サムエルの告別説教 2021年2月17日(水曜 聖書と祈りの会)
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サムエルの告別説教
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記上 12章1節~12節
聖書の言葉
12:1 サムエルは全イスラエルに向かって言った。「わたしは、あなたたちがわたしに求めたことについては、すべてあなたたちの声に従い、あなたたちの上に王を立てた。
12:2 今からは王が、あなたたちを率いて歩む。わたしは年老いて、髪も白くなった。そして、息子たちはあなたたちと共にいる。わたしは若いころから今日まであなたたちを率いて歩んできたが、
12:3 今、主と主が油を注がれた方の前で、わたしを訴えなさい。わたしが、だれかの牛を取り上げたことがあるか。だれかのろばを取り上げたことがあるか。だれかを抑えつけ、だれかを踏みにじったことがあるか。だれかの手から賄賂を取って何かを見逃してやったことがあるか。あるなら、償おう。」
12:4 彼らは答えた。「あなたは我々を抑えつけたことも、踏みにじったこともありませんでした。だれの手からも何一つ取り上げたりしませんでした。」
12:5 サムエルは言った。「今日、あなたたちがわたしの手に何一つ訴えるべきことを見いださなかったことについては、主が証人であり、主が油を注がれた方が証人だ。」彼らは答えた。「確かに証人です。」
12:6 サムエルは民に話した。「主は、モーセとアロンを用いて、あなたたちの先祖をエジプトから導き上った方だ。
12:7 さあ、しっかり立ちなさい。主があなたたちとその先祖とに行われた救いの御業のすべてを、主の御前で説き聞かせよう。
12:8 ヤコブがエジプトに移り住み、その後、先祖が主に助けを求めて叫んだとき、主はモーセとアロンとをお遣わしになり、二人はあなたがたの先祖をエジプトから導き出してこの地に住まわせた。
12:9 しかし、あなたたちの先祖が自分たちの神、主を忘れたので、主がハツォルの軍の司令官シセラ、ペリシテ人、モアブの王の手に彼らを売り渡し、彼らと戦わせられた。
12:10 彼らが主に向かって叫び、『我々は罪を犯しました。主を捨て、バアルとアシュトレトに仕えました。どうか今、敵の手から救い出してください。我々はあなたに仕えます』と言うと、
12:11 主はエルバアル、ベダン、エフタ、サムエルを遣わし、あなたたちを周囲の敵の手から救い出してくださった。それであなたたちは安全に住めるようになった。
12:12 ところが、アンモン人の王ナハシュが攻めて来たのを見ると、あなたたちの神、主があなたたちの王であるにもかかわらず、『いや、王が我々の上に君臨すべきだ』とわたしに要求した。サムエル記上 12章1節~12節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記上』の第12章1節から12節より、「サムエルの告別説教」という題でお話しします。
前回、私たちは、サウルに率いられたイスラエルの民が、アンモン人に勝利したこと。そして、そのサウルを、イスラエルの民は皆、王として受け入れ、ギルガルで、王権を更新したことを学びました。14節と15節には、こう記されています。
サムエルは民に言った。「さあ、ギルガルに行こう。そこで王国を興そう。」民は全員でギルガルに向かい、そこでサウルを王として主の御前に立てた。それから、和解の献げ物を主の御前にささげ、サウルもイスラエルの人々もすべて、大いに喜び祝った。
この続きとして、今朝の御言葉、サムエルの告別説教が記されているのです。
1節から5節までをお読みします。
