油を注がれたサウル 2021年1月27日(水曜 聖書と祈りの会)
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油を注がれたサウル
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記上 9章26節~10章16節
聖書の言葉
9:26 彼らは朝早く起きた。夜が明けると、サムエルは屋上のサウルを呼んで言った。「起きなさい。お見送りします。」サウルは起きて、サムエルと一緒に外に出た。
9:27 町外れまで下って来ると、サムエルはサウルに言った。「従者に、我々より先に行くよう命じ、あなたはしばらくここにいてください。神の言葉をあなたにお聞かせします。」従者は先に行った。
10:1 サムエルは油の壺を取り、サウルの頭に油を注ぎ、彼に口づけして、言った。「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです。
10:2 今日、あなたがわたしのもとを去って行くと、ベニヤミン領のツェルツァにあるラケルの墓の脇で二人の男に出会います。二人はあなたに言うでしょう。『あなたが見つけようと出かけて行ったろばは見つかりました。父上はろばのことは忘れ、専らあなたたちのことを気遣って、息子のためにどうしたらよいか、とおっしゃっています。』
10:3 また、そこから更に進み、タボルの樫の木まで行くと、そこで、ベテルに神を拝みに上る三人の男に出会います。一人は子山羊三匹を連れ、一人はパン三個を持ち、一人はぶどう酒一袋を持っています。
10:4 あなたに挨拶し、二個のパンをくれますから、彼らの手から受け取りなさい。
10:5 それから、ペリシテ人の守備隊がいるギブア・エロヒムに向かいなさい。町に入るとき、琴、太鼓、笛、竪琴を持った人々を先頭にして、聖なる高台から下って来る預言者の一団に出会います。彼らは預言する状態になっています。
10:6 主の霊があなたに激しく降り、あなたも彼らと共に預言する状態になり、あなたは別人のようになるでしょう。
10:7 これらのしるしがあなたに降ったら、しようと思うことは何でもしなさい。神があなたと共におられるのです。
10:8 わたしより先にギルガルに行きなさい。わたしもあなたのもとに行き、焼き尽くす献げ物と、和解の献げ物をささげましょう。わたしが着くまで七日間、待ってください。なすべきことを教えましょう。」
10:9 サウルがサムエルと別れて帰途についたとき、神はサウルの心を新たにされた。以上のしるしはすべてその日に起こった。
10:10 ギブアに入ると、預言者の一団が彼を迎え、神の霊が彼に激しく降り、サウルは彼らのただ中で預言する状態になった。
10:11 以前からサウルを知っていた者はだれでも、彼が預言者と一緒になって預言するのを見て、互いに言った。「キシュの息子に何が起こったのだ。サウルもまた預言者の仲間か。」
10:12 そこにいた一人がそれを受けて言った。「この人たちの父は一体誰だろう。」こうしてそれは、「サウルもまた預言者の仲間か」ということわざになった。
10:13 サウルは預言する状態からさめると、聖なる高台へ行った。
10:14 サウルのおじがサウルと従者に言った。「お前たちはどこへ行っていたのだ。」サウルは答えた。「ろばを捜しに行きましたが、見つからなかったので、サムエルのもとに行きました。」
10:15 サウルのおじは言った。「サムエルがお前たちに何と言ったか、話しなさい。」
10:16 サウルはおじに答えた。「ろばは見つかったと教えてくれました。」だがサウルは、サムエルの語った王位のことについては、おじに話さなかった。サムエル記上 9章26節~10章16節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記上』の第9章26節から第10章16節より、「油を注がれたサウル」という題でお話しします。
サムエルとサウルは、朝早く起きました。夜が明けると、サムエルは、屋上のサウルを呼んで、こう言いました。「起きなさい。お見送りします」。サムエルは、サウルを主に選ばれた指導者として重んじているのです。町外れまで下って来ると、サムエルはサウルにこう言いました。「従者に、我々より先に行くように命じ、あなたはしばらくここにいてください。神の言葉をあなたにお聞かせします」。従者は先に行き、町外れで、サムエルとサウルは二人だけになりました。そして、サムエルは油の壺を取り、サウルの頭に油を注ぎ、彼に口づけして、こう言いました。「主があなたに油を注ぎ、御自分の嗣業の民の指導者とされたのです」。ある人の頭に油を注ぐことは、その人を主のご用のために取り分けることを意味します。『出エジプト記』の第30章に、アロンに聖別の油を注いで、祭司として主に仕えさせることが記されています。主は、かつて、アロンに油を注いで、御自分の民の祭司とされたように、サウルに油を注いで、御自分の民の指導者にされるのです。その指導者に、サムエルはくちづけすることにより、敬意を表したのです(詩編2:12参照)。サウルがイスラエルの指導者になることを、サムエルは、主から聞いておりました。第9章15節から17節に、こう記されておりました。
