進み出るイエス 2011年1月09日(日曜 朝の礼拝)

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進み出るイエス

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 18章1節~11節

聖句のアイコン聖書の言葉

18:1 こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。
18:2 イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。
18:3 それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。
18:4 イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。
18:5 彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。
18:6 イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。
18:7 そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。
18:8 すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」
18:9 それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。
18:10 シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。
18:11 イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」ヨハネによる福音書 18章1節~11節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝から第18章に入ります。1節に「こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた」とあります。第13章から第16章までに最後の晩餐の席でのイエス様のいわゆる告別説教が記されておりました。また第17章にはその結びとも言えるイエス様のいわゆる大祭司の祈りが記されておりました。その話を終えて、イエス様は弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれたのです。キドロンの谷の向こう側、それはオリーブ山でありました。イエス様はオリーブ山にある園の中へ弟子たちと入られたのであります。マルコによる福音書とマタイによる福音書はこの園の名前がゲツセマネであったことを伝えています。ゲツセマネと私たちが聞きますと、すぐに思い起こすのがゲツセマネの祈りであります。ルカによる福音書はゲツセマネという名称は出しませんけれども、オリーブ山でイエス様が祈られたことを記しています。けれどもヨハネによる福音書はオリーブ山の園でイエス様が祈られたことを記しておりません。11節の「父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」というイエス様の御言葉にゲツセマネの祈りの反響を聞き取るだけであります。マルコによる福音書はイエス様がゲツセマネの園で「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と祈られたことを記しております。けれどもヨハネによる福音書の描くイエス様は「父がお与えになった杯は飲むべきではないか」と言われるのです。ヨハネによる福音書の描くイエス様は御父の御心をいつも行うお方であり、命を捨てる権能と命を再び受ける権能を持つお方であるのです。

 だいぶ前に第12章27節以下からお話したときに「ここにヨハネによる福音書におけるゲツセマネの祈りが記されている」と申しました。第12章27節でイエス様はこうおっしゃいました。「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください」。ヨハネによる福音書の描くイエス様は御自分が十字架に上げられるために来たことを明確に弁えておられます。それゆえ、イエス様は十字架に上げられる前夜、最後の晩餐の席において十字架の死から復活する勝利者として御言葉を語り、弟子たちのために祈られたのであります。

 それにしてもこのような違いがなぜ生じるのでしょうか?一つの理由はヨハネによる福音書が、共観福音書を直接の資料として用いていないことにあると考えられます。マルコによる福音書が最初に記されて、それをマタイとルカが一つの資料として用いてそれぞれの福音書を記したと考えられておりますが、ヨハネによる福音書は別の伝承を用いて福音書を記したと考えられるのです。また四つの福音書の違いについては、世界でも有数の新約聖書学者であるレイモンド・E・ブラウンが次のように述べています。「福音書はどれも復活のあとの観点から書かれていることを忘れてはならない。福音書間の違いは、イエスの公の宣教活動を振り返り、書き著すときに復活後の観点がどれほど深まったかの違いから生じたものである。この復活後の観点の深まりを(浅いものから深いものへと)並べるなら、マルコ、ルカ、マタイ、ヨハネの順になる。(中略)それで、ヨハネ福音書は、復活後の観点からイエスの活動を再解釈した福音書のなかで、最も大切なものと受けとめられている」(女子パウロ会『聖霊の降臨』15頁)。マルコによる福音書は70年頃に、マタイによる福音書とルカによる福音書は80年頃に、ヨハネによる福音書は90年頃に執筆されたと考えられています。ヨハネによる福音書は最後に記された福音書として復活後の観点が最も深まっていると言えるのです。もちろんそれぞれの福音書には異なった読者がおり、福音書記者はそれぞれの編集方針をもっておりますから福音書に違いが生じるのには様々な要因が考えられます。しかし四つの福音書の違いが復活後の観点がどれほど深まったかにあるという指摘は覚えておくべき大切な視点であると思います。

 話が少しそれてしまいましたが、2節、3節をお読みします。

 イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていった。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明やともし火や武器を手にしていた。

