ロトとの別れ 2012年5月06日(日曜 夕方の礼拝)
問い合わせ
ロトとの別れ
- 日付
-
- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
創世記 13章1節~18節
聖書の言葉
13:1 アブラムは、妻と共に、すべての持ち物を携え、エジプトを出て再びネゲブ地方へ上った。ロトも一緒であった。
13:2 アブラムは非常に多くの家畜や金銀を持っていた。
13:3 ネゲブ地方から更に、ベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイとの間の、以前に天幕を張った所まで来た。
13:4 そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった。
13:5 アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた。
13:6 その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。
13:7 アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた。そのころ、その地方にはカナン人もペリジ人も住んでいた。
13:8 アブラムはロトに言った。「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。
13:9 あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」
13:10 ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。
13:11 ロトはヨルダン川流域の低地一帯を選んで、東へ移って行った。こうして彼らは、左右に別れた。
13:12 アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだが、彼はソドムまで天幕を移した。
13:13 ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。
13:14 主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。
13:15 見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。
13:16 あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。
13:17 さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」
13:18 アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。創世記 13章1節~18節
メッセージ
関連する説教を探す
今夕は創世記の第13章から御言葉の恵みにあずかりたいと願っています。
1節から4節までをお読みします。
アブラムは、妻と共に、すべての持ち物を携え、エジプトを出て再びネゲブ地方へ上った。ロトも一緒であった。アブラムは非常に多くの家畜や金銀を持っていた。ネゲブ地方から更に、ベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイとの間の、以前に天幕を張った所まで来た。そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった。
私たちは前回、アブラハムの「エジプト滞在」について学びましたが、ここにはアブラムが妻と共に、すべての持ち物を携えて、エジプトを出て再びネゲブ地方へ上ったことが記されています。第12章にはロトは出てきませんでしたが、ロトもアブラハムと行動を共にしておりましたから、一緒でありました。第12章16節に「アブラムも彼女のゆえに幸いを受け、羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなどを与えられた」とありましたが、アブラムは非常に多くの家畜や金銀を持ってネゲブ地方へ戻って来たわけです。アブラムはネゲブ地方から更に、ベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイとの間の、以前に天幕を張った所まできました。「そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった」とありますから、このときもアブラムは主の御名を呼んで、主を礼拝したと思われます。
5節から9節までをお読みします。
アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた。その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた。そのころ、その地方にはカナン人もペリジ人も住んでいた。
アブラムはロトに言った。「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」
2節に「アブラムは非常に多くの家畜や金銀を持っていた」とありましたが、アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っておりました。その天幕には家畜を飼う者とその家族が住んでいるわけです。アブラムも、ロトもたくさんの財産を持つ者となりました。たくさんの財産を持つことは神様の祝福でありますけれども、それによって問題が生じました。「その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった」のです。一緒に住むには彼らの財産は多くなり過ぎたのでした。そして、ついにアブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起こったのです。これはおそらく、牧草や水飲み場を求めての争いであったと思われます。しかもそのころ、その地方にはカナン人もペリジ人も住んでおりましたから、問題はより複雑でありました。人口密度が高いわけです。そこでアブラムはロトに次のような提案をするのです。「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう」。アブラムはロトにとって叔父であり、ロトはアブラムにとって甥でありました。彼らは親類どうしであったのです。そこで、アブラムは争うのはやめようと言い、離れて別々に暮らすことを提案いたします。そして、アブラムは年長者にもかかわらず選択権を甥のロトに与えるのです。ここに描かれているアブラムは平和を愛する、寛容な人物であります。そして、これは第12章に描かれていたアブラムとはだいぶ違うわけです。第12章に描かれていたアブラムは、自分の命を救うためには妻をも犠牲にする男でありました。実際、彼はサライのゆえに幸いを受けるわけです。しかし、今夕の御言葉では平和を愛する、寛容な人物となっているわけです。この代わりようはどこで起こったのか?それは主の御名を呼んだ、礼拝においてであります。アブラムは自分の行いを主の御前に悔い改めることによって、ロトに対して、このように平和に、また寛容に接することができたのです。アブラムは不利益を引き受けることによって、争いを避けようとするのです。
10節から13節までをお読みします。
ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツァアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。ロトはヨルダン川流域の低地一帯を選んで、東へ移って行った。こうして彼らは、左右に分かれた。アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだが、彼はソドムまで天幕を移した。ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。
アブラムの提案を聞いて、ロトが目を上げて眺めて見ると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主の園のように、エジプトの国のように、見渡す限りよく潤っていました。「主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので」とありますが、第19章に主が天から硫黄の火を降らせてソドムとゴモラを滅ぼされたことが記されています。ソドムとゴモラは死海の底に沈んでいると言われていますけれども、まだこの時にはソドムとゴモラは滅ぼされておらず、その地帯一帯は木々や草花が青々と茂る潤った土地であったのです。ロトはアブラムに遠慮することなく、ヨルダン川低地一帯を選んで、東へと移って行きました。こうして、アブラムとロトは左右に分かれました。アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだのです。町での生活は便利であり、家畜に食べさせる牧草を求めて移動する遊牧民にはあこがれでもありました。しかし、そこには罪への誘惑も満ちておりました。ロトはソドムまで天幕を移すのですが、ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していたのです。
14節から18節までをお読みします。
主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。
主が声を掛けられたとき、アブラムはどうやらうつむいていたようであります。アブラムにとってロトと別れることは、寂しいことでありました。また子供のいないアブラムには、ロトを自分の跡取りにしようという考えもあったかも知れません。しかし、その可能性はもはや無くなりました。なぜなら、彼らはそれぞれに多くの財産を所有する者となったからです。そのような気落ちしたアブラムを励ますように主は言われるのです。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい」。これはロトが自分の意志で、目を上げて、ヨルダン川流域の低地帯を見渡したのと対照的であります。ロトは自分で目を上げて、自分でヨルダン川流域を選びとりました。しかし、主はアブラムの目を上げさせ、「あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい」と言われるのです。そして、「見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える」と言われるのです。アブラムがロトに譲った土地を、主はアブラムとその子孫に与えると言われるのです。さらには、「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする」と言われるのであります。そして、その保証として、「この土地を縦横に歩き回るがよい」と言われるのです。これはその土地の所有権を表す象徴的な行為であります。アブラムはこの主の言葉に促されて、天幕を移し、ヘブロンいあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いたのです。土地を持たないアブラムの遊牧民として歩みは、実は見えるかぎりの土地がアブラムとその子孫に与えられることを表す行為であったのです。そして、そのアブラムの歩みは主のために祭壇を築くことと一つのことであったのです。見えるかぎりの土地が主の土地であるからこそ、主はそれをアブラムとその子孫に与えることができるからであります。
このことは私たちにも言えることであります。世界にはいたるところにイエス・キリストの教会があり、そこでは主の日ごとに礼拝がささげられております。そのことは、イエス・キリストが世界の所有者であり、主であることを表しているのです。それゆえ、私たちは来るべき日には、キリストと共に全世界を相続することになるのです。使徒パウロはローマの信徒への手紙第8章14節から17節で次のように記しています。
神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、私たちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。
全世界に教会があり、そこで主イエス・キリストへの礼拝がささげられていること、それはこの世界が主イエス・キリストのものであり、私たちが来たるべき日に、この世界を主イエス・キリストと共に相続することを表しているのです。