ゲラル滞在 2012年9月16日(日曜 夕方の礼拝)
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ゲラル滞在
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創世記 20章1節~18節
聖書の言葉
20:1 アブラハムは、そこからネゲブ地方へ移り、カデシュとシュルの間に住んだ。ゲラルに滞在していたとき、
20:2 アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは使いをやってサラを召し入れた。
20:3 その夜、夢の中でアビメレクに神が現れて言われた。「あなたは、召し入れた女のゆえに死ぬ。その女は夫のある身だ。」
20:4 アビメレクは、まだ彼女に近づいていなかったので、「主よ、あなたは正しい者でも殺されるのですか。
20:5 彼女が妹だと言ったのは彼ではありませんか。また彼女自身も、『あの人はわたしの兄です』と言いました。わたしは、全くやましい考えも不正な手段でもなくこの事をしたのです」と言った。
20:6 神は夢の中でアビメレクに言われた。「わたしも、あなたが全くやましい考えでなしにこの事をしたことは知っている。だからわたしも、あなたがわたしに対して罪を犯すことのないように、彼女に触れさせなかったのだ。
20:7 直ちに、あの人の妻を返しなさい。彼は預言者だから、あなたのために祈り、命を救ってくれるだろう。しかし、もし返さなければ、あなたもあなたの家来も皆、必ず死ぬことを覚悟せねばならない。」
20:8 次の朝早く、アビメレクは家来たちを残らず呼び集め、一切の出来事を語り聞かせたので、一同は非常に恐れた。
20:9 アビメレクはそれから、アブラハムを呼んで言った。「あなたは我々に何ということをしたのか。わたしがあなたにどんな罪を犯したというので、あなたはわたしとわたしの王国に大それた罪を犯させようとしたのか。あなたは、してはならぬことをわたしにしたのだ。」
20:10 アビメレクは更に、アブラハムに言った。「どういうつもりで、こんなことをしたのか。」
20:11 アブラハムは答えた。「この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです。
20:12 事実、彼女は、わたしの妹でもあるのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではないのです。それで、わたしの妻となったのです。
20:13 かつて、神がわたしを父の家から離して、さすらいの旅に出されたとき、わたしは妻に、『わたしに尽くすと思って、どこへ行っても、わたしのことを、この人は兄ですと言ってくれないか』と頼んだのです。」
20:14 アビメレクは羊、牛、男女の奴隷などを取ってアブラハムに与え、また、妻サラを返して、
20:15 言った。「この辺りはすべてわたしの領土です。好きな所にお住まいください。」
20:16 また、サラに言った。「わたしは、銀一千シェケルをあなたの兄上に贈りました。それは、あなたとの間のすべての出来事の疑惑を晴らす証拠です。これであなたの名誉は取り戻されるでしょう。」
20:17 アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクとその妻、および侍女たちをいやされたので、再び子供を産むことができるようになった。
20:18 主がアブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの宮廷のすべての女たちの胎を堅く閉ざしておられたからである。創世記 20章1節~18節
メッセージ
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先程は、創世記の第20章をお読みしましたが、この所は、創世記の第12章に記されていたことと大変似ております。少なくとも、創世記の記者は、第12章の「エジプト滞在」を前提にして、第20章の「ゲラル滞在」を記しています。ある神学者は、同じ伝承を用いたのではないかと考えますが、わたしは同じようなことがエジプトとゲラルで、二度あったのだろうと思います。第12章の「エジプト滞在」と第20章の「ゲラル滞在」は似ているのですが、異なっている点も多々ありますので、その点を意識しながら、今夕の御言葉を読み進めていきたいと思います。
1節、2節をお読みします。
アブラハムは、そこからネゲブ地方へ移り、ケデシュとシュルの間に住んだ。ゲラルに滞在していたとき、アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは使いをやってサラを召し入れた。
