ソドムの罪 2012年9月02日(日曜 夕方の礼拝)

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ソドムの罪

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 19章1節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

19:1 二人の御使いが夕方ソドムに着いたとき、ロトはソドムの門の所に座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって迎え、地にひれ伏して、
19:2 言った。「皆様方、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊まりください。そして、明日の朝早く起きて出立なさってください。」彼らは言った。「いや、結構です。わたしたちはこの広場で夜を過ごします。」
19:3 しかし、ロトがぜひにと勧めたので、彼らはロトの所に立ち寄ることにし、彼の家を訪ねた。ロトは、酵母を入れないパンを焼いて食事を供し、彼らをもてなした。
19:4 彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、
19:5 わめきたてた。「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」
19:6 ロトは、戸口の前にたむろしている男たちのところへ出て行き、後ろの戸を閉めて、
19:7 言った。「どうか、皆さん、乱暴なことはしないでください。
19:8 実は、わたしにはまだ嫁がせていない娘が二人おります。皆さんにその娘たちを差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せていただいたのですから。」
19:9 男たちは口々に言った。「そこをどけ。」「こいつは、よそ者のくせに、指図などして。」「さあ、彼らより先に、お前を痛い目に遭わせてやる。」そして、ロトに詰め寄って体を押しつけ、戸を破ろうとした。
19:10 二人の客はそのとき、手を伸ばして、ロトを家の中に引き入れて戸を閉め、
19:11 戸口の前にいる男たちに、老若を問わず、目つぶしを食わせ、戸口を分からなくした。
19:12 二人の客はロトに言った。「ほかに、あなたの身内の人がこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。
19:13 実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」創世記 19章1節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記の第19章1節から13節より御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 1節から3節までをお読みします。

 二人の御使いが夕方ソドムに着いたとき、ロトはソドムの門の所に座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって迎え、地にひれ伏して、言った。「皆様方、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊まりください。そして、明日の朝早く起きて出立なさってください。」彼らは言った。「いや、結構です。わたしたちはこの広場で夜を過ごします。」しかし、ロトがぜひにと勧めたので、彼らはロトの所に立ち寄ることにし、彼の家を訪ねた。ロトは酵母を入れないパンを焼いて食事を供し、彼らをもてなした。

 ソドムについて、主は第18章20節、21節で次のように言われていました。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう」。二人の御使いは、ソドムの行跡が訴えのとおりかどうかを確かめるために、ソドムへとやって来たのです。二人の御使いが着いたのは夕方でありました。ソドムの門の所に座っていたロトは、彼らを見ると、立ち上がって迎え、地にひれ伏して言いました。「皆様方、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊まりください。そして、明日の朝早く起きて出立なさってください」。ここで「皆様方」と訳されている元の言葉は「御主人たち」であります。アブラハムが三人の旅人を迎え入れたように、ロトも二人の旅人を迎え入れようとするのです。ここにも、旅人をもてなすことを神聖な義務としていた遊牧民の慣習を見ることができます。ロトは、町に住む者となりましたが、遊牧民の慣習を大切にしていたのです。しかし、彼らは、「いや、結構です。わたしたちはこの広場で夜を過ごします」と断りました。これは彼らの目的が、ロトの家を訪問することではなくて、ソドムの町の人々の行跡を確かめるためであったからでありましょう。しかし、ロトがぜひにと勧めたので、彼らはロトの所に立ち寄ることにしました。ロトは、ソドムの治安の悪さを知っていたからこそ、強いて彼らを家に招き入れたのです。ロトは、酵母を入れないパン、すぐにできるパンを焼いて、二人の旅人をもてなしました。ヘブライ人への手紙に、「ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました」とありますが、この御言葉はロトにも当てはまるのです。

 4節、5節をお読みします。

 彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめきたてた。「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れてこい。なぶりものにしてやるから。」

 見知らぬ二人の旅人がソドムの町に来たこと。そして、ロトが彼らを自分の家に招き入れたことをソドムの人々は見ていたようです。そして、それがうわさになって、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、ロトの家の周りを取り囲んでわめき立てたのです。「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れてこい。なぶりものにしてやるから」。この「なぶりものにしてやる」と訳されている言葉を、口語訳聖書は「われわれは彼らを知るであろう」と訳しています。新改訳聖書も「彼らをよく知りたいのだ」と訳しています。もとの言葉を見ますと「知る」という動詞が記されているのです。聖書において「知る」とは男女の性の交わりを持つことを表すことがあります。第4章1節に、「アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み」とありましたように、「知る」とは性的な関係を持つことを意味しているのです。ですから、ロトの家を取り囲んだ男たちは、二人の旅人を性的に辱めてやると言っているわけです。新共同訳聖書は「なぶりものにしてやる」と訳しましたが、それはなぶりもにするという暴力の中で、性的な辱めが行われることがあったためと思われます。ソドムの人々の罪は、男が男に対して、しかも無理やりに性的関係を持つという、男色と強姦の罪であったのです。男色については、後にイスラエルでは律法によって明確に禁じられます。レビ記の第18章22節に、「女と寝るように男と寝てはならない。それはいとうべきことである」と記されています。しかし、ソドムの男たちは、二人の旅人を知りたいから引き渡すよう、ロトに要求するのです。ここで、「若者も年寄りもこぞって」とありますが、これは一部の人たちが頽廃していたのではなくて、町全体が頽廃していたことを表しています。それにしても、恐ろしい光景であります。ソドムの男たちが、こぞって押しかけ、家を取り囲んで叫んでいるのです。ロトはどうするのでしょうか?

