2022年08月07日「心を高く上げよう」

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彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マルコによる福音書 12章28節~34節

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<説教要約>
聖書 マルコによる福音書12章28-34節(新約 P87)
説教 十戒のまとめ 「 心を高く上げよう 」  

5/1の礼拝から、十戒を学んできました。先週は第十戒までを見てきましたが、今日はもう一回、まとめの学びをしたいと思います。
先ず、全体的なことの確認です。
最初にお読みしたマルコ福音書12章28節以下は、イエスと律法学者、つまり律法の専門家との会話です。
律法の専門家はイエスに、「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」と質問しました。
イエスはこの人の質問に対して、旧約聖書の言葉をお示しになりました。それが12:29~31節に記されています。
12:29 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
12:30 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これは、申命記6:4~5に記されている教えです。
第二の掟、『隣人を自分のように愛しなさい。』は、レビ記19章18節。
イエスは、この二か所を引用して、これが神の掟のすべてであると言われたのです。
「神を愛することと、人を愛すること」です。

ですが、モーセが神から与えられた十戒の構造が、まさにこの通りなのです。
十戒の前半1~4戒は「神への愛」。神を愛するとは、具体的にどう生きることなのかが教えられています。
十戒の後半、5~10戒は「隣人への愛」とまとめることができます。
こちらも、神を愛し、神に従って生きる時、同時に求められるのが隣人を自分のように愛することだ、とイエスは教えます。
また、「隣人を愛すること」については、ローマの信徒への手紙でも教えられています。
③ローマ13:8-10
13:8 互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。
13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。
ローマの信徒への手紙はイエスに選ばれた使徒、パウロが記したものですが、彼はここで「人を愛する者は、律法を全うしているのです」と教えています。

ということで、神の律法である十戒は「神を愛すること」と「隣人を愛すること」に要約できることを確認しました。
そして、この生き方が、イエス・キリストを信じ、罪赦された私たちが、神に従って生きる基準。
神に喜ばれる生き方なのです。
ここまでを確認したうえで、ウェストミンスター小教理問答を見ていきましょう。

ウストミンスター小教理問答問82
問82 神の戒めを完全に守れる人が、だれかいますか。
答 ただの人は、堕落以来、この世では、だれも神の戒めを完全には守れず、日ごとに思いと言葉と行ないにおいて破っています。

問82は、今まで学んできた十戒、「神を愛し隣人を愛する生き方」を完全に実践できる人がいるか、という質問です。

答えは、「ただの人」つまり、堕落以降の人間は、その地上生涯において、神の戒め「神を愛することと、隣人を愛すること」を完全に行うことはできない。「日ごとに、心の思い、言葉、さらに行為において、神の戒めを破っている」、です。
もっとも、こんな風に教えられなくても、私たち自身そのことを日々経験し、自覚していると思います。
それでは、十戒は私たち罪びとにとって、何の意味があるのでしょうか。

ハイデルベルク信仰問答を確認しましょう。問115です。
問115この世においては、だれも十戒を守ることができないのに、
     なぜ神はそれほどまで厳しく、
わたしたちにそれらを説教させようとなさるのですか。
答 第一に、私たちが、全生涯にわたって、
   わたしたちの罪深い性質を 次第次第により深く知り、
   それだけより熱心に、キリストにある罪の赦しと義とを 求めるようになるためです。
  第二に、わたしたちが絶えず励み、神に聖霊の恵みを請うようになり、
   そうしてわたしたちがこの生涯の後に、完成という目標に達する時まで、次第次第に、
いよいよ神のかたちへと、新しくされてゆくためです。
ハイデルベルク信仰問答は、私たちに十戒が与えられていることの意味を、二つ教えています。
一つは、十戒を覚えながら生きることで、私たちが自分の罪をより深く覚えて、キリストの十字架と赦しを求めるようになるということです。
さらに、自分の力ではどうすることもできない罪の現実を自覚しつつ、聖霊の力により頼んで歩み続けるときに、私たちは少しずつ、少しずつ、キリストに似たものとして、神のかたちへと、変えられていきます。
以前、私が教えられたことをお話ししましたよね。
クリスチャンは後ろを振り返ってはいけない。前に向かって、キリストを目指して、一歩ずつ進んでいくことが大事だと。一歩前に進めない時には、半歩でも、1/4歩でもいいから。とにかく前に向かって、キリストを目指して進みなさいと教えられました。
ですが、私はさらにこの教えに加えたいと思います。1/4も前に進めない時には、後ろに下がらないように、なんとかその場で持ちこたえられるよう踏ん張りましょう。聖霊なる神により頼んで。

最後に、70周年宣言を確認しましょう。70周年宣言は、同じことを別の表現で記しています。

4.70周年宣言
<悔い改めの生涯>
 キリスト者の生涯は、信仰と悔い改めの生涯である。キリストがわたしたちの内に形づくられるまで、わたしたちは何度でも主の十字架の下に立ち帰り、自らの罪を告白して悔い改める。
 キリストに結ばれている者は決して罪には定められない。わたしたちは、赦しの共同体である教会の中で癒されつつ、主の愛に支えられて再び立ち上がり、神の子らとして世に出て行き、福音の喜びを生きていこう。
 各々に与えられた召しと賜物にしたがって主に仕え、完成をめざして共に命の道を歩み続けよう。

ここでは、何度でも悔い改めてキリストの十字架に立ち返ることを覚えさせてくれます。
信仰者としての歩みにも、挫折や失敗はあります。一時的にキリストから離れることもあるかもしれません。しかし「キリストがわたしたちの内に形づくられるまで、わたしたちは何度でも主の十字架の下に立ち帰り、自らの罪を告白して悔い改める。」と。
また信仰の歩みが一人ぼっちの歩みではないことを教えています。
「わたしたちは、赦しの共同体である教会の中で癒されつつ、主の愛に支えられて再び立ち上がり、神の子らとして世に出て行く」と。
そして、70周年宣言の最後はこう記しています。

<十字架から栄光へ・心を高く上げよう>
 神と隣人への愛のために、古い自分が砕かれていくことが、十字架の道である。わたしたちは、死に至るまで忠実であられたキリストの謙遜と従順にならうことにより、主の御霊によって、キリストに似たものとされていく。
 十字架の道は、主イエスが歩まれた道であり、必ずや復活と栄光の御国へと至る道である。それ故、地上を旅する神の民は、苦難の中でも心を高く上げて天の故郷を熱望し、新しい天地をもたらす主イエスの現れを待ち望みつつ祈り願う。

私たちの歩みのお手本は、キリストの謙遜と従順のお姿です。
しかし、イエス・キリストを信じ、信仰の歩みを続けている私たちの人生にも、いろんなことがあります。いろんな時があります。心や体の弱さを覚えるとき、気力がなえて、疲れ果ててしまうこともあるでしょう。
しかし、ヘブライ人への手紙では、そういう時にこそ、イエス・キリストを見上げなさいと教えています。
ヘブライ12:3「 あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。」と。
70周年宣言の結びをもう一度記しておきます。

十字架の道は、主イエスが歩まれた道であり、必ずや復活と栄光の御国へと至る道である。それ故、地上を旅する神の民は、苦難の中でも心を高く上げて天の故郷を熱望し、新しい天地をもたらす主イエスの現れを待ち望みつつ祈り願う。

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