ヨセフの死 2014年6月29日(日曜 夕方の礼拝)

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ヨセフの死

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 50章22節~26節

聖句のアイコン聖書の言葉

50:22 ヨセフは父の家族と共にエジプトに住み、百十歳まで生き、
50:23 エフライムの三代の子孫を見ることができた。マナセの息子マキルの子供たちも生まれると、ヨセフの膝に抱かれた。
50:24 ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」
50:25 それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」
50:26 ヨセフはこうして、百十歳で死んだ。人々はエジプトで彼のなきがらに薬を塗り、防腐処置をして、ひつぎに納めた。創世記 50章22節~26節

原稿のアイコンメッセージ

 2011年6月5日から創世記を学び続けてきましたが、今夕はその最後の学びとなります。今夕は、50章22節から26節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っています。

 22節、23節をお読みします。

 ヨセフは父の家族と共にエジプトに住み、百十歳まで生き、エフライムの三代の子孫を見ることができた。マナセの息子マキルの子供たちも生まれると、ヨセフの膝に抱かれた。

 ここには、ヨセフの幸いな晩年の様子が記されています。と言いますのも、百十歳まで生きることは、古代のエジプトにおいて理想的であると考えられていたからです。ヨセフは、その理想的な年齢である百十歳まで生きたのです。また、ヨセフは、エフライムの三代の子孫を見ることができました。エフライムはヨセフの子供ですから、ヨセフは実に四代まで見ることができたのです。これは神様の大いなる祝福であります。知恵文学に分類されるヨブ記は、その結びにおいて、主がヨブを以前にまして祝福されたことを記しています。そこで、ヨブも「子、孫、四代先まで見ることができた」と記されています(ヨブ42:16)。ヨブと同じように、ヨセフも、子、孫、四代先まで見ることができたのです。ここに、「マナセの息子マキルの子供たちも生まれると、ヨセフの膝の上に抱かれた」とありますが、これは、マキルの子供たちが、ヨセフの子孫であることを示しています(30:3参照)。マキル族は後に有力な一族となりますので、ヨセフの子孫であることが強調して、ここに記されています(士師5:14参照)。ともかく、ヨセフは、長寿を全うし、子、孫、四代先まで見ることができたのです。そのように、神様はヨセフを祝福してくださったのであります。

 24節から26節までをお読みします。

 ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」

 それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」

 ヨセフはこうして、百十歳で死んだ。人々はエジプトで彼のなきがらに薬を塗り、防腐処置をして、ひつぎに納めた。

  ここで、「兄弟たち」とありますが、これが父ヤコブの他の息子たちであるとそれば、ヤコブは末から2番目であったにも関わらず、兄たちの方が長生きしたことになります。ある研究者は、ここでの「兄弟たち」は「親族の者たち」を意味するに過ぎないと理解しますが、ともかく、ヨセフは兄弟たちに、自分が間もなく死ぬことを告げ、そして、こう言うのです。「神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます」。ここには、ヨセフが父ヤコブから受け継いだ信仰が言い表されています。家督を継いだヨセフは、遺言として、「神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださる」と語るのです。ヨセフは、曾祖父アブラハム、祖父イサク、父ヤコブと同じ信仰を抱いて生き、そして、死んでいくのです。それゆえ、ヨセフは、イスラエルの息子たちに、自分の骨を携えて約束の土地に上るよう誓わせるのです。このことについて、ヘブライ人への手紙は11章22節で次のように記しています。「信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指示を与えました」。

 「神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます」。これは、イスラエルの民がエジプトから脱出する出エジプトの出来事を預言する言葉でもあります。そして、このことは、かつて主が、エジプトに下るヤコブに約束されたことでもあったのです。46章2節、3節にこう記されておりました。

 その夜、幻の中で神がイスラエルに、「ヤコブ、ヤコブ」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、神は言われた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう。」

 ここで神様は、イスラエルに、「わたしがあなたと共にエジプトに下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す」と言われましたが、これはイスラエル個人がカナンの地に葬られることにとどまらず、イスラエル民族がエジプトからカナンの地に連れ戻されることを指しているのです。イスラエルに語られた神様の約束は、ヤコブ個人を超えて、ヨセフに、さらにはイスラエル民族全体に対しての約束であるのです。それゆえ、ヨセフは、「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください」と言ってイスラエルの息子たちに誓わせたのです。そして、ヨセフのなきがらは、防腐処置を施され、棺に納められたのです。

 先程も引用しました、ヘブライ人への手紙は、アブラハムが復活信仰をもっていたと語ります。ヘブライ人への手紙は、アブラハムが独り子イサクを神にささげることができたのは、「神が人を死者の中から生き返らせることがおできになると信じていたからだ」と語るのです。私などは、これは新約から旧約を読むことによって生じる、読み込みではないかと思ってしまうのですが、今夕の御言葉を読むときに、読み込みとは言い切れないのではないかと思わされました。なぜ、ヨセフは、自分の骨を約束のカナンの地に携えて上るよう、イスラエルの息子たちに誓わせたのでしょうか?それはヨセフも、「神が人を死者の中から生き返らせることがおできになる」と信じていたからでないかと思うのです。

 私たちは誰でも死を迎えます。イエス・キリストを信じる者も例外ではありません。そのとき、私たちは、義の宿る新しい天と地を相続することになることを信じて、そこに希望を置いて、死ぬことができるでしょうか?それは、その時にならなければ分からないかも知れません。しかし、少なくとも、今、生きているこのときに、私たちが義の宿る新しい天と地を相続することを希望としていなければ、死のときにも希望とすることができないのではないかと思うのです。ヘブライ人への手紙は、「族長たちが皆、信仰を抱いて死にました」と記しています。族長たちは信仰を持ち続けて死んだのです。死の間際に、信仰を手放してしまったのではありません。信仰を握りしめながら死んだのです。そのことを、私たちは、ヨセフの死を通して、もう一度確認させていただきたいと思います。

 今夕は最後に、テサロニケの信徒への手紙一4章13節、14節を読んで終わりたいと思います。新約の377ページです。

 兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。

 聖書は、イエス・キリストを信じた者たちは、イエス・キリストが来られる日に、イエス様と同じように墓から導き出されることを約束しています。そして、神様の約束は確かです。なぜなら、イエス・キリストは私たちの初穂として既に墓から導き出されたからです。さらに、復活されたイエス・キリストが聖霊において私たちと共にいてくださるからです。アブラハム、イサク、ヤコブの神は、ヨセフの神でも、イエス・キリストの神でもあられます。そして、私たちの神でもあられるのです。私たちには、墓から導き出される約束と、新しい天と地を受け継ぐ約束が与えられているのです。そのような信仰と希望を持って生き、死ぬ者でありたいと願います。

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