くじで選ばれたサウル 2021年2月03日(水曜 聖書と祈りの会)
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くじで選ばれたサウル
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記上 10章17節~27節
聖書の言葉
10:17 サムエルはミツパで主のもとに民を呼び集めた。
10:18 彼はイスラエルの人々に告げた。「イスラエルの神、主は仰せになる。『イスラエルをエジプトから導き上ったのはわたしだ。わたしがあなたたちをエジプトの手から救い出し、あなたたちを圧迫するすべての王国からも救い出した』と。
10:19 しかし、あなたたちは今日、あらゆる災難や苦難からあなたたちを救われたあなたたちの神を退け、『我らの上に王を立ててください』と主に願っている。よろしい、部族ごと、氏族ごとに主の御前に出なさい。」
10:20 サムエルはイスラエルの全部族を呼び寄せた。ベニヤミン族がくじで選び出された。
10:21 そこでベニヤミン族を氏族ごとに呼び寄せた。マトリの氏族がくじで選び出され、次にキシュの息子サウルがくじで選び出された。人々は彼を捜したが、見つからなかった。
10:22 そこで、主に伺いを立てた。「その人はここに来ているのですか。」主は答えられた。「見よ、彼は荷物の間に隠れている。」
10:23 人々は走って行き、そこから彼を連れて来た。サウルが民の真ん中に立つと、民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった。
10:24 サムエルは民全体に言った。「見るがいい、主が選ばれたこの人を。民のうちで彼に及ぶ者はいない。」民は全員、喜び叫んで言った。「王様万歳。」
10:25 サムエルは民に王の権能について話し、それを書に記して主の御前に納めた。それから、サムエルはすべての民をそれぞれの家に帰した。
10:26 サウルもギブアの自分の家に向かった。神に心を動かされた勇士たちは、サウルに従った。
10:27 しかしならず者は、「こんな男に我々が救えるか」と言い合って彼を侮り、贈り物を持って行かなかった。だがサウルは何も言わなかった。サムエル記上 10章17節~27節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記上』の第10章17節から27節より、「くじで選ばれたサウル」という題でお話しします。
初めに、これまでの文脈を確認したいと思います。
第8章に、イスラエルの長老たちが、「ほかのすべての国々のように、裁きを行う王を立てよ」と求めたことが記されていました。イスラエルの民の「王を立てよ」という要求は、サムエルの目には悪と映りましたが、主は、サムエルに、イスラエルの民の声に従うようにと言われました。サムエルは、王の権能を教えて警告するのですが、イスラエルの民は、王を立てることを要求しました。そのイスラエルの民の言葉を、サムエルから聞いて、主は、サムエルにこう言われたのです。「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい」。そして、サムエルは、イスラエルの人々を自分の町へと帰らせたのです。
第9章には、神さまが不思議な導きによって、サウルをサムエルのもとに導かれたことが記されていました。また第10章には、サムエルがサウルに油を注いで、イスラエルの指導者としたことが記されていました。サムエルはサウルの頭に油を注ぎ、彼に口づけして、こう言いました。「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです」。「指導者」(ナーギード)とは、「将来、王位に就くと指名された者の称号」であります。主は、イスラエルの民の「王を与えよ」との求めに応じて、サウルを選び、サウルに油を注いで、王となる人物を用意されたのです。サムエルは、主がサウルをイスラエルの指導者とされたしるしとして、これから起こる三つの出来事について語ります。そのようにして、主がサウルをイスラエルの指導者とされた確証を与えるのです。そして、その三つの出来事は、その日のうちに起こったのであります。これによって、サウルは、主が自分をイスラエルの指導者とされた確証を得たのです。しかし、サムエルから油を注がれたことは、サウルしか知らない隠されたことでありました。サウルは、伯父から「サムエルはお前たちに何と言ったのか」と尋ねられても、王位のことについては話さなかったのです。
主はサウルの頭に油を注いで、イスラエルの指導者(王)とされた。この秘められていたことが、今朝の御言葉において、くじを引くことにより、公にされるのです。
サムエルはミツパで主のもとに民を呼び集めます。ミツパは、第7章で、イスラエルの民が大集会を開いた場所でありました。主は、ミツパで、イスラエルの民をペリシテ軍から救ってくださったのです。「ミツパ」は「眺望」という意味ですから、見晴らしのよい広々とした場所であったのでしょう。また、「主のもとに」とありますから、ミツパには祭壇が築かれていたようです。
