庭に入ることはできます。
しかし、異邦人であるギリシア人を連れてそこに入ったとしたら、これは大変なこと。そのギリシア人は死をもって罰せられることになります。当然パウロはそのことを知っているはずですから、異邦人を連れて入るはずはありません。
29節、30節「彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。」
「パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思った」とありますが、それを現行犯で捕まえたわけではありません。ですから、これは誤解か、あるいはパウロを陥れようとした悪意ある言葉、デマです。
しかしこの話があっという間に広がって、神殿は大騒ぎになりました。パウロは神殿から引きずり出され、大勢の人々から暴行を受け、その騒ぎがあっという間にエルサレム中に広がったのです。
この騒ぎはすぐに神殿の近くを警備するローマ軍の千人隊長に報告されました。千人隊長が兵を連れて駆け付け、彼の介入でパウロはユダヤ人の暴行から助け出されたのですが、パウロは正式に逮捕されてしまいます。
33節、34節「千人隊長は近寄ってパウロを捕らえ、二本の鎖で縛るように命じた。そして、パウロが何者であるのか、また、何をしたのかと尋ねた。しかし、群衆はあれやこれやと叫び立てていた。千人隊長は、騒々しくて真相をつかむことができないので、パウロを兵営に連れて行くように命じた。」
千人隊長は、パウロを取り巻いているユダヤ人たちに「パウロが何者なのか、何をしたのか」と尋ねました。しかし群衆は興奮して騒ぎ立てているだけ。そのうえ、群衆はパウロをさらに暴行しようとしていたので、パウロを保護するため、兵士たちにパウロを担いで兵営へ連れて行くよう命じたのです。
その途中でパウロは、千人隊長に「ひと言お話ししてもよいでしょうか」とギリシア語で話しかけました。パウロがギリシア語を話すことを知って、千人隊長は驚きます。千人隊長は、パウロを、ローマ帝国に対する暴動の首謀者で、最近反乱を起こしたエジプト人だと思っていたからです。しかしパウロがローマに対する暴動を起こした人物でないと知って安心し、パウロに弁明の許可を与えました。
40節「千人隊長が許可したので、パウロは階段の上に立ち、民衆を手で制した。すっかり静かになったとき、パウロはヘブライ語で話し始めた。」というわけで、今日の話はここまでです。
誤解、あるいは悪意ある言葉、デマがきっかけで、エルサレムが大混乱になり、それを鎮めるためにローマの軍隊が出動し、パウロが逮捕されたのです。人は確かでない情報でも、大勢集まると簡単に騙され、混乱が起こるのです。
ところで、今から100年前の9月1日関東大震災が圧制しました。今年は100年目になります。
あるデータには死者・行方不明者は推定10万5,000人とありました。東日本大震災は、2023年3月現在「震災関連死」を含め死者・行方不明者は2万2212人だそうです。ですから、関東大震災の被害の大きさがわかります。
しかし、関東大震災の時、「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」というデマが流され、それがきっかけになって多くの朝鮮の人が虐殺されるということが起こりました。デマを信じた官憲や自警団などが、多くの朝鮮人や共産主義者を虐殺したのです。100年前の事件で、しかも関東大震災の混乱の中でのこと、正確な犠牲者数はわかりませんが、数百名~数千名と言われています。
言いたいことは、不確実な情報や、悪意ある言葉がきっかけで大混乱になって、暴動が起きたり、殺人が起こることがある、ということです。最初は小さな悪意でも、それが大きくなると本当に収集がつかなくなる、そういうことが起こるのです。これは、私たちも人ごととして聞いていてはいけないと思います。
日頃から、優しい言葉、誠意ある言葉、偽らない言葉を語ることの大切さを覚えたいと思います。
同時に、不確実な情報をうのみにしないことです。
今、ネットにはいろんな情報があふれていますが、それがすべて真実というわけではありません。悪意ある情報操作、ということもあるからです。
それで、今朝はエフェソの信徒の手紙4:29をご一緒に読みたいと思います。「 悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」
「悪い」とは「ダメになる」という意味のギリシア語です。人をダメにするような言葉を口にするな!
後半の「聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」
「恵みが与えられるように」とは、神の恵みが与えられるようにということ。神の恵みの究極は、永遠の命神を信じる信仰です。私たちが語る言葉を通して、人を神のもとへと導くことができるように、そういう言葉を私たちが語るようにという教えです。
ところで、今日の箇所でパウロは、混乱に巻き込まれ、ローマ軍に逮捕されてしまいました。これは、カイサリアでアガボが語った聖霊のお告げの通りになった、ということです。
しかし、神にはご計画がありました。この事件を通してパウロのローマ行が実現するのです。神のご計画の中では、禍や試練もすべてが益となる。このことを覚えて、たとえ今困難な中にあっても、希望を持ちたいと思います。