2022年11月20日「福音に仕える力」
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福音に仕える力
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- 説教
- 木村恭子 牧師
- 聖書
エフェソの信徒への手紙 3章1節~13節
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聖書の言葉
こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは……。
あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。
初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。
この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。
神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。
この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。
こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。
わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。
だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
エフェソの信徒への手紙 3章1節~13節
メッセージ
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<説教要約>エフェソ3:1-13 「福音に仕える力2」
お読みした聖書箇所は、今年の川越教会のテーマ聖句を含むところです。
教会の年間テーマは、『神の教会に仕える』。
テーマ聖句は「神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。」(エフェソ3:7)です。
本日は、今年のテーマ聖句をもう一度覚え、そしてクリスマスに向かう心の準備をしたいと願っています。
3:1 こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは。
3:2 あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。
そう言って、パウロは自分に与えられた恵みについて語ります。パウロは自分に与えられた特別な恵み、救いの体験をいろんなところで証しています。
使徒言行録にもパウロの回心が3回も記されています。
クリスチャンを迫害するために向かったダマスコ途上で、復活のイエスにお会いして直接「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と言葉を受けた、あの特別な出来事です。
パウロはほんとうに特別な形で、キリストに出会い信じる者とされました。また同時に、特別な働きも与えられたと自覚しています。
3:6 すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。
キリストの十字架による罪の赦し、神の子とされて、神に近づくことができる恵み。これが、ユダヤ人だけでなく、キリストを信じる信仰を通して、すべての人に与えられるということを理解し、その働きに自分が召されたと自覚したのです。
3:7 神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。
そしてこの言葉が、今年の川越教会のテーマ聖句です。
パウロはここで、二つのことを語っています。
前半の「神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜わった」ここは、神が、キリストを通して、パウロに救いの恵みをお与えになったということです。
神が、キリスト者を迫害していた自分に目を止め、憐み、愛を注ぎ、救いに入れてくださった。彼はそれを「恵みを賜った」と表現します。
後半は「この福音に仕える者としてくださいました。」です。
自分に与えられた神の恵みは、自分だけのものではなく、この福音を多くの人に伝えるために自分が召されたという自覚です。パウロは、自分に恵みが与えられたのは、その恵みに仕える者となるためだと理解し、感謝し、喜んでその働きに仕えているのです。
これはパウロの証ですが、わたしたちはこれらの言葉を、ただパウロの働きとして読んだわけではありません。
3:7 神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。
私たちは、7節の言葉を、自分の言葉として読んだのです。私たちにもパウロと同じように、神によって救いの恵みが与えられている。そして、私たちもパウロと同じように「この福音に仕える者」とされている。そのように7節を読み、わたしたちも「この福音に仕える者」であることを自覚しながら、この一年を過ごしてきました。
しかし、あることがきっかけでこの7節の言葉が、以前とは違う角度でわたしの心に深く刺さったのです。自分は、教会に仕える者として召されていて、川越教会の方々とともに、福音宣教の働きに仕えている。しかし、自分の一番近くにいる家族に対してはどうだろうか? 私は、家族のことを自分は忘れてはいないか? 後回しにしていてはいないだろうか? そのことのためにどれだけ祈っているだろうか? と、深く反省させられたんです。
また、そのことに気づいたとき、教会の方々のことも思いました。それぞれの方にも未信のご家族や、教会から離れている家族がいらっしゃり、そのために心痛めておられるはずだ、ということも思いました。
それで、改めて今日、3章7節のみ言葉を一般的な話として読むのではなく、わたしたち一人ひとりが置かれた場で、一人ひとりに与えられている言葉として、受け止めたいと思うのです。
わたしが今、神の力によって、恵みが与えられていること。救いに入れられていること。これはわたしが身近な家族や友人たちのために、福音に仕える者とされているのだ、と理解したいのです。もちろんどのような形で福音に仕えるのか、具体的なことは一人一人にゆだねられています。しかし、教会としてチラシを配布し、伝道集会をすればいい、ということではありません。
わたしが救われているのは、わたしが身近な人々の救いに仕えるため。このことを、皆様とともに、心に留めたいと思います。
幸い、これからクリスマスシーズンに向かいます。
それで12月の毎週の礼拝は、クリスマスのわかりやすい説教にしたいと考えています。ですから、ぜひこの機会にご家族やご友人など、心にかけていらっしゃる方々を、礼拝にお誘いくださいますように。
また、何よりも、それぞれが心にかけている方を覚えて、祈りを重ねていきましょう。またお互いに覚えながら、祈り、支え合いましょう。
3:20 わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、
3:21 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
どうか一人一人が、それぞれの置かれている場所で、福音に仕える者としての働きを果たせますように!
神は、わたしたちの思いを超えて、わたしたちをお用いくださいます。