全イスラエルの期待 2021年1月20日(水曜 聖書と祈りの会)
問い合わせ
全イスラエルの期待
- 日付
-
- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
サムエル記上 9章18節~25節
聖書の言葉
9:18 城門の中でサウルはサムエルに近づいて、彼に言った。「お尋ねしますが、先見者の家はどこでしょうか。」
9:19 サムエルはサウルに答えた。「わたしが先見者です。先に聖なる高台へ上って行きなさい。今日はわたしと一緒に食事をしてください。明朝、あなたを送り出すとき、あなたの心にかかっていることをすべて説明します。
9:20 三日前に姿を消したろばのことは、一切、心にかける必要はありません。もう見つかっています。全イスラエルの期待は誰にかかっているとお思いですか。あなたにです。そして、あなたの父の全家にです。」
9:21 サウルは答えて言った。「わたしはイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンの者ですし、そのベニヤミンでも最小の一族の者です。どんな理由でわたしにそのようなことを言われるのですか。」
9:22 サムエルはサウルと従者を広間に導き、招かれた人々の上座に席を与えた。三十人ほどの人が招かれていた。
9:23 サムエルは料理人に命じた。「取り分けておくようにと、渡しておいた分を出しなさい。」
9:24 料理人は腿肉と脂尾を取り出し、サウルの前に差し出した。サムエルは言った。「お出ししたのは取り分けておいたものです。取っておあがりなさい。客人をお呼びしてあると人々に言って、この時まであなたに取っておきました。」この日、サウルはサムエルと共に食事をした。
9:25 聖なる高台から町に下ると、サムエルはサウルと屋上で話し合った。サムエル記上 9章18節~25節
メッセージ
関連する説教を探す
今朝は、『サムエル記上』の第9章18節から25節より、「全イスラエルの期待」という題でお話しします。
城門の中でサウルはサムエルに近づいて、こう言いました。「お尋ねしますが、先見者の家はどこでしょうか」。サウルは、目の前にいる老人が先見者であることを知りません。しかし、サムエルは、目の前にいる若者が、主から遣わされた、イスラエルの指導者になる人物であることを知っていました(9:15~17参照)。サムエルはサウルにこう答えます。「わたしが先見者です。先に聖なる高台へ上って行きなさい。今日はわたしと一緒に食事をしてください。明朝、あなたを送り出すとき、あなたの心にかかっていることをすべて説明します。三日前に姿を消したろばのことは、一切、心にかける必要はありません。もう見つかっています。全イスラエルの期待は誰にかかっているとお思いですか。あなたにです。そして、あなたの父の全家にです」。サムエルは、サウルに自分が先見者であることを打ち明け、いけにえの一部を食べる聖なる食事に招きます。そして、「明朝、あなたを送り出すとき、あなたの心にかかっていることをすべて説明します」と言って、自分のもとで一泊することを求めるのです。ここでの「サウルの心にかかっていること」とは何でしょうか。父の家から姿を消したろばのことでしょうか。そうではないようです。なぜなら、続けてサムエルはこう言うからです。「三日前に姿を消したろばのことは、一切、心にかける必要はありません。もう見つかっています」。ここに、先見者サムエルの本領が発揮されています。先見者(ローエー)は「見る者」であり、遠隔地の出来事を見通せる、いわゆる千里眼を持っていました。そのような先見者として、サムエルは、サウルの心にかかっていた一つのことを取り除くのです。しかし、サウルの心にかかっていることは、もっと大きなことです。それは、全イスラエルの期待であり、イスラエルの民がペリシテ人の手から救われることであるのです。ペリシテ人に仕えていたイスラエル人にとって、救いとは何よりも、ペリシテ人の手から救われることであったのです(9:16参照)。その全イスラエルの期待が、サウルとその全家にかかっていると、サムエルは言うのです。
サウルは、こう答えました。「わたしはイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンの者ですし、そのベニヤミンでも最小の一族の者です。どんな理由でわたしにそのようなことを言われるのですか」。『民数記』の第1章に記されている「人口調査」によると、ベニヤミン族の成人男子の人数は、マナセに次いで少ないと記されています(ベニヤミン族35400人、マナセ族32200人、一番多いのはユダ族で74600人)。また、『士師記』の第20章に記されている、イスラエルの全部族との戦いで、多くの戦死者を出していましたから、この時は、マナセ族よりも小さな部族となっていたかも知れません。このように、ベニヤミン族は、実際に、イスラエルで最も小さな部族であったのです。しかし、サウルの一族がベニヤミンで最小の一族というのは、謙遜でありましょう。第9章1節に、サウルの父の家系が四代に遡って記されており、キシュは勇敢な男と記されておりました。サウルの家は、ろば数頭と召使いを持つ、裕福な家であったのです。けれども、このサウルの言葉には、主の真理が秘められています。それは、主が小さな者を、御自分の御業に用いられるという真理です。主は、なぜ、ベニヤミン族の者をイスラエルの民を救う指導者とされるのか。それは、ベニヤミン族がイスラエルで最も小さな部族であるからなのです。そのようにして、主は人の誇りを空しいものとし、御自分の力を示されるのです(一コリント1章参照)。
サムエルは、サウルと従者を広間に導き、招かれた人々の上座の席を与えました。ここに招かれていた30人ほどの人々は、民の代表者たちであったと思います。といいますのも、サムエルは聖なる高台で、民のためにいけにえをささげたからです。そのいけにえの一部を食べる聖なる食事ですから、ここにいたのは、民を代表する有力者たちでありました。しかし、サムエルは、サウルと従者に、上座の席を与えたのです。そして、サウルのために取り分けておいた、ご馳走を出すのです。そのようにして、サムエルは、サウルを全イスラエルの期待を実現する指導者として、丁重にもてなすのです。この日、サウルはサムエルと共に食事をしました。そして、聖なる高台から町に下ると、サムエルはサウルと屋上で話し合ったのです。その屋上に、床を敷いてサウルは寝るのですが、その夜、サムエルはサウルと何を話し合ったのでしょうか。それは、サウルの心にかかっていたことであり、イスラエル民が主に叫び求めた、ペリシテ人の手からの救いについてであったと思います。サウルは、心にかかっているイスラエルの行く末についてサムエルと語り合ったのです。
前回、主がサウルをサムエルのもとへと導かれたことを、私たちが教会へと導かれたことに当てはめてお話ししました。私たちも、さまざまな事柄やさまざまな人々を通して、教会へと導かれ、イエス・キリストに出会うことができたのです。そして、そのとき、私たちには、「心にかかっている」ことがあるのだと思います。「自分は何のために生きているのか」。「人は死んだらどうなるのか」。そのような沢山の疑問や不安を心に抱えて、教会に来るのです。そして、教会において、あなたが心にかけていることを解決してくださる御方が、主イエス・キリストであると聞くのです。そのようにして、私たちは、救い主であるイエス・キリストに出会うのです。全イスラエルの期待、いや、全人類の期待は、だれにかかっているとお思いですか。そのような問いに、私たちは、「十字架の死から復活されたイエス・キリストにです」と答えたいと思います。