ファラオを祝福するヤコブ 2014年3月30日(日曜 夕方の礼拝)
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ファラオを祝福するヤコブ
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- 村田寿和 牧師
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創世記 46章31節~47章12節
聖書の言葉
46:31 ヨセフは、兄弟や父の家族の者たちに言った。「わたしはファラオのところへ報告のため参上し、『カナン地方にいたわたしの兄弟と父の家族の者たちがわたしのところに参りました。
46:32 この人たちは羊飼いで、家畜の群れを飼っていたのですが、羊や牛をはじめ、すべての財産を携えてやって来ました』と申します。
46:33 ですから、ファラオがあなたたちをお召しになって、『仕事は何か』と言われたら、
46:34 『あなたの僕であるわたしどもは、先祖代々、幼い時から今日まで家畜の群れを飼う者でございます』と答えてください。そうすれば、あなたたちはゴシェンの地域に住むことができるでしょう。」羊飼いはすべて、エジプト人のいとうものであったのである。
47:1 ヨセフはファラオのところへ行き、「わたしの父と兄弟たちが、羊や牛をはじめ、すべての財産を携えて、カナン地方からやって来て、今、ゴシェンの地におります」と報告した。
47:2 そのときヨセフは、兄弟の中から五人を選んで、ファラオの前に連れて行った。
47:3 ファラオはヨセフの兄弟たちに言った。「お前たちの仕事は何か。」兄弟たちが、「あなたの僕であるわたしどもは、先祖代々、羊飼いでございます」と答え、
47:4 更に続けてファラオに言った。「わたしどもはこの国に寄留させていただきたいと思って、参りました。カナン地方は飢饉がひどく、僕たちの羊を飼うための牧草がありません。僕たちをゴシェンの地に住まわせてください。」
47:5 ファラオはヨセフに向かって言った。「父上と兄弟たちが、お前のところにやって来たのだ。
47:6 エジプトの国のことはお前に任せてあるのだから、最も良い土地に父上と兄弟たちを住まわせるがよい。ゴシェンの地に住まわせるのもよかろう。もし、一族の中に有能な者がいるなら、わたしの家畜の監督をさせるがよい。」
47:7 それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオに祝福の言葉を述べた。
47:8 ファラオが、「あなたは何歳におなりですか」とヤコブに語りかけると、
47:9 ヤコブはファラオに答えた。「わたしの旅路の年月は百三十年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」
47:10 ヤコブは、別れの挨拶をして、ファラオの前から退出した。
47:11 ヨセフはファラオが命じたように、父と兄弟たちの住まいを定め、エジプトの国に所有地を与えた。そこは、ラメセス地方の最も良い土地であった。
47:12 ヨセフはまた、父と兄弟たちと父の家族の者すべてを養い、扶養すべき者の数に従って食糧を与えた。創世記 46章31節~47章12節
メッセージ
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今夕は創世記46章31節から47章12節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。
前回、私たちは、ヨセフとヤコブが二十数年ぶりに再会した場面をご一緒に読みました。今夕の御言葉はその続きであります。
ヨセフは、兄弟や父の家族の者たちにこう言いました。「わたしはファラオのところへ報告のために参上し、『カナン地方にいたわたしの兄弟と父の家族の者たちがわたしのところに参りました。この人たちは羊飼いで、家畜の群れを飼っていたのですが、羊や牛をはじめ、すべての財産を携えてやって来ました』と申します。ですから、ファラオがあなたたちをお召しになって、『仕事は何か』と言われたら、『あなたの僕であるわたしどもは、先祖代々、幼い時から今日まで家畜の群れを飼う者でございます』と答えてください。そうすれば、あなたたちはゴシェンの地域に住むことができるでしょう」。ここで、ヨセフは、これからエジプトの王ファラオに謁見するにあたり、兄弟たちに語るべき言葉を授けております。兄弟たちがゴシェンの地に住むことができるための知恵を授けているのです。