アビメレクとの契約 2012年10月07日(日曜 夕方の礼拝)
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アビメレクとの契約
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- 村田寿和 牧師
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創世記 21章22節~34節
聖書の言葉
21:22 そのころ、アビメレクとその軍隊の長ピコルはアブラハムに言った。「神は、あなたが何をなさっても、あなたと共におられます。
21:23 どうか、今ここでわたしとわたしの子、わたしの孫を欺かないと、神にかけて誓って(シャバ)ください。わたしがあなたに友好的な態度をとってきたように、あなたも、寄留しているこの国とわたしに友好的な態度をとってください。」
21:24 アブラハムは答えた。「よろしい、誓いましょう。」
21:25 アブラハムはアビメレクの部下たちが井戸を奪ったことについて、アビメレクを責めた。
21:26 アビメレクは言った。「そんなことをした者がいたとは知りませんでした。あなたも告げなかったし、わたしも今日まで聞いていなかったのです。」
21:27 アブラハムは、羊と牛の群れを連れて来て、アビメレクに贈り、二人は契約を結んだ。
21:28 アブラハムは更に、羊の群れの中から七匹(シェバ)の雌の小羊を別にしたので、
21:29 アビメレクがアブラハムに尋ねた。「この七匹の雌の小羊を別にしたのは、何のためですか。」
21:30 アブラハムは答えた。「わたしの手からこの七匹の雌の小羊を受け取って、わたしがこの井戸(ベエル)を掘ったことの証拠としてください。」
21:31 それで、この場所をベエル・シェバと呼ぶようになった。二人がそこで誓いを交わしたからである。
21:32 二人はベエル・シェバで契約を結び、アビメレクと、その軍隊の長ピコルはペリシテの国に帰って行った。
21:33 アブラハムは、ベエル・シェバに一本のぎょりゅうの木を植え、永遠の神、主の御名を呼んだ。
21:34 アブラハムは、長い間、ペリシテの国に寄留した。創世記 21章22節~34節
メッセージ
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今夕は、創世記の第21章22節から34節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
22節から24節までをお読みします。
そのころ、アビメレクとその軍団長ピコルはアブラハムに言った。「神は、あなたが何をなさっても、あなたと共におられます。どうか、今ここでわたしとわたしの子、わたしの孫を欺かないと、神にかけて誓って(シェバ)ください。わたしがあなたに友好的な態度をとってきたように、あなたも、寄留しているこの国とわたしに友好的な態度をとってください。」アブラハムは答えた。「よろしい。誓いましょう。」
今夕の御言葉には、第20章にでてきた「ゲラルの王アビメレク」が再び登場してきます。「そのころ」とありますが、第20章の「ゲラル滞在」のお話から、4年ほどが経っていたと思われます。なぜなら、イサクが生まれ、乳離れするのに4年ほどはかかったからです。アブラハムは、アビメレクの領土であるゲラルに滞在していたわけですが、主から多くの祝福を受けていたようです。これは、アブラハムがたくさんの奴隷や家畜を持つようになったということであります。それで、アビメレクは軍団長ピコルを従えて、アブラハムと契約を結ぼうとしたのです。アビメレクは、第20章に記されていたサラの一件で、アブラハムが預言者であることを神から知らされていましたので、アブラハムに対してある恐れを抱いていたと思われます。アビメレクと軍団長ピコルは、アブラハムに次のように言いました。「神はあなたが何をなさっても、あなたと共におられます。どうか、今ここでわたしとわたしの子、わたしの孫を欺かないと、神にかけて誓って(シェバ)ください。わたしがあなたに友好的な態度をとってきたように、あなたも、寄留しているこの国とわたしに友好的な態度をとってください」。アブラハムの繁栄ぶりは、アビメレクが「神はあなたが何をなさっても、あなたと共におられます」と言わざるを得ないほどのものでありました。しかし、それは、アビメレクにとっては脅威であったのです。ですから、アビメレクは、「どうか、今ここでわたしとわたしの子、わたしの孫を欺かないと、神にかけて誓ってください」と言うのです。ここで、アビメレクは第20章のことを念頭において語っているわけです。かつてアブラハムは、妻サラを「これはわたしの妹です」と言って、アビメレクを欺きました。それによって、アビメレクはサラを召し入れ、危うく神から死を言い渡されるところであったのです。アビメレクには、まだこのときもアブラハムに対する不信感がどうもあったようであります。ですから、アビメレクはアブラハムに「神にかけて誓ってください」と言うのです。アブラハムと共におられる神にかけて誓ってくださいと、アビメレクは言うのです。また、アビメレクは、「わたしがあなたに友好的な態度をとってきたように、あなたも寄留しているこの国とわたしに友好的な態度をとってください」と言っています。アビメレクがアブラハムにとった友好的な態度とは、サラに対する償いの品々として、羊、牛、男女の奴隷などをアブラハムに与えたこと、また、自分の領土の好きなところに住むことを許したことを指していると思われます。そのように、アビメレクはアブラハムにも自分に対して友好的な態度をとってください、と言うのです。このアビメレクの友好的な態度の背後には、アブラハムに祈ってもらい、命を救ってもらう必要があったのですが、アビメレクはそれには触れず、自分が取った友好的な態度だけに言及するわけです。アブラハムは、それに対して、「よろしい誓いましょう」と答えました。しかし、契約を結ぶ前に、はっきりとさせておかなくてはならないことがありました。それは、井戸をめぐる争いのことであります。