サウルが来る前日、主はサムエルの耳にこう告げておかれた。「明日の今ごろ、わたしは一人の男をベニヤミンの地からあなたのもとに遣わす。あなたは彼に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの指導者とせよ。この男がわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫び声はわたしに届いたので、わたしは民を顧みる。」サムエルがサウルに会うと、主は彼に告げられた。「わたしがあなたに言ったのはこの男のことだ。この男がわたしの民を支配する。」
この主の言葉に基づいて、サムエルはサウルの頭に油を注いで、サウルをイスラエルの民の指導者としたのです。そして、そのことの「しるし」として、サムエルは三つの出来事が起こることを予め告げるのです。2節から7節までを読みます。
今日、あなたがわたしのもとを去って行くと、ベニヤミン領のツェルツァにあるラケルの墓の脇で二人の男に出会います。二人はあなたに言うでしょう。『あなたが見つけようと出かけて行ったろばは見つかりました。父上はろばのことは忘れ、専らあなたたちのことを気遣って、息子のためにどうしたらよいか、とおっしゃっています。』また、そこから更に進み、タボルの樫の木まで行くと、そこで、ベテルに神を拝みに上る三人の男に出会います。一人は子山羊三匹を連れ、一人はパン三個を持ち、一人はぶどう酒一袋を持っています。あなたに挨拶し、二個のパンをくれますから、彼らの手から受け取りなさい。それから、ペリシテ人の守備隊がいるギブア・エロヒムに向かいなさい。町に入るとき、琴、太鼓、笛、竪琴を持った人々を先頭にして、聖なる高台から下って来る預言者の一団に出会います。彼らは預言する状態になっています。主の霊があなたに激しく降り、あなたも彼らと共に預言する状態になり、あなたは別人のようになるでしょう。
第9章20節で、サムエルはサウルに、ろばが見つかっていることを伝えました。そのことが二人の男によって確証されることになります。これが第一のしるしです。第二のしるしは、ベテルに神を拝みに来た人から挨拶され、二個のパンをもらうことです。このパンは主への献げ物でありますが、サウルは主に聖別された者として、そのパンを食べることができるのです。ちなみに、二個のパンは、サウルと従者の分であると思われます。第三のしるしは、預言者の一団に出会い、サウルが預言する状態になり、別人のようになることです。この預言者たちは、音楽を用いて、恍惚状態になり、訳の分からない言葉を語りだす者たちであったようです。その預言者たちと同じように、サウルは恍惚状態になり、訳の分からない言葉を語りだすようになるのです。これは、新約で言えば、コリント教会に見られた異言のような現象でありますね。このような三つのしるしこそ、主がサウルをイスラエルの民の指導者にされた証拠であるのです。それゆえ、サムエルは、「これらのしるしがあなたに降ったら、しようと思うことは何でもしなさい。神があなたと共におられるのです」とサウルに言うのです。しかし、この「何でも」は、預言者であるサムエルの教える範囲においての「何でも」であります。そのことが、8節と9節に記されています。
わたしより先にギルガルに行きなさい。わたしもあなたのもとに行き、焼き尽くす献げ物と、和解の献げ物をささげましょう。わたしが着くまで七日間、待ってください。なすべきことを教えましょう。
この8節と9節は、第13章8節以下の序文であると言われます。第13章には、サウルがサムエルを待ちきれずに、焼き尽くす献げ物をささげたことが記されています。そのように、サウルはサムエルの教えを越えて、何でもしていまい、主の御心に背いてしまうのです。その第13章の序文が、ここに紛れ込んでいると考えられるのです。
サウルがサムエルと別れて帰途についたとき、神はサウルの心を新たにされました。このことは、サウルがサムエルの言葉を受け入れたことを意味しています。そして、この三つのしるしは、すべてその日に起こったのです。聖書は、第三のしるしが実現したことしか記していませんが、第一と第二のしるしもその日に起こったのです。ギブアに入ると、預言者の一団がサウルを迎え、神の霊がサウルに激しく降りました。そして、サウルは預言する状態になりました。そのことは、「サウルもまた預言者の仲間か」という「ことわざ」が出来たほどに、人々の話題となったのです。
14節から16節には、サウルのおじとサウルとの対話が記されています。サウルの叔父は、「サムエルがお前たちに何と言ったか、話しなさい」と尋ねるのですが、サウルは、ろばのことだけを告げて、王位のことについては話しませんでした。そのことはまだ隠されていたことであるからです。
今朝の奨励題を「油を注がれたサウル」としましたが、この油は、神の霊、聖霊を見える仕方で表すものであります。神さまは、御自分の霊を与えることによって、サウルを別人のような、新しい人にされたのです。同じことが、イエス・キリストを信じる私たちにおいても言えます。主は、イエス・キリストを通して、私たちにも聖霊を注いでくださいました。イエス・キリストの名によって洗礼を受けた私たちは、イエス・キリストによって、聖霊を与えられた者たちであるのです。そして、そのしるしとして、私たちは、「イエスは主である」と告白しているのです。使徒パウロは、第一コリント書の第12章で、「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」と記しました。「イエスは主である」と告白する私たちには、聖霊が与えられています。そして、その聖霊によって、私たちは、神の言葉を語る預言者の一人とされているのです(使徒2:17、一コリント14:1参照)。