第18章1節によりますと、アブラハムは「マムレの樫の木の所」に住んでおりました。しかし、ここではアブラハムがそこからネゲブ地方へ移り、ケデシュとシュルの間に住んだ、と記されています。ネゲブ地方はパレスチナの南の地方でありますが、アブラハムが住まいを移した理由は記されておりません。遊牧民であったアブラハムにとって、住まいを移すことは理由のいらないことであったかも知れませんが、アブラハムはゲラルという都市国家に滞在いたします。このような都市国家に滞在することも、遊牧民には時として必要であったと言われています。そこでアブラハムは、エジプトに滞在したときと同じように、妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言いました。エジプトに滞在したとき、サラは65歳でありました。しかし、ゲラルに滞在したときは90歳でありました。サラは大変美しい女性でありましたが、90歳のサラをゲラルの王アビメレクが使いをやって召し入れたとは信じられないと考える人もおります。そして、今夕の御言葉をサラが若いときのことと考えるのです。しかし、私は、聖書の順序に従って、アビメレクは90歳のサラを召し入れたと読みたいと思います。サラの容姿が年齢に反して若々しかったということも考えられますし、神様によって、絶えていた月のものが再開し、子供を宿すことができる生命力を与えられていたとも考えることができるからです。ともかく、ゲラルの王アビメレクは、サラがアブラハムの妻であることを知らずに召し入れたのでありました。アビメレクはサラを自分の側女の一人にしようとしたわけです。
3節から7節までをお読みします。
その夜、夢の中でアビメレクに神が現れて言われた。「あなたは、召し入れた女のゆえに死ぬ。その女は夫のある身だ。」アビメレクは、まだ彼女に近づいていなかったので、「主よ、あなたは正しい者でも殺されるのですか。彼女が妹だと言ったのは彼ではありませんか。また彼女自身も、『あの人はわたしの兄です』と言いました。わたしは、全くやましい考えも不正な手段でもなくこの事をしたのです」と言った。神は夢の中でアビメレクに言われた。「わたしも、あなたが全くやましい考えでなしにこの事をしたことは知っている。だからわたしも、あなたがわたしに対して罪を犯すことのないように、彼女に触れさせなかったのだ。直ちに、あの人の妻を返しなさい。彼は預言者だから、あなたのために祈り、命を救ってくれるだろう。しかし、もし返さなければ、あなたもあなたの家来も皆、必ず死ぬことを覚悟せねばならない。」
今夕の御言葉と第12章の大きく違う点は、長い会話が記されていることです。アビメレクがサラを召し入れた夜、夢の中でアビメレクに神が現れてこう言いました。「あなたは、召し入れた女のゆえに死ぬ。その女は夫のある身だ」。4節に、「アビメレクは、まだ彼女に近づいていなかった」とありますが、これはおそらく、主がアビメレクを病にかからせたためであったと思います。といいますのも、17節に、「アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクとその妻、および侍女たちをいやされた」と記されているからです。サラを召し入れたのは、サラと関係を持つためでありますが、病のため、アビメレクはまだ彼女に近づいていなかったのです。神の言葉を聞いて、アビメレクは驚き、次のように弁明します。「主よ、あなたは正しい者でも殺されるのですか。彼女が妹だと言ったのは彼ではありませんか。また彼女自身も、『あの人はわたしの兄です』と言いました。わたしは全くやましい考えも不正な手段でもなくこの事をしたのです」。神はアビメレクに「その女は夫のある身である」と言われましたが、アビメレクはそのようなことを知りませんでした。アビメレクは、サラをアブラハムの妹であると言われたから、召し入れたと言うのです。そのようなアビメレクに再び神は言われます。「わたしも、あなたが全くやましい考えでなしにこの事をしたことは知っている。だからわたしも、あなたがわたしに対して罪を犯すことのないように、彼女にふれさせなかったのだ」。アビメレクは異邦人でありますが、夫のある女を自分の妻にすることは死刑に値する大きな罪であることを知っておりました。また、神様も、そのアビメレクの罪を何より御自分に対する罪であると言われるのです。アビメレクが御自分に対して罪を犯すことのないように、神はアビメレクの夢に現れ、また、彼を病にかからせて、サラに触れさせないようにされたのであります。続けて、神はこう言われます。「直ちに、あの人の妻を返しなさい。彼は預言者だから、あなたのために祈り、命を救ってくれるだろう。しかし、もし返さなければ、あなたもあなたの家来も皆、必ず死ぬことを覚悟せねばならない」。神はアビメレクに、アブラハムに妻を返すように命じ、アブラハムが何者であるかを告げられます。すなわち、アブラハムは預言者であり、アビメレクのための命を救う祈り手であるのです。神はアビメレクに、「もし返さなければ、あなたも家来も皆、必ず死ぬことを覚悟せねばならない」と言われましたが、これはサラから約束の子イサクが生まれることになっていたからです。神は約束を実現されるために、アビメレクの夢に現れ、サラがアブラハムの妻であり、アブラハムが預言者、神の人であることを告げられたのです。
8節から13節までをお読みします。
