息子イサクの嫁 2012年10月28日(日曜 夕方の礼拝)
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息子イサクの嫁
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- 村田寿和 牧師
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創世記 24章1節~9節
聖書の言葉
24:1 アブラハムは多くの日を重ね老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。
24:2 アブラハムは家の全財産を任せている年寄りの僕に言った。「手をわたしの腿の間に入れ、
24:3 天の神、地の神である主にかけて誓いなさい。あなたはわたしの息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘から取るのではなく、
24:4 わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」
24:5 僕は尋ねた。「もしかすると、その娘がわたしに従ってこの土地へ来たくないと言うかもしれません。その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよいでしょうか。」
24:6 アブラハムは答えた。「決して、息子をあちらへ行かせてはならない。
24:7 天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる。
24:8 もし女がお前に従ってこちらへ来たくないと言うならば、お前は、わたしに対するこの誓いを解かれる。ただわたしの息子をあちらへ行かせることだけはしてはならない。」
24:9 そこで、僕は主人アブラハムの腿の間に手を入れ、このことを彼に誓った。創世記 24章1節~9節
メッセージ
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今夕は、創世記第24章1節から9節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
1節から4節までをお読みいたします。
アブラハムは多くの日を重ねて老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。アブラハムは家の全財産を任せている年寄りの僕に言った。「手をわたしの腿の間に入れ、天の神、地の神である主にかけて誓いなさい。あなたはわたしの息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘から取るのではなく、わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」
前回、私たちは、アブラハムが死んだ妻サラを葬るために、ヘト人のエフロンからマクペラの洞穴を買い取り、墓地として所有したことを学びました。約束の地にお墓を所有することは、アブラハムにとって、世を去る前になすべきことでありました。また、彼には、もう一つなすべきことがありました。それは息子イサクのために嫁を迎えることであります。当時、息子のために嫁を迎えることは、父親の大切な役割でした(21:21参照)。それで、多くの日を重ね老人になったアブラハムは、家の全財産を任せている年寄りの僕にこう言うのです。「手をわたしの腿の間に入れ、天の神、地の神である主にかけて誓いなさい。あなたはわたしの息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘から取るのではなく、わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように」。ユダヤの伝承によりますと、この「年寄りの僕」は、第15章に出て来る、ダマスコのエリエゼルである、と言われています。アブラハムに子供がなければ家を継ぐことになっていたエリエゼルが、この「年寄りの僕」であると言うのです。聖書は僕の名前を記していないので確定することはできませんが、この僕はアブラハムの家の全財産を任されていた、人生経験豊かな僕でありました。アブラハムは、この僕を自分の代わりに、息子イサクのための嫁探しに遣わすのです。「手をわたしの腿の間に入れ、天の神、地の神である主にかけて誓いなさい」とありますが、腿の間に手を入れることは、性器に触れることを意味しています(47:29参照)。その由来はよく分かりませんが、アブラハムは僕に手を腿の下に入れて、息子のための嫁を今住んでいるカンナの娘からではなく、自分の父の家に行って、親族から迎えるようにと、誓わせるのです(新改訳参照)。アブラハムは、かつて聞いた知らせ、「ミルカもまた、あなたの兄弟ナホルとの間に子供を産みました」という知らせを覚えていたのでありましょう(22:20~24参照)。しかし、なぜ、アブラハムは、息子イサクの嫁を今住んでいるカナンの娘からではなく、自分の父の家に行って、親族から迎えるようにと言ったのでしょうか?自分の一族を強くするためであったとか、色々と考えることができますが、何より、主を信じる信仰を保つためであったと思います。アブラハムは主を信じる信仰を保つために、神々を信じるカナンの娘ではなく、主を信じる自分の一族からイサクのために嫁を連れてくるようにと言ったのです(申命記7:3、4参照)。第10章に、「ノアの息子、セム、ハム、ヤフェトの系図」が記されておりましたけれども、カナン人はハムの子孫であります。それに対して、アブラハムはセムの子孫であるわけです。そのことは第11章の「セムの系図」を、さらには「テラの系図」をたどって行くと分かります。