マルコの成長
- 日付
- 説教
- 木村恭子 牧師
- 聖書 使徒言行録 13章13節~15節
パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。
パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 13章13節~15節
<説教要約> 使徒言行録13:13-25 「マルコの成長」
今日は使徒言行録13章13節を中心にお話しいたします。
13:13 パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。
パウロ一行は、キプロス島のパフォスから船で出発して、パンフィリア州のぺルゲという港に着きました。この町では特に伝道せず通過しただけのようです。
しかし、ここで一つの事件が起こりました。それは、彼らの助手として連れてきたヨハネが帰ってしまったというのです。
このヨハネは、すでに何度か名前が出ている「マルコと呼ばれるヨハネ」のこと。マルコとだけ記されているところもあります。ちょっと紛らわしいのですが、ヨハネはヘブライ名で「主は恵み深い」という意味があり、マルコはギリシヤ名でラテン語のマルコス「ハンマー」という意味があるそうです。
13章5節の後半で「二人は、ヨハネを助手として連れていた。」と記されている、この人物です。
彼が突然、ぺルゲからエルサレムへと帰ってしまったのです。
そこでまず、マルコの生い立ちを見たいと思います。
彼の母はマリヤ。父親については聖書に言及はありません。家も「マリヤの家」と呼ばれているので、マルコは若い時、あるいは幼い時に父親を失ったと考えられます。
しかし、彼の家はエルサレムの市内にあり、大勢の人々が集まることができ、女中もいるような裕福な家庭だったようです。
またコロサイの信徒への手紙4章10節には「バルナバのいとこマルコが」と記されていますから、バルナバとは従弟関係にありました。
つまり、マルコが幼いころから、彼の家でイエスと弟子たちが集っていて、マルコはイエスのことも、弟子たちのこともよく知っていたのです。
マルコはイエスの十字架、復活、昇天、そして聖霊が降りエルサレム教会が成長していった時期にも、エルサレムの母の家にいて、その有様を見ていたのです。
使徒言行録で最初にマルコが登場するのは、12章25節。「 バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。」とあります。
これは、ユダヤ地方にききんがあった時にバルナバとパウロが救援物資を持ってアンティオキア教会からエルサレムへ派遣されたのですが、その帰りに、バルナバとパウロはマルコをエルサレムからアンティオキアへ連れて帰ったのです。
ここから、バルナバとサウロは、以前から青年マルコのことを知っていて、かれに目をかけていたと思われます。
ですから、使徒13:5の後半に「二人は、ヨハネを助手として連れて行った」とあるのは、単なる助手というよりは、彼に期待していて、彼を伝道者、あるいは教師として育てたいという思いがあったと考えた方が自然でしょう。
こういう背景があって、今日の箇所になるわけです。マルコは突然伝道旅行を離脱してしまったのです。
なぜマルコ・ヨハネは突然帰ってしまったのでしょうか。理由は記されていませんから、昔からいろんな推測がされています。
ですが、理由はともかくとして、マルコはここからエルサレムへ帰ってしまったのです。これは、パウロもバルナバも、予想していなかったこと。二人の期待を裏切る方向へとことが進んでしまったのです。
今日の箇所にしるされているのは、ここまでです。
が、せっかくマルコに焦点を当ててお話ししているので、マルコのこの後のことも見たいと思います。
マルコの名が再び登場するのは使徒言行録の15章です。36-40節を見ていただくとわかりますが、簡単に要約しましょう。
これは、エルサレム会議の後のこと。パウロとバルナバが再度伝道旅行へと出発する、というときの話です。
パウロとバルナバが第2回伝道旅行に出かける時、マルコを同行させるかどうかでバルナバとパウロの間に激しい対立が起こり、ついに喧嘩別れ、別行動をとることになったというのです。
バルナバはマルコを連れてキプロスへ渡り、パウロはシラスを同労者として選びました。そして、二手に分かれて進んでいくことになったのです。
マルコの身勝手な行動のため、バルナバとパウロの仲が悪くなって、働きも別になったのですから残念なことです。が、別の見方をするなら、福音宣教の働きが二手に分かれ、広がっていったと考えることもできるし、事実そうなったのです。起こった出来事を単純化して一面だけでとらえるのではなく、いろんなことを考えながら見ていくことの大切さを教えられますよね。
使徒言行録では、この後マルコの名は登場しません。
ですが、パウロ書簡を見ると、再びマルコの名が出てきます。それも、マルコがパウロと一緒にいたり、マルコがパウロの同労者、パウロの役に立つはたらき人に成長している姿が。この事件から10年くらい後のことだと思われます。
何か所か、その記録を見ておきましょう。
フィレモンへの手紙1:24 わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです。
コロサイ4:10 わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。
二テモテ4:11 ルカだけがわたしのところにいます。マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。
Ⅱテモテ4章11節はパウロの晩年の記録ですが、ここでパウロは、わたしの務めをよく助けてくれる人物としてマルコを評価しています。今日の箇所では、パウロとバルナバから離れて、勝手にエルサレムへと戻ってしまったマルコでしたが、10年後にマルコは、パウロに信頼される伝道者、働き人に成長したのです。
というわけで、今日はマルコの話で終始しましたが、ここにはわたしたちが自分の信仰の歩みを考えるときに、大切なことが教えられています。
わたしたちの日常の歩み、あるいは信仰の歩みには、挫折や失敗が必ずあります。ですが、今日のマルコのように、いろんなことがその時々で意味があり、後から考えると、あの経験があって今があると思える時が来るはずです。ですから、その時々の状況だけで一喜一憂するのではなく、どんな状況下でも神を見上げ、神の愛を信じて、必ず神がすべてを益としてくださることを覚えたく思います。