2023年12月05日「身ごもったマリア」

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身ごもったマリア

日付
説教
尾崎純 牧師
聖書
ルカによる福音書 1章39節~45節

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聖句のアイコン聖書の言葉

39そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。40そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。41マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、42声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。43わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。44あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。45主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ルカによる福音書 1章39節~45節

原稿のアイコンメッセージ

クリスマスを待ち望むシーズンに入っています。
アドベントですね。
日本語で「待降節」とも言われます。
教会ではクリスマスを4週間かけて待ち望みます。
その4週間目がクリスマス礼拝の当日になります。
アドベントと聞きましても、あまり聞いたことがないかもしれませんが、「到来」という意味でして、このアドベントという言葉は完了形なんです。
キリストはもうすでにこの世にいらした。
その日がまた今年もめぐってくるのを待ち望むんですね。
ちなみにこのアドベント、これは完了形なんですが、これが未来形になるとアドベンチャーという言葉になります。
冒険ですよね。
イエス様は冒険して、この世に来てくださった。
まさに冒険ですよ。
神様の元におられたのに、この世に下ってくるんですから。

今日の話は、その大冒険に当たっての、イエスの母マリアの物語です。
この冒険は、マリアにとっても冒険でした。
大変な大冒険でした。
ですから今日、マリアが親せきのエリサベトをたずねるんですが、マリアは「急いで」行くんですね。
どうしてかと言いますと、今日の場面のすぐ前の場面で、マリアは天使からお告げをいただいていたんですね。
マリアがイエス様を生むということです。
まだ結婚していないのにです。
もしそんなことになったら大変なことですよ。
そんなことがあったので、マリアとしてはじっとしていられません。
エリサベトに急いで会いに行くんです。

どうしてエリサベトに会いに行く必要があるんでしょうか。
天使のお告げの中に、こういう言葉がありました。
36節です。
「あなたの親類のエリサベトも、年を取っているが、男の子を身ごもっている」。
どうやらエリサベトは子どもを生むような年ではなかったらしいですね。
それなのに身ごもっているんだよと天使は教えてくれました。
だからマリア、あなたも男の子を生むよ、ということなんですね。
つまりエリサベトは天使が与えてくれたしるしです。
天使の言葉を信じることができるように、証拠を出してくれたわけです。
だから、急いでエリサベトのところに行くんですね。

しかし、改めて考えてみますと不思議な話です。
マリアは神の力によってイエス様を生むんですよね。
まだ結婚していないのに子どもが生まれるというのはありえないことです。
それはつまりは、神様のなさることです。
だったら、神様は天使をマリアの所に行かせて、「あなたがイエス様を生む」なんて伝えたりしなくてもいいのではないかと思うんですね。
どのみち、神の力でやることなんですから、前もって人間に断りを入れておく必要はありません。
どうしてわざわざマリアに予告したのでしょうか。
ここに、神様がどういう方なのかということが良く表れています。
神様は、人と一緒に働く方なんですね。
聖書のどのページを読んでも、神が一方的に人を動かしたなんていう話はありません。
もちろん、神様は前もって人に言っておかなければ働くことができないわけではありません。
ただ、神様は、人と一緒に働くということを大事になさる方なんですね。
神様は何の断りもなく一方的に何かをすることもできます。
しかしそれは神様のやり方ではないんですね。
神様は人と心を合わせてやっていきたいと願っておられるんです。
だから、前もって話をするし、この時にはマリアが信じることができるように証拠も出してくれたんです。

しかし、大事なことは、マリアは、証拠をこの目で見たから信じたのではないということですね。
すでに38節で、マリアは、「お言葉どおり、この身に成りますように」と言っています。
別に天使が無理やり信じさせたのではありません。
マリアが信じたんです。
まだ証拠を見ていないのに、信じたんです。
信じたのなら、別に、エリサベトのところに確かめに行く必要もなさそうですが、エリサベトに会いに行く。
年を取っているのに神の力が働いて子どもを生むということは、エリサベトも何か神様から聞いていることがあるかもしれません。
マリアとしては、エリサベトのお腹が大きくなっているかどうかを確かめたいのではありません。
エリサベトの話を聞きたいんです。
それで、急いで行くんですね。