第9章に、酔いからさめたノアの三人の息子に対する言葉が記されておりましたが、それは次のようなものでありました。「セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。神がヤフェトの土地を広げ/セムの天幕に住まわせ/カナンはその奴隷となれ」。私は、アブラハムが、息子イサクの嫁をカナンの娘からではなく、自分の一族から迎えるようにと命じたのには、このノアの言葉があったのではないか、と思うのです。「セムの神、主をたたえよ」とありますように、主への信仰はセムの子孫に受け継がれていくわけです。もちろん、セムの子孫もバベルの塔の裁きの影響を免れることはできません。けれども、主への信仰、真の神知識はセムの子孫に受け継がれていたのです。ですから、アブラハムは、第12章で、主からの召しを受けたとき、信仰をもって従うことができたわけです。主への信仰、真の神知識を持つ自分の一族から、息子イサクの嫁を連れて来ることを、アブラハムは願ったわけです。
5節から9節までをお読みします。
僕は尋ねた。「もしかすると、その娘がわたしに従ってこの土地へ来たくないと言うかもしれません。その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよいでしょうか。」アブラハムは答えた。「決して、息子をあちらへ行かせてはならない。天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる。もし女がお前に従ってこちらへ来たくないと言うならば、お前は、わたしに対するこの誓いを解かれる。ただわたしの息子をあちらへ行かせることだけはしてはならない。」そこで、僕は主人アブラハムの腿の間に手を入れ、このことを彼に誓った。
僕は、「もしかすると、その娘がわたしに従ってこの土地へ来たくないと言うかもしれません」と言っていますが、このことは考えてみれば当然のことかも知れません。アブラハムの一族がいる故郷は、10節によると、「アラム・ナホライム」であります。これは「二つの川のアラム」という意味でありまして、チグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミア地方のことであります。聖書巻末の聖書地図の「1 聖書の古代世界」を見ていただくと分かりますように、アラム・ナハライムにあるナホルの町ハランと、アブラハムが住むカナンにあるヘブロンは、何百キロメートルも離れているわけです。ですから、その娘がカナンの地に来たくないということは十分考えられるわけであります。それで、僕は、「その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてもよいでしょうか」と尋ねたのです。それに対して、アブラハムは、「決して、息子をあちらへ行かせてはならない」と答えました。なぜなら、天の神である主は、アブラハムを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、アブラハムに誓い、約束してくださったからです。息子イサクを、故郷に連れ戻すことは、この神の誓い、神の約束を台無しにしてしまう、裏切り行為であるのです。しかし、アブラハムは神がそのようなことをしなくて済むようにはからってくださる摂理の神であることを信じておりました。ですから、アブラハムはこう言うのです。「その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる」。アブラハムは、「自分を父の家、生れ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、自分に誓い、約束してくださった天の神である主が、僕の行く手に御使いを遣わして、そこから嫁を連れて来ることができるようにしてくださる」と言うのです。イサクの代わりに雄羊を備えていてくださった主は、イサクのために嫁をも備えていてくださることをアブラハムは信じていたのです(22:13、14参照)。神はアブラハムに、「あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう」とも誓い、約束されました。このことを実現するためにはイサクが嫁を迎えることがどうしても必要であります。「あなたの子孫は天の星のようになる」という約束は、イサクが嫁を迎えることによって実現されるわけです。ですから、アブラハムは、主が僕の行く手に御使いを遣わして、そこから息子の嫁を連れて来ることができる、と信仰をもって語ることができたのです。また、主が、イサクから生まれる子孫に、カナンの土地を与えると誓い、約束してくださったゆえに、「もし女がお前に従ってこちらへ来たくないと言うならば、お前は、わたしに対するこの誓いから解かれる。ただわたしの息子をあちらへ行かせることだけはしてはならない」とアブラハムは言ったのです。神の誓い、神の約束に背く仕方で、嫁を迎えることがあってはならないと、アブラハムは僕に念を押すわけです。私たちはここに、神との約束を第一として、息子のために嫁を迎えようとする父アブラハムの姿を見ることができます。私たちの国の憲法は、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し」と定めておりますから(日本国憲法第24条参照)、父親が息子のために嫁を迎えるということはあまりないと思います。ですから、これから結婚したいと願っている人は、主への信仰を第一として、伴侶を祈り求めていただきたいと思います。また、ご両親も、そのことを祈り求めていただきたいと思います。また、すでに未信者と結婚されている方は、伴侶が信仰へと導かれるように祈り求めていただきたいと願います。