2023年05月14日「至る所に神がいる?」
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至る所に神がいる?
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- 説教
- 木村恭子 牧師
- 聖書
使徒言行録 17章16節~23節
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聖書の言葉
パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。
また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。
パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 17章16節~23節
メッセージ
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<説教要約> 使徒言行録17章16-23節「至る所に神?」
パウロは今、たった一人でアテネの町にいます。アテネという町は、ご存じの通り、今現在もギリシャの首都です。また歴史は古く、紀元前3千年以上前の石器時代に、すでに人が住んでいたそうです。町は川に挟まれた丘陵アクロポリスを中心に発達し、歴史の中で侵略戦争を起こしたり、戦争に巻き込まれたりいろいろありながらも、アテネは滅びることなく、学問と芸術の中心地として発展しました。しかし、パウロがアテネに到着したこの時には、町は一時の繁栄とはかけ離れた状況だったようです。
17:16 パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。
パウロはシラスとテモテを待ちつつ、まずは町中を見て回りました。そうすると、町のいたるところに偶像があった、というのです。ギリシャと言えば、すぐにギリシャ神話が思い浮かぶ人もいらっしゃるでしょう。ですから神々の話がたくさんあります。また彫刻も盛んで、町のいろんなところに、神殿があり、彫刻がありました。
アテネの「町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。」とルカは記しています。「憤慨した」と訳されている言葉は、「激昂する」「怒る」という意味の言葉ですが、パウロの「激昂」「怒り」は、何に対して、あるいは誰に対してでしょうか。偶像礼拝の盛んなアテネの人々に対して憤慨したのでしょうか。
私は、そうではないように思います。ここでのパウロの憤りは、偶像礼拝している人々に対しての憤りではなく、偶像とは知らずに拝んでいる彼らにまことの神を伝えたいという、パウロ自身の伝道の熱意がふつふつと煮えたぎってきた、ということだと思うのです。ですからパウロは、とにかくアテネの町を何度も回って、注意深く町の状況、人々の様子を観察したのです。そうして、なんとか彼らに届く伝道の足掛かりを探そうとしたのだと思います。
それから、いつもの通りまずユダヤ人会堂でユダヤ人や旧約聖書の神を信じる人々と論じました。これは、テサロニケやべレアのユダヤ人会堂での伝道と同じように、旧約聖書を論証し、メシアを語ったのでしょう。
ですが、アテネという町は特別な町で、哲学的な知恵、知識を持つ人々が集まっていたようです。
17:18 また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。とありまして、ユダヤ教を信じる人々だけでなく、世界や人間についての知恵・原理を探究する人々、いわゆる哲学者、哲学を愛好する人々、とも語ったのです。
エピクロス派とストア派という名が出てきます。エピクロス派は神の存在を信じないか、あるいは神がいると信じていても、この世とはかけ離れた存在なので、何の影響力も持たないと考える人々。人生を明るく楽しく生きることを肯定する一派だそうです。一方ストア派は、人間が自分の感情に左右されて生きることを否定し、禁欲的な生き方を提唱。すべての思いを押し殺して静かに生きることを願う人々だそうです。両者は正反対の考え方なんですが、「神」に対しては両者とも否定的なようです。
でも新しい考え方には興味、関心があり、一応パウロの話に耳を傾けます。話を聞くだけでも、信仰へのチャンスが残されているということです。
哲学者や町の人々は、パウロをアレオパゴスに連れて行って話を聞こうとします。
17:21 すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。
とあり、アテネの人々は、論争好き、議論が好き、新しいことを聞くことを好んだようです。
22節からがパウロのアレオパゴスでの説教です。実際の内容は次週になりますが、今日は出だしのところ、22-23節だけ見ておきたいと思います。
17:22 パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。
17:23 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。
パウロはアテネの町を注意深く観察し、たくさんの神殿や像があって、人々がそれらを拝んでいるのを目の当たりにして、憤りともいえるほど、伝道への熱心が掻き立てられました。彼の心は、偶像を否定したい、まことの神を示したい、という思いでいっぱいです。
ですが、彼は言葉を選びました。アテネの人々を「あらゆる点において信仰のあつい」と表現して、彼らが神々を信じる人々であると肯定したのです。もちろん、パウロは彼らが信じている神が、唯一まことの神とは違う、誤った神であることを指摘したいのです。しかし、初めからそんな風に彼らの神を、信仰心を否定すれば、彼らは心を閉ざしてしまうでしょう。ですから、このアプローチは有効だし、私たちも参考にすべきと思います。また、少なくとも彼らは、何らかの力、影響力を持つ神的な存在を認めているのです。
人は、罪によってまことの神を認識できずにいますが、しかし傷つきながらも神のかたちが残っているので、誰もが神を求める心があるのです。たとえ誤った信仰心であっても、ないよりはいいわけで、正しい方向に信仰心が向かえばいいのです。
ですから、パウロは注意深くアテネの町、そして神々の神殿や像を観察して、彼らとの対話のきっかけを探したのです。そうしたところ、「知られざる神に」と刻まれた祭壇の存在に気が付きました。そして、それをきっかけに「まことの神」「イエス・キリスト」を伝えようとしたのです。
今日の話は、至る所に神々が祭られているアテネの町の話ですが、日本の状況と似ていますよね。とくに私は、川越の町と似ているなあと思います。最近では「御朱印集め」というのが流行っているようで、「小江戸川越御朱印一覧」なんていう特集記事があったり、「川越の神社お寺ランキング トップ20」とか、「川越七福神巡り」なんていうのも見つけました。これらは、宗教活動というよりは、営業活動に近いかもしれません。
ですが、こういう工夫、教会も参考にするべきことがあると思います。それは、とにかく、人々の目に留まって、実際に足を運んでもらうことが大事だからです。
パウロの役割は、ただ討論に明け暮れているアテネの人々に「イエスの死と復活」を告げ知らせることでしたが、今私たちに与えられている役割も、世の人々、周囲の人々に、福音を届けるということです。それにはまず、人々を教会へと招くことが大事で、教会の存在に気づいてもらうこと、目を留めてもらうことがスタートラインです。
そのために、ウェルカム礼拝をしたり、HPを更新したり、チャーチカフェをしたり。そうして、一人でも多くの人に教会へと足を運んでもらい、礼拝に出席してもらうこと。福音を一人でも多くの人に届けること。これが、パウロの時代から今に至るまで、唯一の伝道方法なんですね。
福音伝道は神が人を用いてなす働きです。ですから、私たちの働きを神がお用いくださることを信じて、祈りと働きを積み上げていきましょう。そして、結果は神にお委ねしたいと思います。