私たちを守り導く神 2017年1月15日(日曜 夕方の礼拝)

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私たちを守り導く神

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
出エジプト記 23章20節~33節

聖句のアイコン聖書の言葉

23:20 見よ、わたしはあなたの前に使いを遣わして、あなたを道で守らせ、わたしの備えた場所に導かせる。
23:21 あなたは彼に心を留め、その声に聞き従い、彼に逆らってはならない。彼はあなたたちの背きを赦さないであろう。彼はわたしの名を帯びているからである。
23:22 しかし、もしあなたが彼の声に聞き従い、わたしの語ることをすべて行うならば、わたしはあなたの敵に敵対し、仇に仇を報いる。
23:23 わたしの使いがあなたの前を行き、あなたをアモリ人、ヘト人、ペリジ人、カナン人、ヒビ人、エブス人のところに導くとき、わたしは彼らを絶やす。
23:24 あなたは彼らの神々にひれ伏し仕えてはならない。そのならわしを行ってはならない。あなたは彼らを滅ぼし、その石柱を打ち砕かねばならない。
23:25 あなたたちは、あなたたちの神、主に仕えねばならない。主はあなたのパンと水を祝福するであろう。わたしはあなたの中から病を取り除く。
23:26 あなたの国には流産する女も不妊の女もいなくなる。わたしはあなたの天寿を全うさせる。
23:27 わたしは、あなたの前にわたしの恐れを送り、あなたが入って行く土地の民をすべて混乱に陥れ、あなたの敵をすべて敗走させる。
23:28 わたしはまた、あなたの前に恐怖を送り、あなたの前からヒビ人、カナン人、ヘト人を追い出す。
23:29 しかし、一年間は彼らをあなたの前から追い出さない。さもないと、国土は荒れ果て、野獣の数が増し、あなたに向かって来る。
23:30 わたしは彼らをあなたの前から徐々に追い出すので、あなたは子を産み、国土を受け継ぐに至る。
23:31 わたしは葦の海からペリシテ人の海まで、また荒れ野から大河までをあなたの領地と定める。わたしはその土地の住民をあなたたちの手に渡すから、あなたは彼らを自分の前から追い出す。
23:32 あなたは彼らおよび彼らの神々と契約を結んではならない。
23:33 彼らはあなたの国に住むことはできない。彼らがあなたに、わたしに対する罪を犯させないためである。さもないと、あなたは彼らの神々を拝み、それは、あなたにとって罠となるからである。出エジプト記 23章20節~33節

原稿のアイコンメッセージ

 今年も、夕べの礼拝では、出エジプト記から御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。

 20章には、主がイスラエルの民に直接語られた十の言葉、いわゆる十戒が記されておりました。また、21章、22章、23章には、主がモーセを通してイスラエルの民に示された法、いわゆる「契約の書」が記されていました。今夕の御言葉は、契約の書の結びの言葉であります。

 20節から22節までをお読みします。

 見よ、わたしはあなたの前に使いを遣わして、あなたを道で守らせ、わたしの備えた場所に導かせる。あなたは彼に心を留め、その声に聞き従い、彼に逆らってはならない。彼はあなたたちの背きを赦さないであろう。彼はわたしの名を帯びているからである。しかし、もしあなたが彼の声に聞き従い、わたしの語ることをすべて行うならば、わたしはあなたの敵に敵対し、仇に仇を報いる。

 主はイスラエルの人々をエジプトの奴隷状態から導き出されたのですが、それは彼らの先祖たちに約束していたカナンの地を与えるためでありました。モーセを通して示された法は、イスラエルの民がカナンの地に定住することを前提として与えられた法でありました。主はイスラエルの民にカナンの地を与えられるのですが、ここには、それがどのように実現するのかが記されています。主は、イスラエルの人々の前に御使いを遣わして、イスラエルの民の道を守らせ、御自分が備えた場所に導かれるのです。全世界の所有者である主は、御自分の民イスラエルが住む土地として、乳と蜜の流れる土地カナンを備えてくださったのです。この御使いは、「彼はわたしの名を帯びているからである」とありますように、主その方であります。主が御使いの姿でイスラエルの民の道を守り、約束の地カナンへと導いてくださるのです。ある人は、この御使いは、人となられる前のキリストではないかと言っております。それはともかく、ここで求められていることは、主の御名を帯びた御使いに心を留め、その声に聞き従い、逆らってはならないということであります。「主の御名を帯びた使い」と言っても目に見えるわけではないでしょう。目には見えないけれども、主の御名を帯びた使いが自分たちの前におり、自分たちの道を守り、導いておられることを心に留めよということであります。また、「その声に聞き従い、彼に逆らってはならない」とは、すでに与えられた十戒と法に従い、逆らってはならないということを言っているのです。イスラエルの人々が主の民として、十戒と法に聞き従い、すべて行うならば、主はイスラエルの敵を御自分の敵としてくださるのです。主は御自分の言葉に聞き従い、行う御自分の民に敵対する者を敵とし、仇に仇を報いてくださるのです。

 23節から26節までをお読みします。

 わたしの使いがあなたの前に行き、あなたをアモリ人、ヘト人、ペリジ人、カナン人、ヒビ人、エブス人のところに導くとき、わたしは彼らを絶やす。あなたは彼らの神々にひれ伏し仕えてはならない。あなたは彼らを滅ぼし、その石柱を打ち砕かねばならない。あなたたちは、あなたたちの神、主に仕えねばならない。主はあなたのパンと水を祝福するであろう。わたしはあなたの中から病を取り除く。あなたの国には流産する女も不妊の女もいなくなる。わたしはあなたの天寿を全うさせる。