25節、26節をお読みします。
アブラハムはアビメレクの部下たちが井戸を奪ったことについて、アビメレクを責めた。アビメレクは言った。「そんなことをした者がいたとは知りませんでした。あなたも告げなかったし、わたしも今日まで聞いていなかったのです。」
アビメレクはアブラハムに、「わたしがあなたに友好的な態度をとってきた」と言いましたが、アブラハムはアビメレクの部下たちが自分の掘った井戸を奪ったことを告げ、そのことでアビメレクを責めました。井戸は砂漠に生きる民にとって、何よりも大切なものであります。現在は、石油や天然ガスといった地下資源をめぐって争いが起こりますが、当時は井戸の水をめぐって争いが起こったのです。ですから、アビメレクの部下がアブラハムの掘った井戸を奪ったことは、決して小さな問題ではないのです。それに対してアビメレクは次のように答えます。「そんなことをした者がいたとは知りませんでした。あなたも告げなかったし、わたしも今日まで聞いていなかったのです。」このアビメレクの言葉が本当であるか、どうかは解釈が分かれます。ある人は、「アビメレクは自分の部下とアブラハムとの間に、井戸をめぐる争いがあったことを知っていたからこそ、契約を結ぼうとしたのだ」と言っています。その場合、アビメレクは偽りを言ったことになりますが、私としては、アビメレクの言葉のとおり、受け取りたいと思います。つまり、アビメレクは自分の部下がアブラハムの井戸を奪ったことを知らなかったのです。なぜなら、アブラハムはそのことをアビメレクに今日まで告げなかったからであります。私たちはここから、アブラハムが忍耐づよい人物であり、争いを好まない人物であったことを教えられます。アブラハムはアビメレクとの争いを避けるために、井戸が奪われたことを耐え忍んでいたのです。しかし、アビメレクが友好的な契約を結ぼうと言って来ましたので、これまで忍耐してきたアビメレクの不正を告げ、アビメレクを責めたのです。アビメレクは、「わたしがあなたに友好的な態度をとってきた」と言いますが、そうでもないことがアブラハムの言葉から分かるわけです。
27節から32節までをお読みします。
アブラハムは、羊と牛の群れを連れて来て、アビメレクに贈り、二人は契約を結んだ。アブラハムは更に、羊の群れの中から七匹(シェバ)の雌の小羊を別にしたので、アビメレクがアブラハムに尋ねた。「この七匹の雌の小羊を別にしたのは、何のためですか。」アブラハムは答えた。「わたしの手からこの七匹の小羊を受け取って、わたしがこの井戸(ベエル)を掘ったことの証拠としてください。」それで、この場所をベエル・シェバと呼ぶようになった。二人がそこで誓いを交わしたからである。二人はベエル・シェバで契約を結び、アビメレクと、その軍団の長ピコルはペリシテの国に帰って行った。
「アブラハムは、羊と牛の群れを連れて来て、アビメレクに贈り、二人は契約を結んだ」とありますが、この羊と牛の群れは、アビメレクに友好的な態度をとることの目に見えるしるしであります。しかし、アブラハムは羊の群れの中から七匹の雌の小羊を別にしました。アビメレクが「この七匹の雌の小羊を別にしたのは、何のためですか」と問いますと、アブラハムは次のように答えました。「わたしの手からこの七匹の雌の小羊を受け取って、わたしがこの井戸を掘ったことの証拠としてください」。つまり、アブラハムはアビメレクが七匹の雌の小羊を受け取ることによって、井戸の所有権が自分にあることを認めるように求めたのです。ここには、贈り物を受け取ることは、送り手の権利要求の承認を意味するという、当時の習慣があります。アビメレクは、アブラハムが井戸を掘ったことの証拠として、七匹の雌の小羊を受け取りました。それで、この場所をベエル・シェバと呼ぶようになったと言うのです。ここでは、地名の由来が説明されているわけですが、ベエル・シェバは、「誓いの井戸」と「七匹の(羊の)井戸」という二重の意味を持っています。その場所をベエル・シェバと呼ぶことによって、人々は、アブラハムがアビメレクと契約を結んだ記憶を保ち続けたのです。アブラハムとアビメレクは、ベエル・シェバで契約を結び、アビメレクと軍団の長ピコルはペリシテの国に帰って行きました。
33節、34節をお読みします。
アブラハムは、ベエル・シェバに一本のぎょりゅうの木を植え、永遠の神、主の御名を呼んだ。アブラハムは、長い間、ペリシテの国に寄留した。
アブラハムがぎょりゅうの木を植えたことは、アブラハムがその地に長く寄留する意志を表しています。アブラハムはアビメレクと契約を結ぶことにより安心して暮らすことができるようになりました。また、井戸の所有権も自分にあることを確認することができました。そのような主の恵みに感謝して、アブラハムは一本のぎょりゅうの木を植えたのです。そして、その木の傍らで、永遠の神、主の御名を呼んだのです。やがて、この木も成長し、アブラハムはその木陰で主を礼拝できるようになるでありましょう。そして、事実、アブラハムは、長い間、ペリシテの地に寄留したのです。
寄留者であるアブラハムが永遠の神、主の御名を呼んだことは、アブラハムが「天の故郷を熱望していた」というヘブライ人への手紙の御言葉を思い起こさせます。アブラハムはペリシテの地に寄留しながら、永遠の神、主を礼拝していたのです。その点において、実は私たちも同じであります。使徒パウロが、「わたしたちの本国は天にあります」と記しておりますように、私たちはこの地上では仮住まいの身なのです(フィリピ3:20、一ペトロ1:17参照)。そして、私たちにも、この地上でぎょりゅうの木を植えること、地道にゆだねられた働きに勤しむことが求められているのです。パウロがテサロニケの信徒たちに、「落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい」と記したように(一テサロニケ4:11)、私たちも永遠の神、主を礼拝しながら、それぞれの働きに励む者でありたいと願います。