2023年07月30日「夜明けまで続いた礼拝」
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夜明けまで続いた礼拝
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- 木村恭子 牧師
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使徒言行録 20章1節~12節
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聖書の言葉
この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。
週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。
わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。
パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 20章1節~12節
メッセージ
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<説教要約> 使徒言行録20章1-12、 説教題「夜明けまで続いた礼拝」
今朝は20章1節からです。「この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。」
エルサレムに行くのに、わざわざマケドニア州、つまりヨーロッパを経由する必要はありません。
ですが、パウロには目的がありました。パウロはフィリピ教会から始まって、第2回伝道旅行で訪ずれた町々、教会を訪問し、主だった人々に会い、み言葉による励ましを与えたり、様々な相談に乗ったりしたのでしょう。牧会者としてのパウロの働きです。最後はギリシャのコリントで3か月過ごしました。この間に、これから訪問するつもりのローマの信徒へ手紙を書いたと考えられています。
しかし、いよいよ船が出航するときになって、ユダヤ人の陰謀が発覚しました。恐らく暗殺計画でしょう。それでやむなく、マケドニア州を通って帰ることにしたのです。
4節に先発の同行者7人の名が記されています。
20:4 同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。
彼らは、各地の異邦人教会からの使者で、献金を携えて行くこと、そしてエルサレム教会に異邦人伝道の感謝とあいさつを伝える任務を与えられていた人々でした。
何故、エルサレム教会に献金することが必要だったのでしょうか。
当時エルサレム教会は、ユダヤ教社会の中で、経済的に弱い立場にあり、又やもめや子どもたちを受け入れていたこともあって、教会は困窮していたようです。そこでパウロは、エルサレム教会を支えるため、異邦人教会に援助献金を募っていたのです。使徒言行録だけでなく、他の手紙にもこのことを記しているところがあります。使徒24:17、Ⅰコリント16:1-2、ローマ15:25-28などご覧ください。
ここでパウロは大切なことを教えています。
彼らは喜んで同意しましたが、実はそうする義務もあるのです。異邦人はその人たちの霊的なものにあずかったのですから、肉のもので彼らを助ける義務があります。 「援助する義務がある」という教えです。
同じキリストを主と信じて生きるとき、わたしたちには二つの交わりがあります。それは、キリストとの交わり(神との交わり)と、信者同士の交わりです。特に信者同士の交わりということでは、互いに賜物と恵みによって仕え合うことが義務づけられています。具体的には内なる人への配慮(霊的な配慮)と外なる人への配慮。霊的配慮と共に体や生活への配慮も含まれます。信者同士、互いを配慮しながら一緒に天国までの歩みを進めていくという教えは、キリスト教会が誕生したときからの教えであることがわかります。
次の7節からはトロアスでの話です。
7節に「週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると・・・。」とありますが、これは日曜日のこと。この頃すでにキリスト教会は週の初めの日、つまりイエスが復活なさった日曜日に集まって聖餐式を行い、礼拝をささげていたのです。パウロ一行は、日曜日にトロアスの人々と一緒に礼拝をささげ、翌日出発するということだったんです。この日、一行とトロアスの信者たちは、ともに集って礼拝をささげました。もちろん説教者はパウロです。ところが、パウロの説教は夜中まで、いえ、最終的には夜明けまで続いたのです。
聖餐式が礼拝のはじめに行われ、そのあとでパウロの話が続いたのでしょう。屋上にランプの灯がたくさんともって揺らめいていました。そこに、たくさんのキリスト者が集まって、ともに聖餐の恵みにあずかり、又パウロの説教に聞き入っていたのです。
パウロはそこで何を語ったのでしょうか?
思い返せば、第2回の伝道旅行では、伝道する行き先が定められず、あちこちさまよった末にたどり着いたのがトロアスでした。行こうとする町々で、「み言葉を語ることを聖霊から禁じられ」また、「イエスの霊がそれを許さなかった」。パウロはこんな風にして、行く先が定められず、自分の計画と神のご計画の間で、翻弄されていました。しかし、トロアスの町まで来て、ここで神からの幻を通して、ヨーロッパへ渡る道が示され、パウロはすぐにそれを実行したのです。有名な「マケドニア人の幻」の話です。
しかし、ヨーロッパへ渡ったパウロを待っていたのは、救いへと定められていた大勢の主の民たちでした。パウロは、フィリピ、テサロニケ、ベレヤ、アテネ、コリントで伝道し、多くの異邦人たちが、イエス・キリストを信じて洗礼を受け、神の民が集められて、それぞれの町に教会が建てられました。
神は、パウロたちの働きを用いて、壮大な働きを計画しておられたのです。
パウロはここで改めて、神のご計画があること。わたしたちはそのご計画の中で、用いられること。しかし、その歩みには神の守りと祝福があり、神のご計画が最善であること、などなど、語ったことでしょう。そして、トロアスの人々も、この先々、どのようなことが起こっても、神のご計画に信頼し、神に従って歩むようにと勧めたと思われます。
ですが礼拝の中で大変な事故が起こってしまいました。礼拝が行われていた「階上の部屋」からエウティコという青年が転落して、死んでしまったのです。ルカは「起こしてみると、もう死んでいた」と記しています。医者ルカの記述ですから、仮死状態だったとか、ただ気を失っていただけ、ということではありません。
しかし、10~12節「パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。」とあります。礼拝の中で、屋上から落ちて確かに死んだ青年エウティコが、再び生かされる、ということが起こったのです。礼拝の中で、パンが裂かれイエスの十字架を覚え、さらには「命を生かす神の力」を見ることができたのです。そうして、12節「 人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。」とあります。こうして、トロアスでの礼拝は、喜びに満ちたものとなったのです。
今日の話からは、三つのことを覚えたいと思います。
一つは「聖徒の交わり」です。パウロは異邦人教会で献金を集めて、それをエルサレム教会へ届ける、ということを人々に求めました。これは、世間一般の慈善活動とは異なる性質のものであり、互いに助け、助けられ、そしてともに御国を目指すという聖徒の交わりであることを覚えましょう。
もう一つのことは、パウロの経験から教えられることです。神に従って歩んでいても、理不尽だと思うことや、意味が理解できないことが起こります。しかし、そういう中にも意味があり、必ず、神がご計画の中で私たちを正しい道、祝福の道、あるいは私たちが召されている働きへと、必ず導かれます。たとえ今先が見えなくても、神への信頼を持ち続けること。あきらめず、神に期待して祈りながら待つこと。特に試練の中にあるときには、このことを思い出してください。
最後のことは、礼拝を通して与えられる豊かな慰めです。神の言葉が読まれ、パンが裂かれ、み言葉の取次がなされる礼拝。ともに神に祈り、ともに神を賛美する礼拝。そこに、神との交わり、主にある兄弟姉妹との交わり、つまり聖徒の交わりが存在します。ですから、何をおいても、礼拝を大切にしてほしいのです。
詩篇23:6、詩篇27:4の告白を私たちも同じように告白したいと思います。