次の朝早く、アビメレクは家来たちを残らず呼び集め、一切の出来事を語り聞かせたので、一同は非常に恐れた。アビメレクはそれから、アブラハムを呼んで言った。「あなたは我々に何ということをしたのか。わたしがあなたにどんな罪を犯したというので、あなたはわたしとわたしの王国に大それた罪を犯させようとしたのか。あなたは、してはならぬことをわたしにしたのだ。」アビメレクは更に、アブラハムに言った。「どういうつもりで、こんなことをしたのか。」アブラハムは答えた。「この土地には、神を恐れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです。事実、彼女は、わたしの妹でもあるのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではないのです。それで、わたしの妻となったのです。かつて、神がわたしを父の家から離して、さすらいの旅に出されたとき、わたしは妻に、『わたしに尽くすと思って、どこへ行っても、わたしのことを、この人は兄ですと言ってくれないか』と頼んだのです。」
夢で神のお告げを聞いたアビメレクは、朝早く、家来たちを呼び集め、一切の出来事を聞かせました。それを聞いた一同は非常に恐れたと記されています。11節で、アブラハムは、「この土地には、神を畏れることが全くないので」と言っておりますが、アビメレクも、その家来も神を恐れる心を持っておりました。彼らは主を礼拝することはなくとも、神を恐れる宗教心はもっていたのです。アビメレクはアブラハムを呼んで、「あなたは我々に何ということをしたのか」と責めたてるのですが、アビメレクも夫のある身の女、すなわち他人の妻と関係を持つことは、大それた罪であることを知っていたのです。むしろ責められるべきは、妻であるサラを「これはわたしの妹です」と言ったアブラハムであるのです。アビメレクの言葉に、アブラハムは返す言葉もないのですが、「どういうつもりで、こんなことをしたのか」という質問に対しては、次のように答えています。「この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです」。しかし、これはアブラハムの思い違いでありました。既に申しましたように、アビメレクとその家来は神を恐れる宗教心を持っておりましたし、人妻と関係を持つことは大きな罪であるという定め、法律もゲラルにはあったのです。ここでアブラハムは、サラが母違いの妹であると言って、自分は嘘をついたわけではないと弁明しています。そして、サラを妹であると言うことは、自分の身を守るための決め事であったことを打ち明けるのです。なんとも情けないアブラハムの姿がここに記されています。
14節から18節までをお読みします。
アビメレクは羊、牛、男女の奴隷などを取ってアブラハムに与え、また妻サラを返して、言った。「この辺りはすべてわたしの領土です。好きな所にお住まいください。」また、サラに言った。「わたしは、銀一千シェケルをあなたの兄上に贈りました。それは、あなたとの間のすべての出来事の疑惑を晴らす証拠です。これであなたの名誉は取り戻されるでしょう。」アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクとその妻、および侍女たちをいやされたので、再び子供を産むことができるようになった。主がアブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの宮廷のすべての女たちの胎を堅く閉ざしておられたからである。
アビメレクは、羊、牛、男女の奴隷をアブラハムに与えましたが、これは夫であるアブラハムに対する償いの品であります。エジプト滞在のときは、アブラハムは結納の品として、多くの財産を手にしましたが、ここでは、アビメレクからの償いの品として、羊、牛、男女の奴隷を与えられたのです。アビメレクは償いの品と共に、妻サラを夫アブラハムに返したのであります。また、ファラオがアブラハムをエジプトから立ち去らせたのに対して、アビメレクは、「好きなところにお住まいください」と滞在することを認めました。また、サラに対して「わたしは、銀一千シェケルをあなたの兄上に送りました」と言っていますが、多くの財産を償いの品としてアブラハムに与えたのです。ここで「兄上」と言っているのは、皮肉でありますね。アビメレクはアブラハムが兄ではなく夫であるがゆえに、償いの品を贈り、サラの名誉をも回復したのです。このようにアビメレクがアブラハムとサラに、丁重に接したのは、アブラハムが預言者であり、彼の祈りによって命が救われると神に言われていたからです。そして、事実、アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクとその妻、および侍女たちを癒されたのでありました。それによって、彼の妻や侍女たちは子供を産むことができるようにされたのです。
今夕の御言葉を読むと、アブラハムよりもアビメレクの方が、立派に振る舞っているように思えます。しかし、アビメレクのために祈り、彼の命を救うのは、アブラハムであるのです。それはアブラハムが立派であるからではありません。むしろ、今夕の御言葉ではアブラハムは情けない人物であるとの印象を受けます。しかし、そのアブラハムを神は預言者として立てられ、異邦人にも祝福をもたらす者とされたのです。そうであるならば、正しい人イエス・キリストが、私たちのために執り成してくださることは、どれほど力づよいことでありましょうか。私たちは神の預言者であり、大祭司であり、王であるイエス・キリストが与えられています。イエス・キリストは、私たちの救いのために、今も執り成してくださっています。私たちの救いを十字架において成し遂げてくださったキリストが、今も私たちの救いのために祈っていてくださるのです。