ゴシェンはエジプト北東部の一地方でありますが(聖書地図2参照)、ヨセフはヤコブの一族をゴシェンに住まわせたかったようであります。と言いますのも、ヨセフは45章9節、10節で、兄弟たちにこう言っていたからです。「急いで父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに、わたしのところへおいでください。そして、ゴシェンの地域に住んでください。そうすればあなたも、息子も孫も、羊や牛の群れも、そのほかすべてのものも、わたしの近くで暮らすことができます」。このヨセフの言葉に従って、ヤコブの一族はゴシェンの地に来たわけです。おそらくゴシェンは、家畜を飼うのに、もっとも適した地域であったのでしょう。
34節の後半に、「羊飼いはすべて、エジプト人のいとうものであったのである」と記されておりますが、これはヤコブの一族が羊飼いであると答えれば、ゴシェンに住むことのできる理由として記されています。エジプト人は羊飼いを嫌っていたがゆえに、中心地ではなく、周辺に住まわせたのです。新共同訳聖書は、34節後半の御言葉を、創世記記者の言葉として記しておりますが、新改訳聖書を見ますと、ヨセフの言葉として記されています。ヘブライ語にはカギ括弧はありませんので、どちらにも解釈できるのです。34節を新改訳聖書は次のように訳しています。「あなたがたは答えなさい。「あなたのしもべどもは若い時から今まで、私たちも、また私たちの先祖たちも家畜を飼う者でございます』と。そうすれば、あなたがたはゴシェンの地に住むことができるでしょう。羊を飼う者はすべて、エジプト人に忌み嫌われているからです」。羊飼いはエジプト人に忌み嫌われていたがゆえに、ヤコブの一族は、都に住んでエジプト人と同じようになることなく、ゴシェンの地で一族としての純粋性を保つことができたのです。
ヨセフはファラオのところへ行き、「わたしの父と兄弟たちが、羊や牛をはじめ、すべての財産を携えて、カナンの地からやって来て、今、ゴシェンの地におります」と報告しました。かつて、ファラオは、ヨセフの兄弟たちがやって来たという知らせを受けて、ヨセフにこう言っておりました。「兄弟たちに、こうするように言いなさい。『家畜に荷を積んでカナンの地に行き、父上と家族をここへ連れて来なさい。わたしは、エジプトの国の最良のものを与えよう。あなたたちはこの国の最上の産物を食べるがよい』。また、こうするように命じなさい。『エジプトの国から、あなたたちの子供や妻たちを乗せる馬車を引いて行き、父上もそれに乗せてくるがよい。家財道具などには未練を残さないように。エジプトの国中で最良のものが、あなたたちのものになるのだから』」(45:17~20)。このファラオの命令に従って、ヨセフは、自分の父と兄弟たちが、カナン地方からやって来て、今、ゴシェンの地にいますと報告したのです。
ヨセフは、十一人の兄弟の中から五人を選んで、ファラオの前に連れて行きました。ヨセフは、五人の兄弟をファラオに拝謁させたのです。ファラオは、ヨセフの予想通り、「お前たちの仕事は何か」と彼らの身分、職業を尋ねました。そして、兄弟たちは、ヨセフに言われていたとおり、「あなたの僕であるわたしどもは先祖代々、羊飼いでございます」と答えました。また、兄弟たちは更に続けてこうファラオに言うのです。「わたしどもはこの国に寄留させていただきたいと思って、参りました。カナン地方は飢饉がひどく、僕たちの羊を飼うための牧草がありません。僕たちをゴシェンの地に住まわせてください」。「寄留させていただきたい」とありますように、兄弟たちは、エジプトにずっと住むことを願ったのではなく、飢饉が終わるまでのひとときの間、滞在することを願ったのです。ヨセフによれば、まだ五年は飢饉が続くのですから、その間、エジプトに寄留させてほしいと願い出るのです。12章に、アブラハムが飢饉のため、エジプトに滞在したことが記されておりましたが、兄弟たちも飢饉の間、エジプトに滞在することを願い出るのです。
この兄弟たちの願いを受けて、ファラオはヨセフに向かってこう言いました。「父上と兄弟たちが、お前のところにやって来たのだ。エジプトの国のことはお前に任せてあるのだから、最も良い土地に父上と兄弟たちを住まわせるがよい。ゴシェンの地に住まわせるのもよかろう。もし、一族の中に有能な者がいるなら、わたしの家畜の監督をさせるがよい」。ファラオは兄弟たちにではなく、ヨセフに答えました。このことは、ファラオにとって、ヤコブの一族の代表者がヨセフであったことを表しています。兄弟たちはヨセフにあって、ファラオにこのような願いを申し出ることができたのです。私たちは、このところから、ファラオがヨセフをどれほど信頼しており、寛大に接していたかが分かります。まさしく、ヨセフはファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者であるのです(45:8参照)。
それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせました。五人の兄弟に続いて、父ヤコブがファラオに謁見するのです。ヤコブは、ファラオに祝福の言葉を述べました。この祝福の言葉がどのような言葉であったかは分かりませんが、ある研究者は、「王様がとこしえに生きながらえますように」といった言葉ではなかったかと想像しています。そのような祝福の言葉を受けて、ファラオは、「あなたは何歳におなりですか」とヤコブに語りかけたと言うのです。ヤコブはファラオにこう答えました。「わたしの旅路の年月は百三十年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません」。
新共同訳聖書は、「わたしの旅路の年月は」と翻訳していますが、岩波書店から出ている翻訳聖書では、「わが寄留の年月は」と翻訳しています。ヤコブの生涯は、まさに旅人としての仮住まいの歩みであったのです(ヘブライ11:13~16参照)。ヤコブは、「わたしの生涯の年月は短く」と言っておりますが、130年という生涯は決して短くありません。エジプト人は110歳を理想の年齢としたそうですが、それを優に超えています。しかし、ヤコブは、自分の先祖たちの生涯に比べて、「わたしの生涯の年月は短い」と言うのです。アブラハムは175歳で、イサクは180歳で死んでおりますから、確かに、ヤコブの生涯は短いと言えるのです。
また、ここでヤコブは自分の生涯を振り返って、「苦しみ多く」と語っております。私たちはヤコブの出生から学んで来ましたけれども、確かにヤコブの生涯は苦しみの多い生涯でありました。父イサクをだまして、祝福を得たものの、兄エサウを恐れて、家族のもとを離れ、叔父ラバンのもとへ行き、そこではラバンに騙され、こき使われました。兄エサウとの再会では死を覚悟せねばならず、カナンの地に移り住んでからも、子供たちに騙され、あやうく嘆きながら陰府に下るところであったのです。
しかし、寄留者であり、苦しみ多い人生を歩んで来たヤコブが、ここでエジプトの王ファラオを祝福していることを私たちは見落としてはなりません。10節に、「ヤコブは、別れの挨拶をして」とありますが、元の言葉を見ますと、「ヤコブはファラオを祝福した」と記されています。7節の後半に、「ヤコブはファラオに祝福の言葉を述べた」とありますが、ファラオの前から退出する際にも、ヤコブはファラオを祝福しているのです。これは驚くべきことではないでしょうか?なぜなら、祝福は上の者が下の者に与えるものであるからです。ヘブライ人への手紙7章7節に、「下の者が上の者から祝福を受けるのは、当然なことです」とありますように、本来ならば、ファラオがヤコブを祝福すべきであるのです。しかし、ここでは、ヤコブがファラオを祝福しているのです。なぜなら、ヤコブこそ、父イサクから神の祝福を受け継いだ、祝福の担い手であるからです。神様は、ヤコブが祝福する者を祝福してくださるのです。それゆえ、寄留者であり、羊飼いであるヤコブが、エジプトの王ファラオを祝福しているのです。
私たちも、礼拝において、祝福を受けます。それは、イエス・キリストからの祝福であるのです。ルカによる福音書の最後を見ますと、イエス様が、手を上げて弟子たちを祝福されたこと、そして、祝福しながら、天へと上げられたことが記されています(ルカ24:50、51参照)。私たちは主の日に行われる礼拝において、御言葉の教師を通して、復活され、今も生きておられるイエス・キリストの祝福にあずかるのです。そのように、私たちもイエス・キリストにあって神の祝福を担う者たちとされているのです。神様はイエス・キリストにあって、私たちが祝福するものを祝福してくださるのです。
ヨセフは、ファラオが命じたように、父と兄弟たちの住まいを定め、エジプトの国に所有地を与えました。そこはラメセス地方の最も良い土地でありました。「ラメセス地方」とは後の時代の呼び名で、ゴシェンの地のことを指しております。また、ヨセフは、父と兄弟たちと父の家族の者すべてを養い、扶養すべき者の数に従って食料を与えました。このようにして、ヨセフは、ファラオの命令に従うというかたちで、自分の願いを実現することができたのです(45:10、11参照)。まさに、神様がヨセフを兄弟たちよりも先にエジプトへと遣わされたのは、ヤコブの一族の命を救うためであったのです。