王たちの戦い 2012年5月13日(日曜 夕方の礼拝)
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王たちの戦い
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- 村田寿和 牧師
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創世記 14章1節~16節
聖書の言葉
14:1 シンアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティドアルが、
14:2 ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アドマの王シンアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラ、すなわちツォアルの王と戦ったとき、
14:3 これら五人の王は皆、シディムの谷、すなわち塩の海で同盟を結んだ。
14:4 彼らは十二年間ケドルラオメルに支配されていたが、十三年目に背いたのである。
14:5 十四年目に、ケドルラオメルとその味方の王たちが来て、アシュテロト・カルナイムでレファイム人を、ハムでズジム人を、シャベ・キルヤタイムでエミム人を、
14:6 セイルの山地でフリ人を撃ち、荒れ野に近いエル・パランまで進んだ。
14:7 彼らは転進して、エン・ミシュパト、すなわちカデシュに向かい、アマレク人の全領土とハツェツォン・タマルに住むアモリ人を撃った。
14:8 そこで、ソドムの王、ゴモラの王、アドマの王、ツェボイムの王、ベラすなわちツォアルの王は兵を繰り出し、シディムの谷で彼らと戦おうと陣を敷いた。
14:9 エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティドアル、シンアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨクの四人の王に対して、これら五人の王が戦いを挑んだのである。
14:10 シディムの谷には至るところに天然アスファルトの穴があった。ソドムとゴモラの王は逃げるとき、その穴に落ちた。残りの王は山へ逃れた。
14:11 ソドムとゴモラの財産や食糧はすべて奪い去られ、
14:12 ソドムに住んでいたアブラムの甥ロトも、財産もろとも連れ去られた。
14:13 逃げ延びた一人の男がヘブライ人アブラムのもとに来て、そのことを知らせた。アブラムは当時、アモリ人マムレの樫の木の傍らに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと同盟を結んでいた。
14:14 アブラムは、親族の者が捕虜になったと聞いて、彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者三百十八人を召集し、ダンまで追跡した。
14:15 夜、彼と僕たちは分かれて敵を襲い、ダマスコの北のホバまで追跡した。
14:16 アブラムはすべての財産を取り返し、親族のロトとその財産、女たちやそのほかの人々も取り戻した。創世記 14章1節~16節
メッセージ
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今夕は創世記の第14章1節から16節より御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
小見出しに「王たちの戦い」とありますように、ここには4人の王のグループと5人の王のグループとの戦いが記されています。4人の王のグループについては1節に次のように記されています。「シンアルの王アムラフェル、エルサラの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティドアル」。シンアルという地名については第10章10節に記されておりました。ここでは8節からお読みします。「クシュにはまた、ニムロドが生まれた。ニムロドは地上で最初の勇士となった。彼は、主の御前に勇敢な狩人であり、『主の御前に勇敢な狩人ニムロドのようだ』という言い方がある。彼の王国の主な町は、バベル、ウルク、アッカドであり、それらはすべてシンアルの地にあった」。また、第11章2節によれば、バベルの塔が建てられたのもシンアルの地でありました。このようにシンアルはバビロン地方、現在のイラクがある地域を指しているのです。聖書の巻末にある聖書地図で確認したいと思います。「1 聖書の古代世界」をお開きください。ペルシア湾の左上ユーフラテス川とチグリス川に挟まれて「バビロン」とゴシック体で記されています。その東側にゴシック体で「エラム」と記されていますが、4人の王の一人はエラムの王でありました。エラムはバビロンの東方、現在のイランがある地域であります。このように4人の王はバビロン地方の王たちであったのです。では、今夕の御言葉に戻ります。
5人の王のグループについては2節に次のように記されています。「ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アドマの王シンアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラ、すなわちツォアルの王」。これらの地名はカナン地方、特に塩の海の南に位置する町であります。今夕の御言葉で「王」という言葉が出てきますけれども、これは都市国家の王を意味しています。また今夕の御言葉は年代としては紀元前2000年頃の青銅器時代のお話しであります。ここでは大変古い資料が用いられているわけです。2節を見ますと、「ベラ、すなわちツォアルの王」だけ名前が記されておりません。このことはこれらの王たちの名前が創作ではなく、資料に基づくことを示しています。カナン地方の5人の王は皆、シディムの谷、すなわち塩の海で同盟を結びました。カナン地方の5人の王は同盟を結ぶことによって、エラムの王ケドルラオメルの支配に背いたのです。どのようにして背いたかは記されておりませんが、おそらく貢物を納めることを拒否したのでしょう。それで、エラムの王ケドルラオメルとその味方の王たちは懲罰遠征をするわけです。その進んだ道筋が5節から7節に次のように記されています。