サムエルは全イスラエルに向かって言った。「わたしは、あなたたちがわたしに求めたことについては、すべてあなたたちの声に従い、あなたたちの上に王を立てた。今からは王が、あなたたちを率いて歩む。わたしは年老いて、髪も白くなった。そして、息子たちはあなたたちと共にいる。わたしは若いころから今日まであなたたちを率いて歩んできたが、今、主と主が油を注がれた方の前で、わたしを訴えなさい。わたしが、だれかの牛を取り上げたことがあるか。だれかのろばを取り上げたことがあるか。だれかを押さえつけ、だれかを踏みにじったことがあるか。だれかの手から賄賂を取って何かを見逃してやったことがあるか。あるなら、償おう。」彼らは答えた。「あなたは我々を抑えつけたことも、踏みにじったこともありませんでした。だれの手からも何一つ取り上げたりしませんでした。」サムエルは言った。「今日、あなたたちがわたしの手に何一つ訴えるべきことを見いださなかったことについては、主が証人であり、主が油を注がれた方が証人だ。」彼らは答えた。「確かに証人です。」
サムエルはイスラエルの人々の声に従い、王を立てました。この王こそ、サムエルの後継者であり、サムエルに代わってイスラエルの民を率いて歩むのです。私たちは、サムエルの誕生について、幼子サムエルが祭司エリに仕え、預言者として召されたことについて学んできました。第3章20節には、こう記されていました。「ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルのすべての人々は、サムエルが主の預言者として信頼するに足る人であることを認めた」。また、第7章には、サムエルの祈りによって、イスラエルの民がペリシテ軍から救われたことが記されていました。主はサムエルの祈りに答えて、ペリシテ軍の上に雷鳴をとどろかせ、彼らを混乱に陥れ、イスラエルに勝利を与えられたのです。そのようなイスラエルを率いて来たサムエルが、引退するにあたって、主と主が油を注がれた王の前に、自分に不正があったなら訴えなさいと言うのです。サムエルは、主と主が油を注がれた王の法廷に、自分を被告として立たせるのです。サムエルは、「わたしが、だれかの牛を取り上げたことがあるか。だれかのろばを取り上げたことがあるか」と問うていますが、牛も、ろばも高価な品物でありました。ですから、第十戒に、「隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない」と記されているのです。ここで、「取り上げた」と訳されている言葉は、第8章に記されていた王の権限で、「徴用」「没収」「徴収」と訳されていた言葉と同じです。王には、取る権能が与えられていますが、サムエルにはだれからも牛やろばを取る権能は与えられていないのです。サムエルの「わたしを訴えなさい」との言葉を受けて、イスラエルの民は、サムエルが潔白であることを証言しました。サムエルに対して、何一つ訴えるべきことがないことについては、主と主に油を注がれた王が証人であるのです。第8章で、イスラエルの民が「王を与えよ」と要求したとき、主はサムエルにこう言われました。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ」。「王を与えよ」という民の要求は、イスラエルを率いて来たサムエルを退けることでもありました。しかし、サムエルは、今朝の御言葉で、主と主が油を注がれた王の前に、自分が潔白であることを確かなこととしたのです。このようにして、サムエルは、自分に訴えるべき不正があるので、指導者としての立場を退くのではないことをはっきりとさせたのです。
サムエルは、主と主が油を注がれた王の前で、自分に訴えるべき不正がないことを明らかにした上で、今度は、イスラエルの民を訴える告発人として語ります。6節から12節までをお読みします。
サムエルは民に話した。「主はモーセとアロンを用いて、あなたの先祖をエジプトから導き上った方だ。さあ、しっかり立ちなさい。主があなたたちとその先祖とに行われた救いの御業のすべてを、主の御前で説き聞かせよう。ヤコブがエジプトに移り住み、その後、先祖が主に助けを求めて叫んだとき、主はモーセとアロンとをお遣わしになり、二人はあなたがたの先祖をエジプトから導き出してこの地に住まわせた。しかし、あなたたちの先祖が自分たちの神、主を忘れたので、主がハツォルの軍の司令官シセラ、ペリシテ人、モアブの王の手に彼らを売り渡し、彼らと戦わせられた。彼らが主に向かって叫び、『我々は罪を犯しました。主を捨て、バアルとアシュトレトに仕えました。どうか、敵の手から救い出してください。我々はあなたに仕えます』と言うと、主はエルバアル、ベダン、エフタ、サムエルを遣わし、あなたたちを周囲の敵の手から救い出してくださった。それであなたたちは安全に住めるようになった。ところが、アンモン人の王ナハシュが攻めて来たのを見ると、あなたたちの神、主があなたたちの王であるにもかかわらず、『いや、王が我々の上に君臨すべきだ』とわたしに要求した。」
