音声ファイル 礼拝説教を録音した音声ファイルを公開しています。 再生できない方はこちらをクリック 聖書の言葉 あなた方の上に聖霊が降ると、あなた方は力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。使徒言行録1:8日本聖書協会『聖書 新共同訳』使徒言行録 1章1節~11節 メッセージ <説教要約>使徒言行録1章1-53節 (新約 P213)説教 「聖霊が降ると」 今日から使徒言行録に入ります。今日は最初なので、まずルカ福音書と使徒言行録との関係についてお話しします。1-2節は使徒言行録の序文、前書きにあたります。1:1-2「テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。」使徒言行録はこういう書き出しで始まります。ちなみに、ルカ福音書の書き出しは、どうでしょうか。確認しましょう。ルカ1:1-4わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。ルカ福音書の宛先も「テオフィロさま」です。使徒言行録では「わたしは先に第一巻を著し」とあります。ですから、第一巻がルカ福音書、第二巻が使徒言行録という関係だということがわかります。そうしますと著者もルカ福音書の著者、ルカだということになります。使徒言行録1章1-2節には、第一巻(ルカ福音書)は、イエスが行い、教え始めてから、天に上げられた日までのことを記したとあります。そうしますと、その続きである第二巻(使徒言行録)では、イエスが天に上げられてからのことを記すのだ、というふうに読めるわけです。使徒言行録は、イエスが天に上げられた後の話ですが、内容はルカ福音書と同じで、「イエスが行い、教えておられること」を記している。もっとはっきり言うと、復活のイエスは天に上げられましたけれど、そこから語られる、夢や幻によってご自身の御計画を示される、あるいは聖霊の働きを通して弟子たちを励まし、力づけ、導かれる。そういうことを、第二巻である使徒言行録で記します、というのがこの序文です。先週はスパーリンク宣教師のメッセージで、「イエスは天に昇られたけれども、今も私たちの近くにおられる」というメッセージでした。実は、この序文でルカは、それと同じことを記しているのです。では、どういう形で天に昇られたイエスが弟子たちと共におられ、どのように弟子たちを助け、どのように弟子たちを教え、そしてどのようにご自身の働きにお用いになったのでしょうか。それを、これから使徒言行録を通して一緒に学んでいきたいのです。また、使徒言行録を見ていく中で、学びを通して、今も私と共におられる主イエス、私を用いて福音宣教の業を進められるイエスを確認したいのです。そこで大きなカギとなるのは、聖霊が与えられる、「聖霊が降る」ということです。ルカ福音書では、「聖霊」の具体的な働きについて語られていませんでしたが、今日の所では聖霊の働きについて、二つのことが明らかにされています。その一つが5節。1:5 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。ここを読みますと、洗礼式の話のように読めますが、必ずしも洗礼式のことではありません。「洗礼を授ける」と訳されているギリシャ語、もともとの意味は「水に浸す」とか「体を洗う」という意味のことばです。それが宗教的に用いられるようになって「洗礼を授ける」という意味になったのです。洗礼者ヨハネが授けたのは「悔い改めの洗礼」で、ヨルダン川に浸かるということで授けられました。しかし、まもなくあなたがたは「聖霊に浸かる」。もっと言えば、あなたがたに聖霊が降る。弟子たちに助け主としての聖霊が与えられる、と言っているのです。聖霊についてのもう一つの言及が8節です。1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」8節では「聖霊が降る」ことと、キリストの「証人となる」ことが、関連づけられています。キリストの証人となることの中味については、第一巻であるルカ福音書の最後に記されています。ルカ24:46-48 メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。つまり、イエスが苦しみを受け十字架で死に、三日目に復活したこと。そのことを信じ受け入れることで、悔い改めと罪の赦しが与えられること。これは、キリストの福音ですよね。弟子たちに、キリストの福音の証人となる使命がここで与えられたわけですが、その前に「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」ということがあるのです。「あなたがたは証人となる」これは、弟子たちに与えられた働き、使命です。弟子たちに働きだけが与えられたのではなく、それを成し遂げるための力が与えられることが約束されています。それが、聖霊に浸される、聖霊が降る、聖霊を受ける、ということ。その働きをするための力が聖霊降臨なのです。弟子たちは、働きだけ与えられて放り出されたのではありません。この約束が実現し、聖霊に導かれ、助けられて、キリストの福音が世界に広がっていく。その様子が使徒言行録に記されているのです。この後、使徒言行録の学びを通して、使徒たちの働きと聖霊の助け、その両方を確認していきたいと考えています。福音書は、イエスが地で人として、目に見える形で弟子たちと共におられる話ですが、使徒言行録はイエスが天に上げられた後の話です。ですから、福音書よりは今の私たちの置かれている状況に近い、とも言えます。使徒言行録の説教を通して、今も、私たちの信仰の歩みと共に働き、力を与えてくださる聖霊の存在が見えてくればいいなあと、そんな風に考えています。これからご一緒に、使徒言行録を読み進めてまいりましょう。 関連する説教を探す 2020年の日曜朝の礼拝 『使徒言行録』
