2023年05月28日「キリストと共に生きる喜び」

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キリストと共に生きる喜び

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詩編 33章1節~22節

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聖句のアイコン聖書の言葉

33:1主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。
33:2 琴を奏でて主に感謝をささげ/十弦の琴を奏でてほめ歌をうたえ。
33:3 新しい歌を主に向かってうたい/美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。
33:4 主の御言葉は正しく/御業はすべて真実。
33:5 主は恵みの業と裁きを愛し/地は主の慈しみに満ちている。
33:6 御言葉によって天は造られ/主の口の息吹によって天の万象は造られた。
33:7 主は大海の水をせき止め/深淵の水を倉に納められた。
33:8 全地は主を畏れ/世界に住むものは皆、主におののく。
33:9 主が仰せになると、そのように成り/主が命じられると、そのように立つ。
33:10 主は国々の計らいを砕き/諸国の民の企てを挫かれる。
33:11 主の企てはとこしえに立ち/御心の計らいは代々に続く。
33:12 いかに幸いなことか/主を神とする国/主が嗣業として選ばれた民は。
33:13 主は天から見渡し/人の子らをひとりひとり御覧になり
33:14 御座を置かれた所から/地に住むすべての人に目を留められる。
33:15 人の心をすべて造られた主は/彼らの業をことごとく見分けられる。
33:16 王の勝利は兵の数によらず/勇士を救うのも力の強さではない。
33:17 馬は勝利をもたらすものとはならず/兵の数によって救われるのでもない。
33:18 見よ、主は御目を注がれる/主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。
33:19 彼らの魂を死から救い/飢えから救い、命を得させてくださる。
33:20 我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。
33:21 我らの心は喜び/聖なる御名に依り頼む。
33:22 主よ、あなたの慈しみが/我らの上にあるように/主を待ち望む我らの上に。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』
詩編 33章1節~22節

原稿のアイコンメッセージ

説教の趣旨:私たち人間は人種や国籍を超えて、創造主なるお方の愛の交わりの中に招き入れられて、本来の目的に沿って歩む時に、深い平安と生きる勇気と喜びを見出す。全人類を信仰によって救いに入れてくださる主イエス•キリストと結ばれることに秘訣がある。
説教の中心的主張点: すべてのものの造り主でおられる生ける神様は、ご自身に信頼を置き、待ち望む者に、喜びと平安に満ちた命を提供してくださいます。

聖書朗読:詩篇33編 (新共同訳聖書、旧約聖書 p. 863)

1)主に従う人よ、主によって喜び歌え。主を賛美することは正しい人にふさわしい。2)琴を奏でて主に感謝をささげ/十弦の琴を奏でてほめ歌をうたえ。 3)新しい歌を主に向かってうたい/美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。
 
4)主の御言葉は正しく/御業はすべて真実。5)主は恵みの業と裁きを愛し/地は主の慈しみに満ちている。6)御言葉によって天は造られ/主の口の息吹によって天の万象は造られた。7)主は大海の水をせき止め/深淵の水を倉に納められた。 

8)全地は主を畏れ/世界に住むものは皆、主におののく。9)主が仰せになると、そのように成り/主が命じられると、そのように立つ。10)主は国々の計らいを砕き/諸国の民の企てを挫かれる。11)主の企てはとこしえに立ち/御心の計らいは代々に続く。 

12)いかに幸いなことか/主を神とする国/主が嗣業として選ばれた民は。 13)主は天から見渡し/人の子らをひとりひとり御覧になり14)御座を置かれた所から/地に住むすべての人に目を留められる。15)人の心をすべて造られた主は/彼らの業をことごとく見分けられる。 

16)王の勝利は兵の数によらず/勇士を救うのも力の強さではない。17)馬は勝利をもたらすものとはならず/兵の数によって救われるのでもない。 18)見よ、主は御目を注がれる/主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。 19)彼らの魂を死から救い/飢えから救い、命を得させてくださる。
 
20)我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾。21)我らの心は喜び/聖なる御名に依り頼む。22)主よ、あなたの慈しみが/我らの上にあるように/主を待ち望む我らの上に。

(以上が神様の御言葉です。主に感謝いたします。)

序説:宣教師の使命と特権:創り主を紹介して、真の幸福へ人を招き入れること。
 本日、皆様にお話をすることは私にとって大きな特権で喜びです。皆様の毎回の招待もとても光栄に思います。でもそれよりも素晴らしい感謝すべきことがあります。それは宣教師として、神様に仕える僕として そのメッセージを語ることができることです。また、宣教師としてこの使命が与えられていることです。宣教師の昔の先輩、使徒パウロがコリントの教会への第二の手紙の5−6章で語るように、生ける神様から与えられた使命があります。それは神様の恵みがあること、これによって人々に救いの道を提供してくださるというメッセージを語ることです。たとえ、私たちが迷ってしまい、他のいわゆる神々あるいは先祖などに仕えたりして来たことがあっても、真の生ける神、造り主に立ち返り、信じてより頼むように、呼びかけてくださいます。たとえ、トラブルに満ちた世界ではあっても、私たちがいろいろな困難や試練に遭うことがあっても、喜びと平安の命を体験することができる、賛美と安心を味わうことができる というメッセージです。詩篇33篇もこれを示す神様からのお言葉です。