サムエルは、出エジプトからカナンの土地への定住と、士師の時代を振り返って、主の恵みをイスラエルの民に思い起こさせます。主は、エジプトで先祖が助けを求めたとき、モーセとアロンとを遣わして、彼らを救い出してくださいました。主はイスラエルの民を奴隷の家エジプトから導き出して、乳と蜜の流れる土地カナンに住まわせてくださったのです。しかし、イスラエルの民は、カナンの土地に住むと、主を忘れて、土地の神々、バアルやアシュトレトに仕えるようになりました。それゆえ、主はイスラエルの民をペリシテ人やモアブ人の手に引き渡されたのです。しかし、イスラエルの民が罪を告白して、主に助けを求めて叫ぶと、主は救助者である士師を遣わしてくださいました。11節に、四人の士師の名前が挙げられています。「エルバアル」とは、ミディアン人からイスラエルを救った「ギデオン」のことです(士師6:32)。次の「ベダン」は、『士師記』に登場しない士師で、よく分かりません。「エフタ」はアンモン人からイスラエルの民を救った士師であります。主に対する誓いのゆえに、愛する一人娘を焼き尽くす献げ物としてささげた士師であります(士師11章参照)。注目すべきことに、最後に、「サムエル」と記されています。サムエルは、「自分は最後の士師である」と認識していたのです。イスラエルを率いるのが、年老いたサムエルから若いサウルに代わったことは、単なる世代交代ではありません。イスラエルを率いる者が士師から、王に代わったということであるのです。それはイスラエルの国のあり方を変える大きな転換点であるのです。サムエルがイスラエルの民を、ペリシテ人の手から救ったことについては、第7章に記されておりました。その13節と14節にはこう記されています。「ペリシテ人は鎮められ、二度とイスラエルの国境を侵すことはなかった。サムエルの時代を通して、主の手はペリシテ人を抑えていた。ペリシテ人がイスラエルから奪い取っていた町々は、エクロンからガトまで再びイスラエルのものとなった。イスラエルはその周辺の村々をもペリシテ人の手から救った。イスラエルとアモリ人の間は平和であった」。このように、主は士師を遣わすことによって、イスラエルの民が安全に住めるようにしてくださったのです。そうであれば、アンモン人の王ナハシュが攻めて来た時も、主に助けを求めて叫ぶべきであったのです。しかし、イスラエルの民はそのようにはしませんでした。イスラエルの民は、主が王であるにもかかわらず、「いや、王が我々の上に君臨すべきだ』と言って、王を立てることをサムエルに要求したのです。アンモン人の王ナハシュについては、第11章に記されていました。民が王を求めたことは、第8章に記されていましたから、順番が前後しています。第8章の頃から、アンモン人の王ナハシュの征服が始まっていたのかも知れません。ともかく、イスラエルの民は、西はペリシテ人、東はアンモン人という脅威の中にあって、他の国々と同じように、王を立てることをサムエルに要求したのです。「王を与えよ」という民の要求は、サムエルの目に悪と映りました(8:6参照)。そして、そのことは、今も変わっておりません(12:17参照)。そのことは、主がイスラエルの民をどのように扱って来られたかを振り返るならば、明かであります。主は、御自分の民イスラエルの叫びを聞いて、敵の手から救ってくださいました。そして、現に、サムエルを通して、ペリシテ人から救い、安全に住めるようにしてくださったのです。それにもかかわらず、イスラエルの民は「王が我々の上に君臨すべきだ」と主張したのです。そのようにして、主が王であることを否定したのです。私たち教会の頭、王は、主イエス・キリストであります。しかし、私たちも人間に依り頼むことがあるのです。目に見ることのできないイエスさまよりも、目に見える牧師や長老に依り頼むことがあるのです。そうであるならば、私たちも罪を告白して、立ち帰らなければならないのです。牧師を立て、長老を立て、遣わしてくださる主イエス・キリストが王であることを、私たちは心に留めたいと願います。