「十四年目に、ケドラオメルとその味方の王たちが来て、アシュテロト・カルナイムでレファイム人を、ハムでズジム人を、シャベ・キルヤタイムでエミム人を、セイルの山地でフリ人を撃ち、荒れ野に近いエル・パランまで進んだ。彼らは転進して、エン・ミシュパト、すなわちカデシュに向かい、アマレク人の全領土とハツェツォン・タマルに住むアモリ人を撃った」。ここには、私たちにはよく分からない地名がいくつも出てきますが、参考資料としてお渡しした地図を見ていただければ、どこに位置するかがお分かりいただけると思います。エラムの王ケドラオメルを中心とする王たちはそれぞれの地で、それぞれの民族を撃つわけですが、このことはケドラオメルを中心とする王たちの力が強大であることを教えております。彼らはエル・パランで転進して北上します。「アマレク人の全領土とハツェツォン・タマルに住むアモリ人を撃った」とありますように、カナン地方へ入って来たわけです。そこで、ソドムの王、ゴモラの王、アドマの王、ツェボイムの王、ベラすなわちツォアルの王は兵を繰り出し、彼らと戦おうと陣を敷いたのです。彼らはエラムの王ケドルラオメルを筆頭とする4人の王に、戦いを挑んだのです。戦いの経過については記しておりませんが、10節に「シディム谷には至るところに天然アスファルトの穴があった。ソドムとゴモラの王は逃げるとき、その穴に落ちた。残りの王は山へ逃れた」とありますから、エラムの王ケドラオメルを筆頭とする4人の王が勝利したようであります。「ソドムとゴモラの王は逃げるとき、その穴に落ちた」とありますが、このところは「穴の中に逃げた」とも解釈することができます。ソドムとゴモラの王は落とし穴に落ちるように、穴に落ちたというよりも、穴の中に身を隠したと考えられるのです(17節参照)。それで、エラムの王たちは、ソドムとゴモラの財産や食糧をすべて奪い去り、ソドムに住んでいたアブラムの甥ロトを、財産もろとも連れ去ったのです。私たちは前回、アブラムとロトが別れたお話しを学びましたけれども、第13章12節には次のように記されていました。「アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだが、ソドムまで天幕を移した」。ロトはソドムに移り住んでいたゆえに、王たちの戦いに巻き込まれることとなったのです。そして、このことを逃げ延びた一人の男がヘブライ人アブラムに告げたのです。「ヘブライ」とは第10章24節にでてくる「シェラの子であるエベル」を語源としていると考えられています。エベルは「向こう」を意味しており、アブラハムとその先祖はユーフラテスの向こう側から来たためヘブライ人と呼ばれていたと言われています。アブラムは当時、アモリ人マムレの樫の木の傍らに住んでおり、マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと同盟を結んでおりました。同盟とは「個人・団体もしくは国家が互いに共同の目的のために同一の行動をとることを約束すること」でありますから、マムレとその兄弟エシュコルとアネルは、アブラムと行動を共にするわけです。14節に、「アブラムは、親族の者が捕虜になったと聞いて、彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者三百十八人を召集し、ダンまで追跡した」と記されています。ソドムに住んでいた甥のロトが捕虜となったと聞いて、アブラムはロトを連れ戻すために、訓練を受けた奴隷を率いて、エラムの王たちをダンまで追跡するのです。ここで「彼の家で生まれた奴隷」とありますが、これは「信頼できる忠実な奴隷」を意味しています。アブラムは彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた三百十八人を召集し、ダンまで追跡するのです。エラムの王を筆頭とする四人の王の兵の数が何人であったかは記されておりませんが、おそらく何千人という数であったと思われます。そのエラムの王たちの軍隊を、アブラムはわずか318人を率いて追跡したのです。これは、いくら何でも無謀ではないでしょうか?人間的に考えるならば、これは勝ち目のない戦いであります。しかし、アブラムは甥のロトが捕虜とされたことを聞いたとき、エラムの王たちを追跡したのです。私たちはここに甥のロトに対するアブラムの並々ならぬ愛情を読み取ることができます。アブラムとロトが親類同士であることは、別れて暮らすようになっても変わらないのです。アブラムは親族のロトを助けるために、無謀とも思える決断をしたのです。そして、それは主を呼び求めるアブラムにとって、信仰の決断でもありました。アブラムは主が勝利を与えてくださり、必ずロトを取り戻させてくださることを信じて、訓練された318人の奴隷を率いて、また彼と同盟を結んでいたアネルとエシュコルとマムレたちと共に、エラムの王たちをダンまで追跡したのです。そして、アブラムは夜襲をしかけることにより、エラムの王たちの軍隊を打ち破るのです。ここに描かれているのは士師ギデオンを思い起こさせる救済者としてのアブラムの姿であります。アブラムはすべての財産を取り返し、親族のロトとその財産、女たちやその他の人々も取り戻しました。このように、主はアブラムに勝利を得させてくださったのです。
日本でキリスト者として歩む私たちにも霊的な戦いがあります。日本のキリスト者の数は日本の人口の1パーセント未満であると言われておりますが、そのような中で主イエス・キリストを礼拝し、福音を宣べ伝えている私たちは、318人を率いてエラムの王たちの軍隊に立ち向かったアブラムのようであります。日本において悪魔の力はまことに強いのです。しかし、主は悪魔にすでに勝利してくださいました。主イエス・キリストは私たちにこう言われています。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)。また、主イエス・キリストは、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」と言われました(マタイ18:20)。既に世に勝利されたイエス・キリストが私たちと共にいてくださるのです。ですから、キリスト者の数は少なくとも、私たちはキリストにあってすでに世に勝利しているのです。アブラムに勝利をお与えになった主は、私たちにも勝利を与え、かの日には栄光の冠を私たち一人一人に授けてくださるのです。