 6節から8節までをお読みします。

 ロトは、戸口の前にたむろしている男たちのところへ出て行き、後ろの戸を閉めて、言った。「どうか、皆さん、乱暴なことはしないでください。実は、わたしにはまだ嫁がせていない娘が二人おります。皆さんにその娘たちを差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せていただいたのですから。」

 ロトは、一人外に出て、戸口の前にたむろしている男たちに、二人の旅人の代わりに、男を知らない二人の娘を差し出すから、二人の旅人には何もしないでくれと申します。これは現代の私たちの倫理観からすれば、到底納得できないひどい話だと思います。しかし、ロト本人にすれば、苦渋の決断であったと思うのです。皆さんなら、どうするでしょうか?自分の保護のもとにある旅人は命懸けで守らねばならないという慣習がない私たちなら、二人の旅人に出て行ってほしいとお願いすると思います。しかし、ロトにはそれはできなかったようです。「ただ、あの方々には何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せていただいたのですから」とありますように、ロトにとって、二人の旅人の身を守ることが第一であったのです。また、当時は父親の権限が強く、娘は父親の所有物のように考えられていました。そのような時代的背景があることも私たちは忘れてはなりません。ただ、「後ろの戸を閉めて、言った」とありますから、このロトの言葉を娘たちが聞かなかったことだけが救いのように私には思われるのです。

 9節から13節をお読みします。

 男たちは口々に言った。「そこをどけ。」「こいつは、よそ者のくせに、指図などして。」「さあ、彼らより先に、お前を痛い目に遭わせてやる。」そして、ロトに詰め寄って体を押し付け、戸を破ろうとした。二人の客はそのとき、手を伸ばして、ロトを家の中に引き入れて戸を閉め、戸口の前にいる男たちに、老若を問わず、目つぶしを食わせ、戸口が分からなくした。二人の客はロトに言った。「ほかに、あなたの身内の人がこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫び声が主のもとに届いたので、主は、このまちを滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」

 ロトの代案は、男たちには気にいらなかったようです。ソドムの男たちは、ロトをよそ者と呼び、自分たちの裁判官になろうとすることに不平の声を挙げます。そして、二人の旅人よりもロトを痛い目に遭わせると言うのです。ロトは、二人の娘を差し出すことによって、やり過ごそうとしたのですが、ロト自身が暴力の対象とされるのです。「彼らより先に、お前を痛い目に遭わせてやる」とありますから、男たちはロトを痛い目に遭わせた後で、二人の旅人をなぶりものにしようとしたようであります。そして、ロトに詰め寄って体を押し付け、戸を破ろうとしたのです。そのとき、二人の客は、手を伸ばして、ロトを家の中に引き入れて戸を閉め、戸口の前にいる男たちに、目つぶしを食わせ、戸口を分からなくしました。そして、ロトにこう言ったのです。「ほかに、あなたの身内の人がこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすために、わたしたちを遣わされたのです」。ここで、「わたしたちはこの町を滅ぼしに来た」とありますが、もともとは「ソドムの町の人々の行跡が訴えどおりかを確かめに来た」はずであります。しかし、その訴えどおりであることが確認された以上、二人はソドムを滅ぼす者となり、滅ぼすために来たとも言えるのです。二人の客は目つぶしにより、ソドムの男たちから、ロトとその家族を救いました。そして、さらには、ロトとその身内の者たちをソドムの滅びから救おうとされるのです。ロトが二人の客を救うのではなくて、二人の客である主の御使いがロトとその身内の者たちをソドムの滅びの中から救い出されるのです。このロトの救いについて、ペトロの手紙二は次のように記しています。ペトロの手紙二の2章6節から10節までをお読みします。

 また、神はソドムとゴモラの町を灰にし、滅ぼし尽くして罰し、それから後の不信心な者たちへの見せしめとなさいました。しかし神は、不道徳な者たちのみだらな言動によって悩まされていた正しい人ロトを、助け出されました。なぜなら、この正しい人は、彼らの中で生活していたとき、毎日よこしまな行為を見聞きして正しい心を痛めていたからです。主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。特に、汚れた情欲の赴くままに肉に従って歩み、権威を侮る者たちを、そのように扱われるのです。

 主はアブラハムに、「十人の正しい者のためにわたしはソドムを滅ぼさない」と言われましたが、ソドムにいた正しい者はロトだけでありました。その正しさは、旅人を迎え入れたこと、娘を差し出してまでも、旅人の身の安全を守ろうとしたことに現れています。主は、ソドムを滅ぼしますけれども、正しい人ロトをその滅びから救い出されます。そのようにして、主はアブラハムの執り成しの祈りに答えてくださるのです。また、主は、イエス・キリストの執り成しの祈りによって、私たちを世の汚れからも守ってくださるのです。イエス様は、大祭司の祈りの中で、次のように祈られました。「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださいます。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です」(ヨハネ17:15~17)。あらゆる汚れた欲望から、私たちは御言葉と聖霊によって守られています。そのようにして、私たちは世にありながら、世に染まらず、真理によって生きる者たちとされているのです。

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