2023年07月16日「エフェソでの騒動」

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エフェソでの騒動

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 19章23節~40節

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そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。
そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、 諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」
これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。
他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。
さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。そのとき、ユダヤ人が前へ押し出したアレクサンドロという男に、群衆の中のある者たちが話すように促したので、彼は手で制し、群衆に向かって弁明しようとした。しかし、彼がユダヤ人であると知った群衆は一斉に、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と二時間ほども叫び続けた。
そこで、町の書記官が群衆をなだめて言った。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことをしてはならない。諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒涜したのでもない。デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ。」こう言って、書記官は集会を解散させた。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 19章23節~40節

原稿のアイコンメッセージ

<説教要約>川越教会朝の礼拝 使徒言行録19章23-40、 説教題「エフェソでの騒動」

今日の話は、パウロがエフェソを去る少し前の出来事です。
騒動のきっかけは、エフェソに住む銀細工師のデメトリオという人が、自分の下で働いていた職人たちや、同業者に対して行った過激な誘導です。デメトリオは、エフェソのアルテミス神殿の模型を作る銀細工師でした。彼は、アルテミス神殿の模型を作りそれを売ることを商売にしていました。
当時、エフェソのアルテミス神殿は、大変栄えており、毎年アルテミスの月(太陽暦の3―4月)には盛大な祭りが行われ、多くの参拝者や観光客が訪れ、神殿のおかげで巨大な収益を得ていた多くの人々がエフェソの町にいたのです。そういう中に、銀細工師のデメトリオがいたのです。
ですが、エフェソの町に、3年にわたるパウロの伝道があり、多くのクリスチャンが誕生し、人々が偶像から離れるということが起こったのでしょう。それがどれほど彼らの商売に影響したかはわかりませんが、デメトリオは自分たちの商売が危うくなることを心配して、同業者をけしかけたのです。
19:25b「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、
19:26 諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。
デメトリオは、パウロの言葉を誇張して語っています。そして、自分たちの商売のことだけでなく、女神アルテミスの威光が失われてしまう、とまで言い出したのです。
19:28これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。
こういう具合に、人々はデメトリオの言葉にすっかりのせられてしまい、町が混乱状態になったのです。
幸い、その場にパウロはいませんでした。しかし、パウロの同行者であったマケドニア人ガイオとアリスタルコが捕らえられてしまったのです。
19:29彼らは一団となって、野外劇場になだれ込んだ とあります。実は、この野外劇場も発掘されているのですが、これも、とっても大きくて、25,000人収容できる広さだそうです。この騒ぎを聞きつけたパウロは、群衆の中に入ろうとしました。しかし弟子たちは、パウロの身を案じてパウロをとめたのです。
パウロの身を案じたのは弟子たちだけでなく、「パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも」とめたのです。「アジア州の祭儀をつかさどる高官」とは、ローマ帝国の支配下、アジア州の宗教と政治を管理する役職で、貴族階級の人だそうす。パウロがそういう人とも親しくなっていた、というのは驚きです。
一方で劇場になだれ込んだ人々はどうなったのでしょう。
19:32 さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。
劇場の中は大混乱、無秩序状態、人々は暴徒化する寸前、という状況でしょう。そして、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と二時間ほども叫び続けたというのですから、驚きです。

そこに登場したのが、エフェソの町の政務を行っている書記官でした。彼は、群衆を落ち着かせ、なだめて言いました。
19:35「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。
19:36 これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことをしてはならない。」
そして、37節。
19:37 諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒涜したのでもない。
訴えるべきことがあれば、正式な手続きを踏むよう促し、最後は警告の言葉になりました。
19:40 本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ。」こう言って、書記官は集会を解散させた。
ここまでが今日の話、エフェソでの騒動の話です。

ですが、私たちはここからいったい何を教えられるのでしょうか?
一つは、宗教を利用した金儲けへの忠告でしょうか。そういう意味では、キリスト教会もかつて同じようなことがありましたよね。問題になっている旧統一教会「世界平和統一家庭連合」もそうですね。まあ、これは宗教とは言えませんが。
もちろん、教会には活動費、伝道費、牧師給与など必要な経費があります。それを私たちは献金としてささげるわけです。しかし、必要以上にお金を集めようとすると、堕落につながります。ですから、献金の使途を明らかにし、きちんと報告することが大切です。皆様も、ささげた献金がどのように用いられているのか、きちんと把握してください。

もう一点、今日の箇所から考えさせられることがあります。それは、私たちが信じているキリスト教以外の宗教に対する態度、接し方です。もちろん偶像礼拝は禁じられていますから、私たちは極力避けるべきです。
しかし、他宗教の神、偶像ではありますけれど、他の人が神と信じているものを、排除すべきでしょうか?
旧約聖書では、まことの神とバールや、アシュトレトなど、他の国々の神々と言われるものとの対決があり、イスラエルでは偶像を取り除くよう、強く命じられています。それは、イスラエルの民がまことの神を忘れて他の神々に仕えることを避けるためでした。
しかし、新約聖書には、そういう他宗教との対決や他の神々を攻撃するというような記事はありません。
もちろん偶像礼拝を避けるようにという教えは、十戒にある通り、旧約でも新約でも変わりません。しかし一方で、他の神々を信じている人に対して「これは神ではない、偶像だ」と言うような、記事もありません。
特にパウロという人は、他宗教を信じる人々、偶像を拝む人々に対して、それを侮辱するようなことは一切していないし、そういう言葉を発してもいないのです。
私たちの周りにも、他宗教を信じる人がいるし、神仏に手を合わせる人も大勢います。
私たちはそういう人とどうお付き合いして行ったらいいのでしょうか。そのヒントが今日のところにあるように思うのです。
たとえば、今、この世界で、キリスト教だけが絶対で、他の宗教は滅ぼしつくすべき! と主張したらどうなるでしょう。行きつくところは宗教戦争ですよね。そして、実際に宗教が絡む戦争ほど、恐ろしいもの、際限のないものはありません。
パウロ一行は、エフェソの町で、アルテミスという偶像と神殿を前にして、そこで福音を伝えながらも、「神殿を荒らしたのでも、彼らの女神を冒涜したのでもない。」という態度を取り、エフェソの町の祭儀をつかさどる高官たちからの信頼も得ていました。そういう中で、多くの人が、福音を信じ、洗礼を受けたのです。
ですから、まずは、人として、互いを尊敬しあう態度、そういう間柄になること、これが大切だと思うのです。
平和のため、人権、命の尊重、地球環境、といった働きでは、他宗教の人々とも共同できる面があるし、実際そういう共同が始まっています。大きな災害などのときには、他宗教の方々との協力が用いられます。
東日本大震災の直後に、被災した人々、家や家族を失った人々のところに、仏教の僧とキリスト教の牧師が一緒に訪問し、祈りをささげ、お経を唱え、苦しむ方々の人の心に寄り添う、ということを行い、多くの方が慰めを受けたそうです。
私たちの周囲にも、そんな協力の仕方があると思うのです。他宗教に対して、まずは人として互いを理解し合うこと。そこから、福音宣教の輪も広がることがある、ということを覚えたいと思います。

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