2023年06月04日「この町にはわたしの民が大勢いる」

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この町にはわたしの民が大勢いる

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 18章1節~17節

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聖句のアイコン聖書の言葉

その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。
パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」
パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。
ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。
ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」そして、彼らを法廷から追い出した。すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 18章1節~17節

原稿のアイコンメッセージ

<説教要約>使徒言行録18章1-17節「この町にはわたしの民が大勢いる」 
今日は18章、コリント伝道の話です。パウロ自らの意志で、コリントへと向かったのです。当時コリントは東西の海上貿易の拠点として、大変に栄えた商業都市でした。

パウロはコリントの町で、アキラとプリスキラという夫妻を訪ねています。二人は今までローマにいたのですが、クラウディウス帝の勅令によって、ローマから退去してきたところ。実はこの夫妻、パウロに会う前からキリスト教信仰を持っており、しかも伝道者だったようです。
パウロは彼らがコリントにいることを知っていたのか、パウロの方から二人を訪ねています。初めて訪れたコリントという町、しかも今パウロは一人でしたから、この町に同じ信仰を持つユダヤ人夫妻がいるのは心強かったはずです。彼らを訪ね、そして彼らの家に住まわせてもらうことになり、さらにパウロは彼らと同じ職業だったので、仕事も一緒にさせてもらい、生活費を稼いだのです。
ここからも、神がパウロのコリント伝道のために、いろんな配慮をしておられたことがわかります。
特にパウロの力になったのは、そこでキリスト者との交わりを持つことができたこと、ともに祈る仲間が備えられていたことが大きいことでした。このように、アキラとプリスキラの助けを得て、コリント伝道が始まりました。パウロは働きながら、しかしいつもの通り、ユダヤ教の会堂に通ってユダヤ人やまことの神を信じるギリシア人たちに旧約聖書を語り、「メシアは私が伝えているイエスである」と説得していたのです。

そうこうしているうちに、シラスとテモテがコリントへ到着しました。
シラスとテモテは、マケドニア州のクリスチャンたちから伝道献金を預かっていました。
パウロは彼らからの支援献金によって、テントづくりの労働から解放され伝道に専念できるようになりました。「パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。」とある通りです。
しかし、ここでもユダヤ教会堂のユダヤ人たちがパウロに反発しました。そこで、パウロははっきり宣言します。「今後、わたしは異邦人の方へ行く。」と。

ユダヤ教会堂のユダヤ人たちとの関係が決裂したあと、パウロは、ユダヤ教会堂の隣に住むティティオ・ユストという人の家を伝道の場として、さらに伝道に励みます。興味深いのは、ユダヤ教会堂の責任者、会堂長のクリスポという人が一家で主を信じるようになったという記事です。主のなさることは不思議です。
しかしこの状況は、反感を持っているユダヤ人たちをさらに刺激することになりました。
おそらくパウロ自身、ユダヤ人からのさらなる迫害を予感していたことでしょう。
しかし、そのタイミングで、パウロは主からの幻、励ましを受けました。
18:9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
18:10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」

「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。」福音宣教における恐れ。その最大のものは迫害でしょう。
もう一つの恐れは、伝道しても信じる者がいないのではないか。伝道の成果に対する恐れです。
しかし神は、その両方の恐れに対して、ここで言葉をかけてくださっています。
迫害への恐れに対しては、「わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。」
伝道の成果への恐れには「この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
神は、パウロのコリント伝道に対して、あるいは、今後のすべての伝道地での働きに対しても、恐れず語り続けるように、福音宣教に励むようにと声をかけてくださったのです。
今までも説教の中で何度もお話ししていますが、福音宣教は神が人を用いてなさる、神の業、神の働きだということを、私たちももう一度覚えたいと思うのです。パウロのコリント伝道は「一年六か月」、ここまでの伝道の中では、一番長い滞在期間です。コリントの町で教会を建て、信徒を教育し、長老を育て、1年半頑張ったのです。

12節以下には、ユダヤ人たちがパウロを襲って法廷に引き立て、地方総督ガリオンに訴えた、という記事が記されています。案の定、心配した通りです。
どこの町でもユダヤ人たちは同じような行動を起こしますが、ここでユダヤ人たちがパウロを訴えた地方総督ガリオンは、自分は「宗教問題には関わらない」という立場をとっています。ガリオンは「教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」と、ユダヤ人たちの訴えを退け、彼らを法廷から追い出しました。
ガリオンがユダヤ人たちの訴えを退けたことで、クリスポの後の会堂長ソステネが殴られてしまいましたが、パウロはこの後もうしばらく、コリントで自由に福音を語ることができたのです。

ここまで使徒言行録18章1節から17節までの話の筋をお話ししましたが、特に二つのことを覚えたいと思います。どちらも、幻の中でパウロに与えられた主の励ましの言葉の内容です。もう一度、18章9節後半から10節を読みます。
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」

「わたしがあなたと共にいる」という言葉は、神がここで初めて語られたわけではありません。この言葉は旧約聖書の神が、イスラエルの民に語り続けた言葉なのです。何か所か見ましょう。
出エジプト3:12 神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」
出エジプトの指導者に選ばれたモーセに神が語られた言葉です。
ヨシュア1:5b「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。」
モーセの後継者として選ばれたヨシュアにも、神は「共にいる」と言って彼を励ましています。
イザヤ41:10 恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。
⑤エレミヤ1:8「彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す」と主は言われた。
イザヤも、エレミヤも、神から「共にいる」という励ましの言葉を受けています。
そしてパウロも。このように私たちが信じている神は、遠くから私たちを見ている神ではなく、共にいて救う神だということです。この神が、今も同じように、主を信じより頼む者に対して、従うものに対して、恐れの中にいる主の民に対して、「あなたと共にいて必ず救い出す」と言っておられ、また実際にそうしてくださる神であることを、覚えたいのです。
また、もう一つのことは、私たちが伝道する根拠です。主なる神はパウロに「この町には、わたしの民が大勢いる」だから、「語り続けよ」と言われました。伝道せよ! 語り続けよ! という神は、そこにご自身の民がいることをご存じなのです。そして、パウロを用いて、又今は私たちを用いて、ご自身の業を進めておられるのです。今朝、同じ言葉が、私たちにも語られています。

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