 ここで、お話の中心的主張点を確認しましょう。「すべてのものの造り主でおられる生ける神様は、ご自身に信頼を置き、待ち望む者に、喜びと平安に満ちた命を提供してくださいます。」今日のメッセージを聞き、このワンポイントをぜひお持ち帰りいただければ幸いです。

1、聖書に何を期待するか。
 ア、聖書は真理である(ヨハネ伝17章17節)
 イ、人の勝手によるものではなく、まさに神のみ言葉である(第二ペテロ1章20節)
 ウ、私たちを救いに導く力がある(第二テモテ3章16節)

 今日も聖書からお話をしますが、初めに、この聖書に何を期待すべきかを確認しましょう。初心的なことですが、聖書を開くごとにこれを思い起こしたいです。まず、ヨハネ伝17章17節にあるイエス様の祈りの言葉の中に、「あなたの御言葉は真理です」と語ります。神様からの御言葉である聖書は絶対に信頼できる真理であるとおっしゃいます。人の空しく想像したことや、人が考え出した仮説や推定ではありません。イエス様の弟子ペテロもその第二の手紙の1章もこれを主張します。聖書の御言葉は人の勝手によって書かれたものではなく、まさに生ける神様の御言葉であると言います。またさらに、使徒パウロはテモテへの第二の手紙の3章で、聖書が聖霊の神様の確かな導きによって与えられたこと、人を、私たちを、救いに導く力があり、神様の御心にかなうものに作り上げてくれることに役にたつと主張します。この前提で今日の聖書箇所に期待しましょう。

2、詩篇33編のテーマを紹介する。
 ア、全てを創造なさったお方がおられる。
 イ、このお方を賛美することがいかにふさわしいか。
 ウ、このお方は今も生きておられ、全てをちゃんと見ておられる。
 エ、このお方に逆らう者、よそのところに救いを求める者の行動が虚しい。
 オ、このお方の御心を悟り、信じて待ち望む者に救いがちゃんと与えられる。

 さて、詩篇33篇に出てくるテーマと内容を確認したいと思います。少なくても主に五つの点があります。
 ⑴、全てを創造なさったお方がおられる。天地万物をただご自身の発する言葉によってできたと言います。なんか先からあった物質から形を整えたのではありません。あるものの存在は完全にこのお一人の生ける神様の力に依存しています。このお方は氏神や「神様」と呼んでしまう自然界の現象とは根本的に違います。ましてや、人の手によって作製された像や、亡くなった人の霊などではありません。地上のすべてのものから、天の万象まで、神様の偉大な力とたくみを示しています。
 ⑵、それで当然のことですが、このお方を賛美することがいかにふさわしいでしょうか。創造のわざを調べれば調べるほど、ますますこのお方を礼拝し、ベストを尽くして賛美するように導き出されます。古代の楽器を使っても、今日の技術を使っても、とにかく、真の生ける神様、「主」と呼ばれる方を礼拝します。詩篇の言葉では、「主に従う人」とあるのは、「正しい人」と言います。あるいは、「まっすぐな人」、神様の存在についてちゃんとした知識を持って、神様に憧れる人のことです。また、のちに出てきますが、この神様の守りと救いを体験した人であります。
 ⑶ー⑷、次に確認しますが、このお方は今も生きておられ、全てをちゃんと見ておられます。創造主でもいらっしゃいますが、支え続けてもおられます。また、人がどのような虚しい行動をしたり、よそのところに救いを求めたりすることもちゃんと見ておられます。人間のさまざまな計らい、頼みとする武装や武器、自身の腕、まさに今日の諸国の民の様子を主が全部見届けておられます。弱いものと困っているものを圧迫することもちゃんとご存知でいらっしゃいます。
 ⑸、しかし最後に、このお方の御心を悟り、信じて待ち望む者に救いがちゃんと与えられることを語ります。困難のあること、トラブルや試練があることを認めます。飢饉もあれば、死に直面すること、焦りと落ちこみが現にあるわけです。私たちの現実を主がちゃんと見ておられます。しかし、この上もない慰めがあります。「見よ、主の目は、主を畏れる人に、主の慈しみを待ち望む人に向けられる。」と詩篇が語ります。そこで、「この方こそ我らの助け、我らの盾。主によって私たちの心は喜ぶ」のです。困難の只中にあってもなのです!だって、すべてのものの造り主が私たちの味方だからです!私たちの救いを計らってくださいます!