サムエルはイスラエルの人々にこう告げます。「イスラエルの神、主は仰せになる。『イスラエルの民をエジプトから導き上ったのはわたしだ。わたしがあなたたちをエジプトの手から救い出し、あなたたちを圧迫するすべての王国からも救い出した』と。しかし、あなたたちは今日、あらゆる災難や苦難から救われたあなたたちの神を退け、『我らの上に王を立ててください』と主に願っている。よろしい、部族ごと、氏族ごとに主の御前に出なさい」。ここで、サムエルは、第8章で指摘していた、イスラエルの不信仰について再び言及しています。「我らの上に王を立てよ」という要求は、イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から導き出し、あらゆる王国から救い出された王である主を退けることであるのです。そのイスラエルの不信仰にもかかわらず、主は、部族ごとに、さらには氏族ごとに、くじを引かせて、王を立てられるのです。旧約時代、神さまはくじによって、御自分の決定を示されました。『箴言』の第16章33節に、「くじは膝の上に投げるが/ふさわしい定めは主から与えられる」とあるように、神さまはくじによって御自分の決定を示されるのです。ちなみに、主イエス・キリストを通して聖霊を与えられた新約時代において、くじは神さまの決定を知る手段ではなくなりました。『使徒言行録』の第1章に、イスカリオテのユダの代わりとなる使徒を決めるために、弟子たちがくじが引いたことが記されています(バルサバとよばれ、ユストともいうヨセフとマティアの二人のことでくじを引き、マティアに当たった)。しかし、第2章で、弟子たちに聖霊が与えられた後は、くじではなく、選挙によって、長老や執事が選ばれたことが記されています。聖霊が与えられる前、くじは神さまの決定を知るための手段でありましたが、聖霊が与えられた後は、選挙によって、神さまの決定を求め、知ったのです。
サムエルはイスラエルの全部族を呼び寄せました。すると、ベニヤミン族がくじで選び出されました。そこでベニヤミン族を氏族ごとに呼び寄せました。すると、マトリの氏族がくじで選び出されました。そして、次にキシュの息子サウルがくじで選び出されたのです。このくじがどのように行われたのかは分かりません。「石に名前を書いて袋に入れて、一つだけを選んで取る」というものであったかも知れません。少なくとも、サウルがくじを引いて、当たったということではなかったようです。と言いますのも、サウルはこのとき、荷物の間に隠れていたからです。サウルは、自分がサムエルから油を注がれて、イスラエルの民の指導者にされたことを知っておりました。その通りに、くじが選ばれていくのを見て、サウルは怖くなったのではないでしょうか。それで、サウルは、荷物の間に身を隠したのです。しかし、主の御前に隠れることはできません。主によって、サウルの居場所は言い当てられ、民の前に連れて来られます。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高いサウルを指して、サムエルはこう言います。「見るがいい、主が選ばれたこの人を。民のうちで彼に及ぶ者はいない」。このようにして、サムエルは、サウルが主から選ばれた王となる人物であると宣言するのです。そして、民は全員、「王様万歳」と喜び叫んだのです。
25節に、「サムエルは民に王の権能について話し、それを主の御前に納めた」とあります。ここでの王の権能(ミシュパート、定め)は、第8章に記されていた王の権利(取る権利)だけではなく、王の義務をも含んでいたと考えられています。『申命記』の第17章に、「王に関する規定」が記されていますが、その所を開いてお読みします。旧約の308ページです。
あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入って、それを得て、そこに住むようになり、「周囲のすべての国々と同様、わたしを治める王を立てよう」と言うならば、必ず、あなたの神、主が選ばれる者を王としなさい。同胞の中からあなたを治める王を立て、同胞でない外国人をあなたの上に立てることはできない。王は馬を増やしてはならない。馬を増やすために、民をエジプトへ送り返すことがあってはならない。「あなたたちは二度とこの道を戻ってはならない」と主は言われた。王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に蓄えてはならない。彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを作り、それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない。そうすれば王は同胞を見下して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれることなく、王もその子らもイスラエルの中で王位を長く保つことができる。
今朝の御言葉で、サムエルが王の権能について話したとき、このような王の義務も語られたのではないかと考えられているのです。なぜなら、イスラエルの王は、主によって選ばれ、立てられた王であり、王であっても、主の律法の下に置かれているからです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の443ページです。
サムエルはすべての民をそれぞれの家に帰しました。サウルもギブアの自分の家に帰りました。神に心を動かされた勇士たちは、サウルに従いました。彼らは、サウルを主が選ばれた王として受け入れたのです。しかし、ある者たちは、「こんな男に我々が救えるか」と言って、サウルを侮り、贈り物を持って行きませんでした。聖書は、そのような者たちを「ならず者」と呼んでいます(サムエル上2:12参照)。「ならず者」とは「主を畏れない者」のことです。彼らは、主が選び立てられた王であるサウルを侮るゆえに、「ならず者」であるのです。