2022年05月08日「私は主 あなたの神」

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私は主 あなたの神

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
出エジプト記 20章1節~17節

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聖句のアイコン聖書の言葉

神はこれらすべての言葉を告げられた。
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
安息日を心に留め、これを聖別せよ。
六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
出エジプト記 20章1節~17節

原稿のアイコンメッセージ

<説教要約> 
先週から十戒の学びをしていますが、今朝は、十戒の序言とそれに続く第一戒を学びます。
第一戒の前にかかれているのが序言です。
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」
神は十戒の序言で、自己紹介しています。
「わたしは主、あなたの神」と。

ですが、神が「わたしは主である」と自己紹介したのは、このときが最初ではありません。
出エジプトの指導者として、神がモーセをお選びになった時に、まずモーセに対して「わたしは主である」と自己紹介されたのです。出エジプト記6:2-8です。ここで「わたしは主である」という自己紹介が何度もされています。
また、どのような主であるかと言えば、あなたの先祖たちが信じていた神、「アブラハム、イサク、ヤコブに現れた神」だと、紹介しました。イスラエルの民にとって、アブラハム、イサク、ヤコブと言えば、自分たちの先祖であり、その先祖たちが信じていた神である方が「わたしは主である」と名乗って現れたのですから、これはもう大変なことです。
また、その神が、彼らに十戒をお与えになった時点では、すでに出エジプトが現実となっていたのです。
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」
イスラエルの民は、そういう方から与えられた言葉として「十戒」を受け取ったのです。

このように、イスラエルの民にとって、主なる神は、彼らをエジプトの奴隷の苦しみから救い出してくださった方、贖いだしてくださった神でしたが、私にとってはどうでしょうか?
私は今、エジプトの奴隷ではありませんが、しかし、キリストを知らなかったときの私は、罪の中であがいている罪の奴隷でした。そして、神は、キリストの十字架という救いの道を通して、私の罪を贖ってくださり、私を罪の奴隷から救い出してくださいました。
ですから、キリストを信じた私にとって十戒の序文は、「わたしは主、あなたの神、あなたを罪の中から導き出した神である。」となります。
神を知らず、イエス・キリストを信じていない私は、罪の中にあり、確かに罪の奴隷というような状態でした。そういう中では、十戒は罪を指摘するだけの厳しい言葉です。
しかし、イエス・キリストに結ばれ、罪ゆるされて、神の民、神の家族とされた私にとって、十戒は、神の御心を知る言葉、神に喜ばれ、神と人と幸いな関係で生きるための指針となります。
それでもなお、十戒に従って生きることのできない、神を悲しませることの多い私ですが、この私に、主なる神はなお、「わたしは主、あなたの神」と呼びかけてくださるのです。

私が、そういう神の御心、戒めである十戒に従って生きる時、私の人生は、様々な鎖から解き放たれて、本来の姿に帰ることができるのです。
そのことをよく理解した主の民、詩編の詩人はこのように告白しています。
詩編19:8-15
19:8 主の律法は完全で、魂を生き返らせ/主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
19:9 主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え/主の戒めは清らかで、目に光を与える。
19:10 主への畏れは清く、いつまでも続き/主の裁きはまことで、ことごとく正しい。
19:11 金にまさり、多くの純金にまさって望ましく/蜜よりも、蜂の巣の滴りよりも甘い。
19:12 あなたの僕はそれらのことを熟慮し/それらを守って大きな報いを受けます。
19:13 知らずに犯した過ち、隠れた罪から/どうかわたしを清めてください。
19:14 あなたの僕を驕り(おごり)から引き離し/支配されないようにしてください。そうすれば、重い背きの罪から清められ/わたしは完全になるでしょう。
19:15 どうか、わたしの口の言葉が御旨にかない/心の思いが御前に置かれますように。主よ、わたしの岩、わたしの贖い主よ。

序言に続くのが第一戒です。
20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
神は、上から目線で「わたしをおいてほかに神があってはならない」と言われるのではありません。
わたしはあなたを守り慈しむ神。先祖との約束を守り、奴隷の苦しみからあなたを救い出した神。あなたの神である。だからあなたは、わたし以外の何者をも「神」としてはいけない。わたし以外の何者をも「神」として頼る必要はない。あなたを救える「神」はわたしだけだ、という宣言が第一戒の心です。
私たちが十戒に取り組むうえで大切なことは、十戒を神が命じておられる禁止と命令と捉えるのではなく、その裏にある神の心をよく考えて、それを受け取ることが大切です。

改革派教会の創立七十周年宣言の後半「善き生活」では、キリストにならって生きる道、命の道として、十戒を示しています。「日本キリスト改革派教会創立70周年宣言」と検索すると出てきますので、ぜひ読んでみてください。以下、関係する所を記しておきます。

善き生活
(キリストにならって)
 福音に生きる善き生活とは、命の道をキリストにあって歩むことである。
 罪の支配から解放されて、生きるにも死ぬにもキリストのものとされたわたしたちは、命の御霊によって新しく創造され、御子キリストが歩まれたように、御父の心を生きる。

(命の道)
 御父の心そのものである神の掟は、人を真に生かす命の道であり、造り主の愛の意志である。
 キリストによって神の驚くべき恵みの契約へと入れられたわたしたちは、この命の道を、神の子どもとして、強いられてではなく、ただ感謝と喜びの心から、全く自由に歩んでいこう。
 生きる喜びが失われたこの世界で、福音としての生活を回復し、この世に祝福をもたらす生活を生きることこそ、神の子らの特権であり使命だからである。

一.「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」
  「何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」
 自らを人生の中心としたことが人間の堕落の始まりであった。それ故、真の神を全生活の中心とすることが人間再生の第一歩である。
 わたしたちは、父・子・聖霊の神のみを神として崇め、この神の栄光を現し、神ではないものを恐れることなく、真の自由を生きていこう。 
 それ故、わたしたちは、被造物にすぎないものを神とする偶像崇拝や、わたしたちの心を縛ろうとするこの世の力や世俗主義に、主の御言葉への聴従と祈祷をもって抵抗する。

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