アブラムの召命と旅立ち 2012年4月01日(日曜 夕方の礼拝)

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アブラムの召命と旅立ち

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 12章1節~9節

聖句のアイコン聖書の言葉

12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。
12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。
12:3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
12:5 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。
12:6 アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。
12:7 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
12:8 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。
12:9 アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。創世記 12章1節~9節

原稿のアイコンメッセージ

 先程は創世記の第12章1節から9節までをお読みしましたが、今夕は1節から4節までを中心にしてお話ししたいと思います。

 1節をお読みします。

 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。

 主はアブラムに「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい」と言われました。また、4節には「アブラムは、主の言葉に従って旅立った」とあります。このことはアブラムが主を知っていたことを示しています。前回わたしは、バベルの塔の裁きによって、主は人々が話す言葉だけではなく、信仰をも混乱させられたと申しました。主はバベルの塔の裁きにより、人間が一つとなって御自分に背くことがないように、人間が神々を信じるようにされたのです。そのバベルの塔の裁きの影響を、セムの子孫であるテラも受けておりました。ヨシュア記第24章2節で「あなたたちの先祖は、アブラハムとナホルの父テラを含めて、昔ユーフラテス川の向こうに住み、他の神々を拝んでいた」と主が言われておりますように、テラは他の神々を拝む者となってしまっていたのです。しかし、それはテラが主についての知識を失ってしまったということではありません。おそらくテラは主を拝みつつ、他の神々をも拝んでいたのだと思います。第11章28節に「カルデアのウル」という地名がでてきますけれども、ウルでは月の神シンが礼拝されておりました。そして、このウルにいたときに、すでに主はアブラムに御声をかけられていたようであります。少し先の第15章7節で主はアブラムに「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である」と言われているからです。ここで主は、アブラムをカルデアのウルから導き出したと言われています。ということは、テラが、息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かったのは、アブラムに語られた主の御言葉のゆえであったのです。主はアブラムにカルデアのウルから出発して、カナン地方に行くようにと言われました。それをアブラムは父テラに告げて、父テラはアブラムたちを連れて、カナン地方へ向かったのです。しかし、テラはハランまで来るとそこにとどまってしまいました。ハランはメソポタミア北部の重要な町で、紀元前二千年期以降、通商および文化の中心でありました。また、ハランではウルと同様、月の神シンが礼拝されておりました。このようにテラは主を知りつつも、他の神々に心寄せる者であったのです。そのようなハランにおいて、主はアブラムに「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい」と言われるのです。このところを岩波書店から出ている翻訳聖書は次のように訳しています。「ヤハウェはアブラムに言った、「あなたの地、あなたの親族、あなたの父の家を出て、わたしが示す地に行きなさい」。主はアブラムに、あなたの地、あなたの親族、あなたの父の家を出て、御自分が示す地に行くように命じられたのです。当時は三世代で一つの家族をなしておりましたけれども、主はアブラムに父の家を出て、わたしの示す地に行きなさいと言われたのです。