3、聖書は一貫して確かな救いを証しする。
 ア、詩篇32篇6−7節、詩篇34篇18−20節にもこのテーマが現れる。
 イ、助けを叫び求めた人が救われた具体例が多くある(日本にも)。
 ウ、詩篇116編も主の救いを体験した人の証しである。

 聖書は一貫して確かな救いがあることを証ししています。今日は詩篇33篇を見ていますが、その前後の32篇と34篇も語っています。読んで、確認しましょう。「あなたの慈しみに生きる人は皆/あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも/その人に及ぶことは決してありません。あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって/わたしを囲んでくださる方。」(詩篇32篇6−7節)「主は助けを求める人の叫びを聞き/苦難から常に彼らを助け出される。主は打ち砕かれた心に近くいまし/悔いる霊を救ってくださる。主に従う人には災いが重なるが/主はそのすべてから救い出し骨の一本も損なわれることのないように/彼を守ってくださる。」(詩篇34篇18−21節)。

 聖書の中に、助けを叫び求めた人が救われた具体例が多くあります。でも、これは聖書が語るだけではありません。世々に渡って、より頼んで助けを祈った人が非常に多くあります。困難から救い出されたり、難病から癒されたり、危険から守られたりする 神様に頼った人が今もいます。日本にももちろんいます。最近、不治の病と言われた急性白血病が癒され、脳腫瘍が消えた知人がいます。でも、とても印象的だった話が大津波から救われた老夫婦の証です。冷たい海の水を、瓦礫を掴んで漂っていたある老夫婦がいました。救われようがないと諦めても当然でしたが、奥様は昔、イエス様という神様がおられることを聞いたのを思い出して、大声で「イエス様、助けてください!」と叫んだそうです。そんなはずがありませんでしたが、二人は、低体温で心肺停止にもならず、大きな怪我もなく、不思議な生存者となりました。

 見てきた詩篇33編に並ぶ、もう一つは詩篇116編です。この歌の言葉はそのまま、この老夫婦の証にそっくりの体験をした人の感謝と賛美の祈りです。一部だけ読ませていただきます。「わたしは主を愛する。主は嘆き祈る声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる。生涯、わたしは主を呼ぼう。死の綱がわたしにからみつき/陰府の脅威にさらされ/苦しみと嘆きを前にして、主の御名をわたしは呼ぶ。『どうか主よ、わたしの魂をお救いください。』... あなたはわたしの魂を死から/わたしの目を涙から/わたしの足を突き落とそうとする者から/助け出してくださった。命あるものの地に/わたしは主の御前に歩み続けよう。」(詩篇116編1−4、8−9節)。

4、旧約聖書は全てキリストが現れる以前のものであるが、来るべきキリストの救いの業が前提である。
 ア、創造主との和解の道をイエス様が提供してくださる。(33編18−19節)
 イ、主の数々の恵みを体験して、主の招きにどのように応えるか。
 ウ、この世にいる限り災いと困難が現れるが、キリストが与える平安はこれらに勝つ。

 ほとんどの皆様はご存知だと思いますが、本日の詩篇33編を含めて、旧約聖書は全てイエス•キリストが現れる以前のものです。けれども、来るべきキリストの救いの業が前提です。詩篇が語る創造主との和解の道を神様ご自身が用意してくださいます。18−19節をもう一度読みます。「見よ、主は御目を注がれる/主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。彼らの魂を死から救い/飢えから救い、命を得させてくださる。」約束された救い主が来られることを主を信じる人が待って、とうとう現れた時に感動して主に従う群れとなっていきます。もちろん、詩篇が語るように、逆らうものもいますが、主に依り頼むものは新しい命を得ることができました。ヨハネによる福音書1章10−12節がこう語ります。少しわかりやすくするように、言葉の工夫をさせていただきます。お聞きください。「キリストは世にあった。世はキリストによって成ったが、世はキリストを認めなかった。キリストは、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、キリストは、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」この資格というのは、罪が赦されて、最後まで主に守られて、永遠に生きる新しい命のことが伴います。

 問題は一つです。それは、主の数々の恵みを体験して、主の招きにどのように応えるか、ということです。実は、詩篇が語るように、「地は主の慈しみに満ちています。」(33篇5節)聖書が語る造り主を認めなくても、人は皆恵みの雨、実りの季節、数え切れない良きものに恵まれています。ですが今、真の神様を知らされれば、非常に大事な選択に迫ります。私たちは救いとなるはずのない、虚しいものに頼り続けますか。それとも、全能の主、真の生ける神、造り主にして救い主なるお方に立ち返り、頼って、縋って、信じる主の民となりますか。つまり、イエス様を信じて、イエス様と共に歩みますか。これこそが旧新約を問わず聖書が一貫して勧める道です。

 この世にいる限り、災いと困難が現れますが、キリストが与える平安はこれらに勝つのです。かの日が来れば、主が助けを叫び求めるご自分の民を完全な救いに預からせてくださることになります。これは主が一方的に提供してくださる救いです。これをただ信じて求めれば現れる恵みの救いです。

結論:詩篇33編は救いを真の生ける神に待ち望むように勧めている。そうする人、そうする国は幸いである。賛美と安心がきっと授かるだろう。

 詩篇33編は救いを真の生ける神に待ち望むように勧めています。そうする人、そうする国は幸いであると約束します。そうするあなたも賛美と安心がきっと授かるに違いありません。これを多くの人が昔も今も体験しています。イエス様と共に歩む喜びをぜひ見出してください。後悔のない決断になるでしょう。

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