<説教要約>
使徒言行録1章1-53節 (新約 P213)
説教 「聖霊が降ると」
今日から使徒言行録に入ります。
今日は最初なので、まずルカ福音書と使徒言行録との関係についてお話しします。
1-2節は使徒言行録の序文、前書きにあたります。
1:1-2「テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。」
使徒言行録はこういう書き出しで始まります。
ちなみに、ルカ福音書の書き出しは、どうでしょうか。確認しましょう。
ルカ1:1-4
わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。
ルカ福音書の宛先も「テオフィロさま」です。
使徒言行録では「わたしは先に第一巻を著し」とあります。ですから、第一巻がルカ福音書、第二巻が使徒言行録という関係だということがわかります。そうしますと著者もルカ福音書の著者、ルカだということになります。
使徒言行録1章1-2節には、第一巻(ルカ福音書)は、イエスが行い、教え始めてから、天に上げられた日までのことを記したとあります。
そうしますと、その続きである第二巻(使徒言行録)では、イエスが天に上げられてからのことを記すのだ、というふうに読めるわけです。
使徒言行録は、イエスが天に上げられた後の話ですが、内容はルカ福音書と同じで、「イエスが行い、教えておられること」を記している。
もっとはっきり言うと、復活のイエスは天に上げられましたけれど、そこから語られる、夢や幻によってご自身の御計画を示される、あるいは聖霊の働きを通して弟子たちを励まし、力づけ、導かれる。そういうことを、第二巻である使徒言行録で記します、というのがこの序文です。
先週はスパーリンク宣教師のメッセージで、「イエスは天に昇られたけれども、今も私たちの近くにおられる」というメッセージでした。実は、この序文でルカは、それと同じことを記しているのです。
では、どういう形で天に昇られたイエスが弟子たちと共におられ、どのように弟子たちを助け、どのように弟子たちを教え、そしてどのようにご自身の働きにお用いになったのでしょうか。
それを、これから使徒言行録を通して一緒に学んでいきたいのです。
また、使徒言行録を見ていく中で、学びを通して、今も私と共におられる主イエス、私を用いて福音宣教の業を進められるイエスを確認したいのです。
そこで大きなカギとなるのは、聖霊が与えられる、「聖霊が降る」ということです。
ルカ福音書では、「聖霊」の具体的な働きについて語られていませんでしたが、今日の所では聖霊の働きについて、二つのことが明らかにされています。その一つが5節。
1:5 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。
ここを読みますと、洗礼式の話のように読めますが、必ずしも洗礼式のことではありません。
「洗礼を授ける」と訳されているギリシャ語、もともとの意味は「水に浸す」とか「体を洗う」という意味のことばです。それが宗教的に用いられるようになって「洗礼を授ける」という意味になったのです。
洗礼者ヨハネが授けたのは「悔い改めの洗礼」で、ヨルダン川に浸かるということで授けられました。しかし、まもなくあなたがたは「聖霊に浸かる」。もっと言えば、あなたがたに聖霊が降る。弟子たちに助け主としての聖霊が与えられる、と言っているのです。
聖霊についてのもう一つの言及が8節です。
1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
8節では「聖霊が降る」ことと、キリストの「証人となる」ことが、関連づけられています。
キリストの証人となることの中味については、第一巻であるルカ福音書の最後に記されています。
ルカ24:46-48 メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。
つまり、イエスが苦しみを受け十字架で死に、三日目に復活したこと。そのことを信じ受け入れることで、悔い改めと罪の赦しが与えられること。これは、キリストの福音ですよね。弟子たちに、キリストの福音の証人となる使命がここで与えられたわけですが、その前に「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」ということがあるのです。
「あなたがたは証人となる」これは、弟子たちに与えられた働き、使命です。
弟子たちに働きだけが与えられたのではなく、それを成し遂げるための力が与えられることが約束されています。それが、聖霊に浸される、聖霊が降る、聖霊を受ける、ということ。その働きをするための力が聖霊降臨なのです。弟子たちは、働きだけ与えられて放り出されたのではありません。
この約束が実現し、聖霊に導かれ、助けられて、キリストの福音が世界に広がっていく。その様子が使徒言行録に記されているのです。
この後、使徒言行録の学びを通して、使徒たちの働きと聖霊の助け、その両方を確認していきたいと考えています。
福音書は、イエスが地で人として、目に見える形で弟子たちと共におられる話ですが、使徒言行録はイエスが天に上げられた後の話です。ですから、福音書よりは今の私たちの置かれている状況に近い、とも言えます。
使徒言行録の説教を通して、今も、私たちの信仰の歩みと共に働き、力を与えてくださる聖霊の存在が見えてくればいいなあと、そんな風に考えています。
これからご一緒に、使徒言行録を読み進めてまいりましょう。