愚かなことをしたサウル 2021年3月10日(水曜 聖書と祈りの会)
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愚かなことをしたサウル
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- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
サムエル記上 13章8節~15節
聖書の言葉
13:8 サウルは、サムエルが命じたように、七日間待った。だが、サムエルはギルガルに来なかった。兵はサウルのもとから散り始めた。
13:9 サウルは、「焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を持って来なさい」と命じて、焼き尽くす献げ物をささげた。
13:10 焼き尽くす献げ物をささげ終えたそのとき、サムエルが到着した。サウルは彼に挨拶しようと迎えに出た。
13:11 サムエルは言った。「あなたは何をしたのか。」サウルは答えた。「兵士がわたしから離れて散って行くのが目に見えているのに、あなたは約束の日に来てくださらない。しかも、ペリシテ軍はミクマスに集結しているのです。
13:12 ペリシテ軍がギルガルのわたしに向かって攻め下ろうとしている。それなのに、わたしはまだ主に嘆願していないと思ったので、わたしはあえて焼き尽くす献げ物をささげました。」
13:13 サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに。
13:14 しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。」
13:15 サムエルは立ち上がり、ギルガルからベニヤミンのギブアに上って行った。サウルは、自分のもとにいた兵士を数えた。およそ六百人であった。サムエル記上 13章8節~15節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記上』の第13章8節から15節前半より、「愚かなことをしたサウル」という題でお話しします。
8節に、「サウルは、サムエルが命じたように、七日間待っていた」とあります。ギルガルに踏みとどまっていたサウルは、サムエルを待っていたのです。サムエルは、いつ、サウルに、七日間待っているように命じたのでしょうか。第10章8節で、サムエルはサウルにこう言っていました。「わたしより先にギルガルに行きなさい。わたしもあなたのもとに行き、焼き尽くす献げ物と、和解の献げ物をささげましょう。わたしが着くまで七日間、待ってください。なすべきことを教えましょう」。このように、サムエルは、サウルに語っていたのです。そして、サウルは命じられたように、ギルガルで、七日間、サムエルが来るのを待っていたのです。しかし、サムエルはギルガルに来ませんでした。サウルの後ろでおののいていた兵士たちは、サウルのもとから散り始めていました。それで、サウルは「焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を持って来なさい」と命じて、焼き尽くす献げ物をささげたのです。サウルは、兵士たちが散って少なくなることを恐れて、主に焼き尽くす献げ物を自らささげたのでした。そして、サウルが焼き尽くす献げ物をささげ終えたとき、サムエルが到着したのです。サウルはサムエルに挨拶をしようと迎えに出ました。そのサウルに、サムエルはこう言いました。「あなたは何をしたのか」。これは、サウルの行為を非難する強い言葉です(創世記3:13参照)。サウルは答えてこう言います。「兵士がわたしから離れて散って行くのが目に見えているのに、あなたは約束の日に来てくださらない。しかも、ペリシテ軍はミクマスに集結しているのです。ペリシテ軍がギルガルのわたしに向かって攻め下ろうとしている。それなのに、わたしはまだ主に嘆願していないと思ったので、わたしはあえて焼き尽くす献げ物をささげました」。ここで、サウルは自分のしたことの弁明をしています。第10章8節のサムエルの言葉によれば、サムエルが、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげるはずでした。しかし、サムエルが約束の七日間を過ぎても来なかったので、サウルはあえて焼き尽くす献げ物をささげたのです。サウルは、主に焼き尽くす献げ物をささげることによって、ペリシテ人との戦いが主の戦いであることを、兵士たちに明らかにし、勝利を願ったのでありました。そのようにして、散って行こうとする兵士たちの心をつなぎとめ、戦う意欲を高めようとしたのです。このサウルの弁明は、もっともであるように思えます。そもそも、サムエルが約束の日までに来ればよかったのです。しかし、サムエルは、サウルにこう言うのです。「あなたは愚かなことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに。しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ」。サムエルは、サウルがしたことを、「愚かなこと」と言います。サウルがサムエルを待ちきれずに、主に焼き尽くす献げ物をささげたことのどこが、愚かなことだったのでしょうか。聖書において「愚か」とは、神さまを認めないこと。神さまがいても、自分には何もすることができないと考えることを言います(詩14参照)。とすれば、サウルは、神さまへの信仰を抜きにして、神さまに焼き尽くす献げ物をささげたということです。サウルは、兵士が自分から離れていくことがないように、主に焼き尽くす献げ物をささげたのです。サウルは、約束の日が過ぎても、サムエルを待ち続けるべきでした。そして、サムエルが主に焼き尽くす献げ物をささげ、サムエルの口を通して、なすべきことを教えられるべきであったのです。なぜなら、サムエルは、イスラエルの民と王が聞き従うべき預言者であったからです。サムエルは、第12章23節から25節で、こう言っていました。
わたしもまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない。あなたたちに正しく善い道を教えよう。主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい。悪を重ねるなら、主はあなたたちもあなたたちの王も滅ぼし去られるであろう。
主は預言者であるサムエルを通して、正しく善い道を教えられます。そして、そのサムエルの言葉に、王も聞き従わなくてはならないのです。もし、預言者の言葉に聞き従わずに、悪を重ねるならば、王であっても滅ぼされるのです。主は、王が御自分の御心に従って、イスラエルの民を治めることができるように、預言者を立てられました。主がまことの王であるイスラエルにとって、王と預言者は、一組(ワンペア)であるのです。しかし、王であるサウルは、預言者サムエルを通して語られる主の御言葉を待つことができなかったのです。サウルが待つことができなかったのは、サムエルだけではありません。サウルが待つことができなかったのは、サムエルを通して語られる主の御言葉であったのです。そして、そのようなサウルに、サムエルは、「あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる」というのです。王であるサウルには、イスラエルの真の王である主の御心に従うことが誰よりも求められます。主の御心の表れである主の御言葉を守ることが誰よりも求められるのです。なぜなら、そのようにしてこそ、イスラエルの真の王は、人間ではなく、主なる神であることが示されるからです。
私たち教会の頭、王は、イエス・キリストであります。そうであれば、私たちの教会はイエス・キリストの御言葉を待ち望み、イエス・キリストの御言葉に従うことが求められているのです。イエス様は、教会を霊的に治める権能を、牧師と長老たちの会議、小会に授けられました。そうであれば、小会の議員である牧師と長老たちには、イエス・キリストの御言葉を守ることが求められるのです。イエス・キリストの御言葉を守る牧師や長老たちによって教会が治められるとき、教会の王はイエス・キリストであることがはっきりと示されるのです。