 ここに再びイスカリオテのユダがでてきます。第13章30節に「ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった」とありましたけれども、そのユダが一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて園にやって来たのです。ルカによる福音書の第21章37節を見ますと「イエスは日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って『オリーブ畑』と呼ばれる山で過ごされた」と記されています。イエス様と弟子たちは身の危険を感じて、夜は自分たちしか知らない場所で過ごされたのです。けれどもその場所にユダがイエス様を捕らえようとする者たちを連れて来たのです。あるいはこのように言うこともできるでしょう。イエス様は弟子たちとユダが来るのを待っていたのです。人の子が栄光を受けるために、また神も人の子によって栄光を受けるために、イエス様はユダが来るのをいつもの園で待っておられたのであります(13:31参照)。

 イエス様を捕らえに来た者たちが誰であったかも四つの福音書において違いがあります。マルコによる福音書を見ますと「祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆」と記されています。祭司長、律法学者、長老はユダヤの最高法院を構成する者たちでありますから、マルコによる福音書では最高法院によって遣わされた群衆がイエス様を捕らえに来たと記されています。マタイによる福音書も「祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆」と記されています。ルカによる福音書では群衆の中に「祭司長、神殿守衛長、長老たち」がいたことが記されています。ではヨハネによる福音書はどうかと言いますと、「一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たち」でありました。3節で「一隊の兵士」と訳されている言葉は、200人から600人で構成されるローマの歩兵隊のことであります。第7章に祭司長たちやファリサイ派の人々がイエス様を捕らえるために下役たちを遣わしたことが記されておりました。ここでの「下役たち」とは神殿の治安を守る警備隊であったと考えられます。けれども、彼らはイエス様を捕らえて連れてくることはできませんでした。それどころか下役たちもイエス様の御言葉に深い感銘を受けて帰って来たのです(7:45~47参照)。それで祭司長たちやファリサイ派の人々はローマの歩兵隊に応援を頼んだとも考えられるのです。ちなみに祭司長たちやファリサイ派の人々とはヨハネによる福音書にだけ見られる組み合わせであります。ヨハネによる福音書の一つの特徴はイエス様の時代の事柄と福音書が執筆されたヨハネの時代の事柄を重ねて記すいわゆる二重のドラマでありますが、「祭司長たちやファリサイ派の人々」という組み合わせにもそのことが言えます。「祭司長たち」とはイエス様の時代の指導者たちを表し、「ファリサイ派の人々」とはヨハネの時代の指導者たちを表しているのです。ヨハネはイエス様の時代の指導者たちと自分たちの時代の指導者たちを組み合わせてイエス様に敵対する勢力である世を代表する者たちとして描いているのです。イエス様を捕らえにやって来た兵士たちと下役たちは、松明やともし火や武器を手にしておりました。ここに私たちはイエス様を必ず捕らえるという彼らの強い意気込みを見ることができるのです。

 4節から6節までをお読みします。

 イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。

 マルコによる福音書を見ますと、ユダはイエス様に近寄り接吻の挨拶をいたします。ユダは接吻によって、イエス様がどの人であるかを群衆に示すのです。けれども、ヨハネによる福音書はユダが接吻したことを記しません。イエス様御自身が進み出て自らを示されるのです。今朝の説教題はここから取ったのでありますが、この「進み出る」と訳されている言葉は直訳すると「外に出る」となります。弟子たちと一緒に園の中に入られたイエス様が、ここではお一人で園の外に出られるのです。そしてイエス様の方から「だれを捜しているのか」と問われるのであります。兵士たちと下役たちは「ナザレのイエスだ」と答えました。「ナザレのイエス」とは「ガリラヤのナザレ出身のイエス」と意味であります(1:45参照)。これは何の信仰告白も伴わない呼び方です。私たちはイエス様を「イエス・キリスト」と呼びますけれども、これは一つの信仰告白であります。「イエス・キリスト」という言葉の中に「イエスはキリスト、救い主である」との信仰の告白が込められているのです。しかし「ナザレのイエス」には何の信仰告白も込められていません。兵士たちや下役たちが捕らえに来たのは、ナザレ出身のイエスに過ぎないのです。それに対してイエス様は「わたしである」と言われました。それは「他でもないわたしがあなたがたの捜しているナザレのイエスだ」という意味でありますけれども、ここにはもう一つの深い意味が込められています。「わたしである」、これはもとのギリシャ語では「エゴー・エイミ」となります。これはかつて神様がモーセにお示しになった御名前でありました。旧約聖書の出エジプト記第3章13節、14節に次のように記されています。

 モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたに遣わされたのだと。」

 すでにイエス様は第8章でユダヤ人たちに「『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」と言われておりました。兵士たちや下役たちが捕らえにきたのはナザレのイエスでありましたけれども、そのナザレのイエスは「わたしはある」と言われる神その方であられるのです。それゆえイエス様が「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れたのであります。イエス様の口から「わたしである」、エゴー・エイミーと語られたとき、彼らは神の顕現に接し打ち倒されたのです。このことは私たちにイエス様を捕らえるにはどのような武器も無力であることを教えられます。イエス様は御言葉一つで彼らを打ち倒される力あるお方なのです。

 7節から9節までをお読みします。

 そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているなら、この人々は去らせない。」それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。

 イエス様は兵士たちや下役たちが捜しているナザレのイエスが御自分であることを再度言われた後、「わたしを捜しているなら、この人々は去らせない」と言われました。「この人々」とはイエス様と一緒にいた弟子たちのことであります。福音書記者ヨハネは、「それは『あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした』と言われたイエスの御言葉が実現するためであった」と注釈しておりますけれども、これは第17章12節のイエス様の御言葉を指すと思われます。イエス様は第17章12節で「わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました」と祈られました。その御言葉を実現するために、イエス様は自らを兵士たちや下役たちの手に引き渡されるのです。この時イエス様と弟子たちは200名から600名からなるローマの歩兵隊と神殿警備隊に囲まれておりました。しかも彼らは松明やともし火や武器を手にしていたのです。マルコによる福音書は、イエス様が捕らえられたのを見て、弟子たちは逃げてしまったと記しておりますけれども、とても逃げ切れるような状況ではないのです。ではなぜ弟子たちは捕らえられずに済んだのでしょうか?それはイエス様が弟子たちを去らせることを条件に彼らの手に自らを引き渡されたからです。イエス様が捕らえられること、ここからイエス様の御受難は始まります。そしてイエス様の御受難は十字架に上げられることにおいて頂点に達します。けれどもここにその十字架の意味がすでに記されているのです。イエス様は御父から与えられた人たちのために捕らえられ、御父から与えられた人たちのために十字架に上げられるのです。

 10節、11節をお読みします。

 シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」

 弟子の一人が剣をもって大祭司の手下に打ちかかり、片方の耳を切り落としたことは共観福音書にも記されておりますけれども、ヨハネによる福音書はその弟子がシモン・ペトロであり、大祭司の手下がマルコスであったことを伝えております。ローマの歩兵隊を前にして、大祭司の手下に打ちかかるとは尋常ではありませんが、イエス様を思うペトロの熱心がこのような行動に駆り立てたのかも知れません。最後の晩餐の席でペトロはイエス様に「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」と言いましたけれども、ペトロはイエス様を命懸けで守ろうとしたのかも知れません。けれども、それはイエス様が御父から与えられた杯を取り上げてしまうような行為であったのです。それゆえイエス様は「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」と言われるのです。この説教の始めに、ここにゲツセマネの祈りの反響を聞き取ることができると申しましたけれども、「杯」は旧約聖書において「運命」とか「定め」の象徴であります(詩編16:5参照)。イエス様が兵士たちや下役たちの手に引き渡されること、それは御父から与えられた定めであるのです。御父から与えられた人を一人も失わないためにイエス様が捕らえられるのはイエス様に与えられた定めであるのです。ルカによる福音書を見ますと、イエス様が大祭司の手下の耳を癒されたことが記されています。ヨハネはそれを記してはおりませんけれども、イエス様はやはりマルコスの右の耳を癒されたと思います。それゆえペトロは捕らわれずに済んだのです。暴力をもってイエス様を捕らえようとした人々、またその人々に同じ暴力をもって抗おうとしたペトロ、そのような者たちのただ中に御父から与えられた杯を飲み干そうとされる主イエス・キリストがおられます。私たちを一人も失うことなく、永遠の命を与えるために、自ら進み出て、捕らえられる主イエス・キリストがおられるのです。

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