 2節、3節をお読みします。

 「わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」 

 ここには主がアブラムを召し出される目的、さらにはアブラムへの祝福の約束が記されています。主は、アブラムを大いなる国民にし、アブラムを祝福し、アブラムの名を高めると言われます。そのようにしてアブラムを祝福の源としてくださるというのです。ここで「あなたの名を高める」とありますが、これは第11章に記されていたバベルの塔のお話と関係があると考えられます。人々は「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」と言いました。彼らは自分たちの力によって自分たちの名を高めようとしたのです。しかし、主はアブラムに祝福として「あなたの名を高める」と約束されるのです。私たちはここで第11章30節に、「サライは不妊の女で、子供ができなかった」と記されていたことを思い起こさなければなりません。主がアブラムを召し出したとき、アブラムにはまだ子供はいないのです。いないだけではなく、妻のサライは不妊の女であったのです。しかし、そのアブラムに、主は「わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように」と言われたのです。主はアブラムに、子供を授けることを約束しておられるのです。大いなる国民となるには、子孫が増えなければなりませんから、アブラムに子供が授けられることが約束されているわけです。また、「あなたを祝福し」とありますが、旧約聖書において祝福とは多産の力を意味しておりました。旧約聖書における祝福の典型は、多くの財産を持ち、多くの子供に恵まれるということです。神様はそのような祝福をもってアブラムの名を高めてくださるのです。しかし、それはアブラムだけのためではありません。主はアブラムを祝福の源とするために、彼を大いなる国民にし、祝福し、名を高めるのです。また、主は次のようにも言われます。「あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う」。この主の御言葉は、主がアブラムと一体的な関係にあることを教えています。主はアブラムの神であり、アブラムは主のものであるのです。そして、このようなアブラムによって、地上の氏族はすべて主の祝福に入るのです。使徒パウロは、ガラテヤの信徒への手紙で、アブラムの子孫として生まれたイエス・キリストにおいて、この約束が実現したということを語っております。

 ガラテヤの信徒への手紙第3章8節をお読みします。

 聖書は、神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました。

 飛んで14節をお読みします。

 それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが約束された霊を信仰によって受けるためでした。

 このように、私たちはイエス・キリストにあってアブラムに与えられた祝福にあずかっているのです。その祝福とは必ずしも多くの財産や多くの子に恵まれることではありません。しかし、私たちは約束された神の霊という祝福を信仰によって受けているのです。私たちは血縁から言えば、アブラハムの子孫ではありませんが、信仰から言えば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです(ガラテヤ3:29参照)。それゆえ、私たちはアブラムの物語を私たちの物語として学ぶことができるのです。

 今夕の御言葉に戻ります。

 4節をお読みします。

 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムはハランを出発したとき七十五歳であった。

 聖書はアブラムが主の言葉を受けて、どのように考えたかを記しておりません。ただ、アブラムが主の言葉に従って旅立った、その事実だけを記しています。聖書はそのようにしてアブラムの信仰を記すのです。信仰とは従うことであるのです。このアブラムの信仰について、ヘブライ人への手紙は第11章8節は次のように記しています。「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も分からず出発したのです」。住み慣れた地を離れ、親族から離れ、父の家から離れることは、容易なことではありません。しかし、アブラムは主の御言葉であるがゆえに、主の御言葉に従って旅立ったのです。このアブラムの信仰は賞賛に値するものでありますけれども、しかし他方で当然のこととも言えないでしょうか?主から召し出されたならば、私たちは断ることはできないのです。福音書に、主イエスが四人の漁師を弟子にするお話が記されております。主イエスから「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」とお声をかけられると、ペトロもアンデレも網を捨てて従いました。また、ヤコブとヨハネも、舟と父親とを残して主イエスに従ったのです。ここにあるのは自分の地、親族、父の家から出て、主が示される土地へ旅立つアブラムと同じ信仰であります。主の言葉が語られたとき、主の民は信仰をもってそれに従うのです。そのような私たちを通して、主は今もすべての人を御自分の祝福へと招いておられるのです。「地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る」。私たちはこの御言葉と重ねて、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、家族も救われます」というパウロの言葉を聞き取ることができるのです。家族で一人だけ主イエス・キリストを信じる者であっても、主はその一人を用いてその家族を祝福してくださるのです。

 4節の後半に「アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった」とあります。これはアブラムが父テラが生きている間に、父の家から離れたことを教えています。第11章32節に、「テラは二百五年の生涯を終えて、ハランで死んだ」とありますから、主がアブラムを召し出されたのは父のテラが死んだ後であったと思われるかも知れません。しかし、そうではないのです。第11章26節に、「テラが70歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが生まれた」とありますように、アブラムはテラが145歳の時に、主の言葉に従って父の家を離れたのです。そのようにして、アブラムは神々を信じる者からただ主のみを信じる者となったのです。そして、このことは主イエスに召し出された私たち一人一人においても言うことができるのです。

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