ペリシテ人との戦い 2021年3月03日(水曜 聖書と祈りの会)

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ペリシテ人との戦い

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 13章1節~7節

聖句のアイコン聖書の言葉

13:1 サウルは王となって一年でイスラエル全体の王となり、二年たったとき、
13:2 イスラエルから三千人をえりすぐった。そのうちの二千人をミクマスとベテルの山地で自らのもとに、他の千人をベニヤミンのギブアでヨナタンのもとに置き、残りの民はそれぞれの天幕に帰らせた。
13:3 ヨナタンは、ゲバに配置されていたペリシテの守備隊を打ち破った。ペリシテ人はそれを伝え聞いた。他方、サウルも国中に角笛を吹き鳴らして言った。「ヘブライ人よ、聞け。」
13:4 全イスラエルは、サウルがペリシテの守備隊を打ち破ったこと、イスラエルがペリシテ人の憎しみをかうことになったということを知った。民はギルガルのサウルのもとに呼び集められた。
13:5 ペリシテ軍は、イスラエルと戦うために集結した。その戦車は三万、騎兵は六千、兵士は海辺の砂のように多かった。彼らは上って来て、ベト・アベンの東、ミクマスに陣を敷いた。
13:6 イスラエルの人々は、自分たちが苦境に陥り、一人一人に危険が迫っているのを見て、洞窟、岩の裂け目、岩陰、穴蔵、井戸などに身を隠した。
13:7 ヨルダン川を渡り、ガドやギレアドの地に逃げ延びたヘブライ人もあった。しかし、サウルはギルガルに踏みとどまり、従う兵は皆、サウルの後ろでおののいていた。サムエル記上 13章1節~7節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』の第13章1節から7節より、「ペリシテ人との戦い」という題でお話しをいたします。

 1節に、「サウルは王となって一年でイスラエル全体の王となり、二年たったとき」とあります。このところは、元のヘブライ語が壊れており、さまざまな翻訳がなされます。例えば、聖書協会共同訳では、「サウルは三十歳で王位につき、十二年間イスラエルを統治した」と翻訳しています。そして、その脚注を見ますと、「三十歳」は他のギリシャ語訳写本によるもので、底本(レニングラード写本)では「一歳」であると記されています。一歳で王になったはずはありませんので、他のギリシャ語訳を参照にして、三十歳としたわけです。また、「十二年」についても、脚注に、底本(レニングラード写本)に修正を加えたものと記されています。サウルが王として治めた期間が2年では短いと考えて、12年と修正したのです。また、新改訳2017では、1節を次のように訳しています。「サウルは、ある年齢で王となり、二年間だけイスラエルを治めた」。底本に、何歳で王になったか記されていませんので、新改訳2017は、「ある年齢で王となり」と訳しました。そして、脚注で、別の訳として、「三十歳で王となり、十二年間」という翻訳を記しています。このように、聖書の言葉は、本文を確定することが難しい箇所があるのです。そのことを心に留めていただいて、新共同訳聖書の翻訳で読み進めていきたいと思います。

 サウルは王となって一年でイスラエル全体の王となり、二年たったとき、イスラエルから三千人をえりすぐりました。これは、イスラエルにおいて常備軍(平時から常設されている軍隊)が設けられたことを意味しています。イスラエルの民が自分たちのうえに王を立てることを要求したのは、イスラエルをペリシテ人の支配から解放するためでありました。王であるサウルに求められていたことは、イスラエルの民をペリシテ人の手から救うことであったのです。そのため、サウルは、イスラエルの民の中から三千人を選んで、イスラエルの常備軍としたのです。サウルは、三千人のうち二千人をミクマスとベテルの山地にいる自分のもとに、他の千人をベニヤミンのギブアでヨナタンのもとに置きました。ここで突然、「ヨナタン」の名前が出て来ます。16節によれば、ヨナタンはサウルの息子でありました。ヨナタンは、第14章で大活躍するのですが、このとき、ヨナタンは20歳以上であったと思われます。と言いますのも、イスラエルで兵役につくことができるのは20歳以上のものであるからです(民数記1:3参照)。そうすると、サウルの年齢がますます分からなくなってしまうわけです。ある人は、「サウルは50歳で王になったのではないか」と推測しています。ともかく、ヨナタンは、ゲバに配置されていたペリシテの守備隊を打ち破りました。4節を見ると、「全イスラエルは、サウルがペリシテの守備隊を打ち破った」ことを知ったとあります。ですから、ヨナタンは、サウルの命令によって、ペリシテの守備隊を打ち破ったのかも知れません。ペリシテ人は、イスラエルが反乱を起こしたことを伝え聞きました。他方、サウルも国中に角笛を吹き鳴らして、「ヘブライ人よ、聞け」と言いました。サウルは、角笛を吹き鳴らすことによって、ペリシテ人との戦いが始まったことをイスラエルの民に知らしめたわけです。ここで、イスラエルの民が「ヘブライ人」と呼ばれています。「ヘブライ人」は、外国人がイスラエルの民を呼ぶときに用いる蔑称です。しかし、その「ヘブライ人」という言葉を、サウルはあえて用いることによって、イスラエルの民の戦意(戦おうとする意気込み)を高めようとするのです。全イスラエルは、サウルがペリシテの守備隊を打ち破ったこと、イスラエルがペリシテ人の憎しみをかうことになったことを知りました。民はギルガルにいるサウルのもとに呼び集められたのです。それぞれの天幕に帰っていた民が兵として召集されたのです。

 ペリシテ軍も、イスラエルと戦うために集結しました。「その戦車は三万、騎兵は六千、兵士は海辺の砂のように多かった」とありますが、これは明らかに誇張された数です。ある写本は、「戦車の数は三千」と修正していますが、それでも多いと言われます(戦車一台に馬二頭は必要)。ともかく、ペリシテ軍は大軍勢であったのです。ペリシテ人はベト・アベンの東、ミクマスに陣を敷きました。そのペリシテ人の大軍勢を見て、イスラエルの人々は、自分たちが苦境に陥り、一人一人に危険が迫っていることを理解しました。そして、洞窟、岩の裂け目、岩陰、穴蔵、井戸などに身を隠したのです。また、ヨルダン川を渡って、ガドやギレアドの地に逃げ出すヘブライ人もいました。しかし、サウルはギルガルに踏みとどまっていました。イスラエルの民は、王が陣頭に立って進み、自分たちの戦いを戦うことを求めましたが、サウルは王として、前線にとどまっていたのです(8:20参照)。『ネヘミヤ記』の第6章11節に、「わたしの立場にある者は逃げることはできない」という御言葉があります。「あなたの命を狙う者がいる。神殿に逃れなさい」という者に対して、ネヘミヤは、こう言いました。「わたしの立場にある者は逃げることはできない。わたしのような者で、聖所に入って、なお生き長らえることのできる者があろうか。わたしは入らない」。サウルも同じような気持ちであったと思います。ペリシテ人の大軍勢を見て、サウルも、自分の民に危険が迫っていることを理解しました。サウルも王でなかったら、隠れたり、逃げ出したりしたかも知れません。しかし、王であるサウルに、逃げることは許されないことでありました。サウルはギルガルに踏みとどまったのです。王である自分はおののいた姿を見せることはできない。しかし、そのサウルの後ろで、兵士たちは、おののいていたのです。  

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