サウルの勝利と即位 2021年2月10日(水曜 聖書と祈りの会)

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サウルの勝利と即位

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記上 11章1節~15節

聖句のアイコン聖書の言葉

11:1 さて、アンモン人のナハシュが攻め上って来て、ギレアドのヤベシュを包囲した。ヤベシュの全住民はナハシュに言った。「我々と契約を結んでください。我々はあなたに仕えます。」
11:2 アンモン人のナハシュは答えた。「お前たちと契約を結ぼう。ただし、お前たち全員の右の目をえぐり出すのが条件だ。それをもって全イスラエルを侮辱しよう。」
11:3 ヤベシュの長老たちは彼に言った。「七日間の猶予をください。イスラエルの全土に使者を立てます。救ってくれる者がいなければ、我々はあなたのもとへ出て行きます。」
11:4 使者はサウルのいるギブアに来て、事の次第を民に報告した。民のだれもが声をあげて泣いた。
11:5 そこへ、サウルが牛を追って畑から戻って来た。彼は尋ねた。「民が泣いているが、何事か起こったのか。」彼らはヤベシュの人々の言葉を伝えた。
11:6 それを聞くうちに神の霊がサウルに激しく降った。彼は怒りに燃えて、
11:7 一軛の牛を捕らえ、それを切り裂き、使者に持たせて、イスラエル全土に送り、次のように言わせた。「サウルとサムエルの後について出陣しない者があれば、その者の牛はこのようにされる。」民は主への恐れにかられ、一丸となって出陣した。
11:8 サウルがベゼクで彼らを点呼すると、イスラエルが三十万、ユダが三万であった。
11:9 彼らはヤベシュから送られて来た使者に言った。「ギレアドのヤベシュの人々にこう言うのだ。『明日、日盛りのころ、あなたがたに救いが来る。』」使者が帰って来てそう知らせると、ヤベシュの人々は喜び祝った。
11:10 ヤベシュの人々は言った。「明日、我々はあなたたちのもとに出て行きます。よいようにしてください。」
11:11 翌日、サウルは民を三つの組に分け、朝の見張りの時刻にアンモン人の陣営に突入し、日盛りのころまで彼らを討った。生き残った者はちりぢりになり、二人一緒に生き残った者はいなかった。
11:12 民はサムエルに言った。「『サウルが我々の王になれようか』と言っていた者はだれであろうと引き渡してください。殺します。」
11:13 しかし、サウルは言った。「今日は、だれも殺してはならない。今日、主がイスラエルにおいて救いの業を行われたのだから。」
11:14 サムエルは民に言った。「さあ、ギルガルに行こう。そこで王国を興そう。」
11:15 民は全員でギルガルに向かい、そこでサウルを王として主の御前に立てた。それから、和解の献げ物を主の御前にささげ、サウルもイスラエルの人々もすべて、大いに喜び祝った。サムエル記上 11章1節~15節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『サムエル記上』第11章1節から15節より、「サウルの勝利と即位」という題でお話しします。

 1節に、「さて、アンモン人のナハシュが攻め上って来て、ギレアドのヤベシュを包囲した」とあります。アンモン人とは、アブラハムの甥であるロトの子孫で、ヨルダン川の東側、ヤボク川の上流の広い地域に定住していた民族であります。聖書巻末の聖書地図「3 カナンへの定住」を見ていただくと、「アンモン」の位置を確認することができます。また、「4 統一王国時代」の地図を見ていただくと、「ギレアドのヤベシュ」の位置を確認することができます。ついでに、「サウルのギブア」の位置も確認しておきましょう。「ベニヤミン」とゴシック体で記されていますが、その左上に「ギブア」と記されています。「アンモン」と「ヤベシュ」と「ギブア」、この三つの地名の場所を念頭に置きながら、今朝の御言葉を読み進めていきましょう。

