2022年04月24日「婦人よ、なぜ泣くのか?」
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婦人よ、なぜ泣くのか?
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ヨハネによる福音書 20章1節~18節
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聖書の言葉
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。
二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。
続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた
イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。
マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。
天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。
イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」
マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨハネによる福音書 20章1節~18節
メッセージ
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参照:ハイデルベルク信仰問答問 Q. & A. 45
趣旨:死者の中からよみがえられた主イエス様が真っ先に現れたのは誰にだったでしょうか。マグダラのマリアと他の女性たちでした。これが何を意味するのか、ご一緒に考えましょう。
中心的主張点:生きておられる主イエスを見上げると、絶望が消え、希望が湧き上がる、悲しみと思い煩いの涙が拭われ、輝く笑顔が生まれる。
聖書朗読:ヨハネによる福音書20章1−18節(新協同訳聖書・新約209頁)
序説:ヨハネ伝の著者の目的:信じてイエスの名によって命を得させること。(20章31節)
1、性差別の世界:女性による証言が無視される時代的背景がある。
ア、性差別は今日的課題であるが初めからある現象でもある。
イ、使徒パウロの態度は?
ウ、主イエス様の行動からイエス様の態度を理解する。
2、マグダラのマリアについて知っていることを確認しよう。
ア、名前はヘブライ語で「ミリアム」、モーセの姉と同じ、最もポピュラーな名前。
イ、イエス様に悪霊から癒していただき、献身する。
ウ、イエス様の受難を目撃しお墓におさまるところまで見届ける。
3、日曜日の朝の出来事を確認しよう。
ア、安息日(土曜日)に翌日(日曜日)の行動を決めて準備する。
イ、他の福音書を読みあわせることによって豊かな情報を得よう!
ウ、マグダラのマリアのストーリーを順次よく見よう。
A、誰よりも先に朝早くイエス様の遺体が葬られた墓場を確認に行く。
B、石が転がしてあり、イエス様の遺体が無くなっていることをペテロたちに知らせる。
C、イエスの遺体がないことに困り果てている。
(当時のお墓の構造)
D、マリアの質問が当然である。
E、二人の真っ白の服を着ている若者に聞かれること、知らされること。
F、悲しみが消えないマリアの前によみがえられた主イエスが現れる次第。
G、イエス様から託されたメッセージを弟子たちに知らせると、、、
エ、もう落胆しない婦人たちの証が今日の我らにも届いている。
結論:イエス様は泣く者を憐れみ、ご自身を現し、喜びと希望へと導いてくださる。