2022年09月11日「人生の希望と意味」

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人生の希望と意味

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 12章12節~19節

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こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。
門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。
人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出した。しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。
ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。
夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 12章12節~19節

原稿のアイコンメッセージ

<説教要約>使徒言行録12:12-19
ヘロデによるキリスト教会への迫害が始まりました。
12章の最初には、主イエスに直接選ばれた使徒、そしてヨハネの兄弟であるヤコブが捕らえられ、殺害されたと記されています。そして、ペトロもまた捕らえられ牢に入れられたのです。しかしペトロは、
牢の中で、二人の兵士の間で眠っていたのです。普通なら、この後自分の身に起こるであろうことを考えて、不安なはず。眠れなくて当然なのに。
ですが、ペトロはすでに何度か牢に入れられ、そこから救い出されています。そういう経験を重ねる中で、彼は学んだはずです。神のご計画だけが実現するということを。ですから、先のことはすべて神の御手にゆだねていたのでしょう。
そして、そのあと12章7節から11節に、ペトロが牢から救い出された様子が記されています。天使が遣わされ、兵士たち全く気付かないで、外へ出ることができたのです。
12:11 ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」
ペトロはこの時、自分にはまだやるべきこと、地上での働きが残っている、ということを理解したのです。

牢から救い出されたペトロが向かったのは、マリアの家でした。そしてこのマリアは、マルコと呼ばれるヨハネの母でした。大勢の人が集まれる家、門から家の入口まで離れており、女中がいる、というのですから大邸宅だったようです。また、最後の晩餐もこの家だったと考えられていますし、人々は何かあるとこの家に集まっていたのです。ペトロは、今夜も仲間たちはマリアの家にいるはずだと考えて、迷わずマリアの家に向かったのです。

ペトロは門をどんどんとたたきました。対応に出てきたロデという女中は、ペトロの声を聞くと大喜びで戸を開けずに家に駆けこんでしまいました。
うれしい気持ちはわかりますが、ロデは少々慌て者ですよね。先に戸を開ければいいものを。
また、ペトロも気が気ではないはず。追手が迫ってくる心配があるのですから。
ロデの報告を聞いた人々も、すぐに門の所へいってペトロを招き入れる、ということにはなりませんでした。それどころか、ロデの話を信じなかったのです。
彼らはペトロが牢から出されて戻ってくるなど考えられませんでした。
ですけれど、一方でこれはやっぱり変な反応です。だって、彼らは今の今まで、みんなで祈っていたはずです。ペトロが牢から救い出されるようにと。
しかし、神が彼らの祈りにこたえて、本当にペトロを牢から救い出してくださったとき、その現実をすぐに受け止めることができなかったのです。
神にペトロを救い出す力があると信じて、祈っていたはずなのに。

牢から救い出されることを懸命に祈っていて、神がその通りにしてくださった。
それにもかかわらず、すぐにそれを信じることができなかったのは何故でしょうか。
それは、ペトロの救われ方が、私たちの思いもかけないような仕方、常識を超えた救いであったから、ではないかと思います。

私はこの出来事を学びながら、私たちの祈りと、祈りに対する神の応答、ということを考えました。
ここでの神の応答は、弟子たちが考えている以上の方法でなされたのです。
神は、全能であり、なんでもおできになります。私たちの常識や自然の営みを超えた力を用いて、特別な仕方で働かれることもあります。
そのことを知っており、信じているはずの私たちであり、また弟子たちであったはずです。
けれども私たちは、また弟子たちは、自分の少ない経験や常識、狭い思考の範囲でしか神の御業を受け止めることができないのです。
私たちには本当にそういうところがあるなあと、あらためて気づかされました。

使徒言行録に戻りますが、人々は、ロデの話を信用せず、「あなたは気が変になっている」とか、「ペトロの守護天使だろう」など、自分たちの考えられる範囲での反応を示しました。
しかし、ペトロは戸をたたき続けたので、開けてみるとそこにペトロが立っていたのです。
その場が大騒ぎになったのでしょう。
12:17 ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。とあります。
とくに、ここでは「ヤコブと兄弟たちに」ペトロが牢から出たことを伝えるように、という指示です。
このヤコブは、もちろん、すでに殺害されたヨハネの兄弟ヤコブ、使徒ヤコブではありません。
このヤコブは「主の兄弟ヤコブ」という名で区別されるヤコブです。
ヤコブは復活のキリストにお会いして、この方が神の御子であることを信じたのでしょう。
それからは、キリスト教徒として、教会のメンバーとして働き始めたのです。そして、今日の話では、ペトロが自分の動向をヤコブに知らせるように!と言うほどに、エルサレム教会の中で重要な働きを担っていたのです。
そしてペトロは「そこを出てほかの所へ行った」とあります。
ここには、ペトロの行き先が明らかにされていません。ペトロはヘロデの迫害から逃れるため、身を隠したのです。そして、その際に主の兄弟ヤコブにそのことを伝えるよう伝言し、彼にエルサレム教会を託したのです。
ペトロは、この何日かの祈りと出来事を通して、エルサレム教会での自分の役割が終わったこと。そして別の新しい働きに召されたことを悟ったのでしょう。

このように、私たちの人生における役割、働きはいつでも同じではありません。
それは、教会の中の働きもそうですし、一般社会でも、家庭、職場、社会でも、その時々で働きが変わっていくのは当然のこと。しかし往々にしてそれが理解できない、納得できない、私たちであります。
私たちも、祈りながら、自分の周囲をよく見まわして、今自分に与えられている働きを考えることが大切です。
今日の箇所から、私たちはもう一度祈りの姿勢を学びたいと思います。
願う前から、祈る前から、自分の判断で、祈ることをあきらめてはいないでしょうか。
あるいは、これくらいならかなえられるだろうと、あえて、祈りを小さくしていないでしょうか。
神は、私たちの願う以上に、祈りにこたえてくださる用意があるかもしれません。
ですから、神に希望をおいて、もっと積極的に、大胆に、願い、祈りましょう。
御心にかなう願いなら、神は必ず答えてくださるはずです。

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