 今朝の御言葉に戻ります。旧約の443ページです。

 ヤベシュの全住民はアンモン人の王ナハシュ(「蛇」の意味)にこう言いました。「我々と契約を結んでください。我々はあなたに仕えます」。ヤベシュの全住民は、アンモン人に勝つことができないと判断して、契約を結ぶことを願いでます。ここでの契約は、アンモン人はヤベシュの住民の命を奪わないこと。ヤベシュの住民はアンモン人に、これこれの品物を献上することといった取り決めであったと思います。しかし、アンモン人の王ナハシュはこう答えました。「お前たちと契約を結ぼう。ただし、お前たちの全員の右の目をえぐり出すのが条件だ。それをもって全イスラエルを侮辱しよう」。ユダヤ人の歴史家ヨセフスによれば、「戦う時、左目は盾で隠されるので、右目をえぐり出されると、盲目同然となる」そうです。ナハシュはヤベシュの住民と契約を結ぶ条件として、彼らを二度と戦うことができないようにすると言うのです。それは、彼らが生涯、アンモン人の支配下に置かれることであり、いつでも命を奪われる状態にあることを意味します。そのようにして、ナハシュは、ヤベシュの住民だけではなく、全イスラエルを侮辱しようと言うのです。ヤベシュの長老たちは、ナハシュにこう言いました。「七日間の猶予をください。イスラエルの全土に使者を立てます。救ってくださる者がいなければ、我々はあなたのもとへ出て行きます」。この申し出を、ナハシュは受け入れたようであります。ナハシュは、自分の手からヤベシュの住民を救える者はいないと高をくくっていたのです。使者はサウルのいるギブアに来て、事の次第を民に報告しました。そして、民のだれもが声をあげて泣いたのです。ギブアの人々は、ヤベシュの人々の危機的な状況を自分たちのこととして受けとめ、嘆き悲しんだのです。そこへ、サウルが牛を追って畑から戻って来ました。サウルは、くじで選ばれ、イスラエルの王であることを公に宣言されましたが、これまでと同じように自分の家に住み、畑で働いていたのです。サウルはこう尋ねます。「民が泣いているが、何事か起こったのか」。人々はサウルにヤベシュの人々の言葉を伝えました。すると、それを聞いているうちに、神の霊がサウルに激しく降りました。サウルは怒りに燃えて、一軛の牛を捕らえ、それを切り裂き、使者に持たせてイスラエル全土に送り、こう言わせました。「サウルとサムエルの後について出陣しない者があれば、その者の牛はこのようにされる」。ここで、サウルは、サムソンのような士師として描かれています(士師14:6「そのとき主の霊が激しく彼に降ったので、彼は手に何も持たなくても、子山羊を裂くように獅子を裂いた」参照)。サウルが怒りに燃えたのは、全イスラエルを侮辱することが、イスラエルの神である主を侮辱することであるからです。また、サウルは、ヤベシュの人々を救うことのできないイスラエルの現状に怒りを覚えたのだと思います。それで、サウルは、切り裂いた牛をイスラエルの全土に送りつけ、「サウルとサムエルの後について出陣しない者があれば、その者の牛はこのようにされる」と、脅迫とも言える言葉で、兵を召集するのです。新共同訳は、「民は主への恐れにかられ、一丸となって出陣した」と訳していますが、新改訳2017では、次のように翻訳しています。「主の恐れが民に下って、彼らは一斉に出て来た」。ここでの主の恐れとは、体を震わせるような主への信仰のことであります。イスラエルの人々は、自分の牛が切り裂かれる恐怖から一斉に出陣したのではなくて、主を恐れる信仰によって、一斉に出陣したのです。8節に、「サウルがベゼクで彼らを点呼すると、イスラエルが三十万、ユダが三万であった」とあります。「ベゼク」は、ヤベシュとヨルダン川を挟んだ対岸にある町です。ここでの人数はいささか誇張されているようです。彼らはヤベシュから送られて来た使者にこう言いました。「ギレアドのヤベシュの人々にこう言うのだ。『明日、日盛りのころ、あなたがたに救いが来る』」。使者からこの知らせを聞いたヤベシュの人々は喜び祝いました。それはまさに、良き知らせ(福音)であったのです。ヤベシュの人々は、アンモン人の王ナハシュにこう言いました。「明日、我々はあなたたちのもとに出て行きます。よいようにしてください」。このように、ヤベシュの人々は、ナハシュを油断させるのです。翌日、サウルは民を三つの組に分け、朝の見張りの時刻にアンモン人の陣営に突入し、日盛りのころまで彼らを討ちました。「生き残った者はちりぢりになり、二人一緒に生き残った者はいなかった」ほどに、イスラエルは大勝利をおさめたのです。

 民はサムエルにこう言いました。「『サウルが我々の王になれようか』と言っていた者はだれであろうと引き渡してください。殺します」。これは、第10章27節に記されていた者たちのことを言っています。第10章27節に、こう記されていました。「しかしならず者は、『こんな男に我々が救えるか』と言い合って彼を侮り、贈り物を持って行かなかった」。そのならず者たちを殺すと民は言うのです。しかし、サウルはこう言いました。「今日は、だれも殺してはならない。今日、主がイスラエルにおいて救いの業を行われたのだから」。神さまは、サウルに神の霊を激しく降され、民に御自分への恐れを下されて、イスラエルに救いの業を行われました。このように、サウルは、勝利の栄光を自分にではなく、主に帰したのです。サムエルは民にこう言いました。「さあ、ギルガルに行こう。そこで王国を興そう」。ここで「興そう」と訳されている言葉は、「更新しよう」とも訳せます(岩波訳参照)。サウルの王権は、アンモン人との戦いの勝利を経て、文字通り民全員の前で更新されるのです。そこには、もはや、「こんな男に我々が救えるか」と言うならず者はいません。サウルがアンモン人からヤベシュの人々を救ったことは、サウルがイスラエルを救う王であることを実証したからです。民は全員でギルガルに向かい、そこでサウルを王として主の御前に立てました。それから、和解の献げ物を主の御前にささげ、そのいけにえの一部を食べて、サウルもイスラエルの人々も大いに喜び祝ったのです。

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