ここに、学ばされることがありますね。
私たちは時々、「時間ができたら行きます」と答えることがあります。
「行けたら行きます」と答えることがあります。
そうなりますと、たいていは行かないんですね。
そうではなくて、「急いで行く」ということ。
「急いで行く」ということは、それを第一にするということです。
神様の言葉を第一にする。
普通には考えられないことだけれども、神様が私の背中を押してくれていると感じた時に、すぐに行動に移すということ。
これがクリスマスの一つのポイントなんでしょうね。
少し後の場面になりますが、2章16節で、キリストの誕生を知らされた羊飼いたちも、急いで行ったんですね。
すぐに行動に移したんです。
すぐに行動に移すということだけだったら得意な人もいるかもしれないですね。
ただこの場合は、ありえないこと、普通には考えられないことが言われているんです。
ここに神様からのメッセージがあります。
普通には考えられないことでも、背中を押されていると思う時には、すぐに行動しなさい。
そういうことですね。
しかし、どうしてそんなことが言われるのでしょうか。
私たちは、普通には考えられないことだと、時間ができたらやります、できそうだったらやります、と答えてしまうんですね。
でも、普通には考えられないことを受け入れることはとても大事です。
何しろ、神様は私たちの常識には収まらない方ですから。
と言うか、私たちの常識に収まるんだったら神様ではないですね。
だから、私たちが神様と心を一つにするためには、自分の考えをいったん横に置いて、神の側につくことが大事です。
神様からすると、私たちは自分の考えにこだわりすぎなんでしょうね。
1章18節で、エリサベトの夫ザカリアは、年取った自分たち夫婦に子どもが与えられると聞いて、「何によって私はそれを知ることができるでしょうか」と言いました。
自分の考えにこだわっているわけです。
天使が目の前に現れたのに、自分お考えにこだわっているんです。
けれども、神様は私たちの考えを変えてくださる方なんですね。
だから、もし私たちが、これは神様が私の考えを変えようとしておられるんだなと思ったら、その時、思い切って自分の考えを退けて神の側につくこと、それがとても大事なんだと思います。

そして、そうする時には、エリサベトと会ったマリアは、どんな言葉をエリサベトから聞いたでしょうか。
祝福の言葉です。
これ、神様がマリアを祝福しておられるんですよね。
エリサベトの言葉ですが、41節に、「エリサベトは聖霊に満たされて」、そう言ったんでした。
神の祝福です。
もし、私たちが自分を退けて神の側につくなら、私たちも同じ祝福をいただくことになるんですね。
そして、言葉だけでなく、考えもしないような祝福を実現してくださるんです。

ここで、マリアは何を祝福されているでしょうか。
45節に「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた」ことが「幸い」だと言われています。
マリアは、神の言葉が必ず実現すると信じました。
それこそが幸いということなんですね。
神の言葉は実現します。
それが聖書の語る信仰です。
しかし、それを信じることが私たちにとって難しいんですね。
神の言葉よりも人の言葉が気になることがあります。
人の言葉よりも自分の言葉が第一になってしまうのが私たちです。
しかし、そこで神の言葉を信じることができるかどうか。
信じると言うか、受け入れることができるかどうか。
幸いはそこにかかってくるんですね。

そしてこの、今日の物語ですが、これを、マリアだけのことだと思わないで欲しいですね。
聖書の言葉は神の言葉です。
その言葉を、私たちは聞いたんです。
ですから、今日の言葉は私たちにも実現します。
私たちは、マリアは特別な人で、自分は何も特別な人間ではないと思うかもしれません。
私たちは生まれてから今まで、周りの人たちからそう思わされてきましたから、そういうふうに考えてしまいます。
でも、マリアも普通の女の子なんです。
どこにでもいる、他の子と何の違いもない女の子です。
今で言う、中学生くらいの年の子どもです。
マリアが選ばれて、皆さんが選ばれないなんていうことはないんです。
マリアが選ばれたということは、誰でも選ばれるということです。
もし、今日聞いた神の言葉を受け入れるなら、私たちにも、信じられないような祝福の出来事が起こります。
神様は今日も、神様と共に働く人を求めています。
だから今日、私たちはこの御言葉を聞いたんです。
神様は今日も、私たちが考えもしないような大きな祝福を私たちに用意しておられます。
だから今日、私たちはこの御言葉を聞いたんです。
今すぐに、ご自分の考えを退けてください。
神の側に立ってください。
今日、この御言葉が実現します。
そして、予想もしなかったくらいの祝福が実現します。

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