 ここで主は、御自身が、カナンの地に住んでいるアモリ人、ヘト人、ペリジ人、カナン人、ヒビ人、エブス人を絶やされると言われます。このことは、カナンの地における戦いが主の戦い、聖戦であることを教えております。実際は、24節に「あなたたちは彼らを滅ぼし」とありますように、イスラエルの人々が戦って滅ぼすのですが、イスラエルの人々は自分たちを通して神が戦ってくださることを信じることが求められているのです。「わたしは彼らを絶やす」とありますが、これは一度に行われるのではありません。30節を見ますと、「徐々に追い出す」と記されています。それゆえ、主はイスラエルの民に、あなたは「彼らの神々にひれ伏し仕えてはならない。そのならわしを行ってはならない」と言われるのです。さらには、「その石柱を打ち砕かねばならない」と言われるのであります。「石柱」は、カナンの地において神々が宿ると考えられ、礼拝の対象となっておりました。創世記の28章を見ますと、夢で主に出会ったヤコブがその記念として、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いだと記されています。ここでヤコブは記念碑として石を立てたわけですが、カナンの人々は石柱そのものを礼拝の対象としていたのです。そのようならわしにイスラエルの民が惑わされないように、石柱を打ち壊すようにと命じられるのです。十戒の第二戒に「わたしは熱情の神である」とありますように、主はイスラエルの民が御自分だけを神とし、仕えることを求めておられるのです。そして、主は御自分に仕えるものに、祝福を約束されるのであります。ここに記されているのは、具体的な祝福であります。カナンの人々の神々、私たちで言えば、八百万の神々ではなくて、イスラエルの神、イエス・キリストの父なる神だけが私たちを祝福してくださる御方であるのです。

 27節から33節までをお読みします。

 わたしは、あなたの前にわたしの恐れを送り、あなたが入っていく土地の民をすべて混乱に陥れ、あなたの敵をすべて敗走させる。わたしはまた、あなたの前に恐怖を送り、あなたの前からヒビ人、カナン人、ヘト人を追い出す。しかし、一年間は彼らをあなたの前から追い出さない。さもないと、国土は荒れ果て、野獣の数が増し、あなたに向かって来る。わたしは彼らをあなたの前から徐々に追い出すので、あなたは子を産み、国土を受け継ぐに至る。わたしは葦の海からペリシテ人の海まで、また荒れ野から大河までをあなたの領地と定める。わたしはその土地の住民をあなたたちの手に渡すから、あなたは彼らを自分の前から追い出す。あなたは彼らおよび彼らの神々と契約を結んではならない。彼らはあなたの国に住むことはできない。彼らがあなたに、わたしに対する罪を犯させないためである。さもないと、あなたは彼らの神々を拝み、それは、あなたにとって罠となるからである。

 主は、イスラエルの民の前に御自分の恐れを送り、土地の人々を混乱に陥れ、敵をすべて敗走させると言われます。これは古代の世界において民族と民族との戦いが、その神と神との戦いであると考えられていたことと関係があります。実際に、ヨシュア記の2章を見ますと、カナンの町の人々が恐怖に襲われていたことが記されています。ヨシュア記の2章8節から11節にこう記されています。旧約の341ページです。

 二人がまだ寝てしまわないうちに、ラハブは屋上に上って来て、言った。「主がこの土地をあなたたちに与えられたこと、またそのことで、わたしたちが恐怖に襲われ、この辺りの住民は皆、おじけづいていることを、わたしは知っています。あなたたちがエジプトを出たとき、あなたたちのために、主が葦の海の水を干上がらせたことや、あなたたちがヨルダン川の向こうのアモリ人の二人の王に対してしたこと、すなわち、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、わたしたちは聞いています。それを聞いたとき、わたしたちの心は挫け、もはやあなたたちに立ち向かおうとする者は一人もおりません。あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです。」

 このように、イスラエルがエリコを攻める前に、エリコの人々は主への恐れによって、混乱に陥っていたのです。では、今夕の御言葉に戻ります。旧約聖書の133ページです。

 23節で、主は「彼らを絶やす」と言われていましたが、28節では「追い出す」と言われています。しかも、すぐには追い出さずに、徐々に追い出されるのです。それは、国土を荒れ果てさせないため、また野獣の数が増して、イスラエルの人々に危害を加えないようにするためであります。イスラエルの民は、カナンの地で子を産み、増え広がり、遂には国土を受け継ぐ者となるのです。31節には、その領土の境界が定められております。南北は、葦の海からペリシテ人の海・地中海まで、東西は、荒れ野から大河ユーフラテスまでであります。実際に、ダビデ王とソロモン王の時代に、イスラエルの民はここに記されている範囲を自国の領土とすることができたのです。

 「わたしはその土地の住民をあなたたちの手に渡すから、あなたは彼らを自分の前から追い出す」とありますように、イスラエルの人々は、神様の御意志に従って、これからカナンの土地の住民を追い出すのです。イスラエルの民にとってカナンの土地を受け継ぐことは、まことに信仰的な行為であるのです。

 最後の所、32節で、主は「あなたは彼らおよび彼らの神々と契約を結んではならない」と再度言われます。追い出すということは大変ですし、契約を結んで一緒に暮らすということも考えられるわけですが、しかし、主は契約を結んではならないと言われます。それは当時の民族と民族との契約がその民族の神と契約を結ぶことでもあったからです。古代の世界において政治と宗教は密接に結びついていたのです。それゆえ、主は、「彼らはあなたの国に住むことはできない。彼らがあなたに、わたしに対する罪を犯させないためである。さもないと、あなたは彼らの神々を拝み、それは、あなたにとって罠となるからである」と言われるのです。そして、実際、イスラエルの民は、その罠によって破滅の道を歩むことになるのです。

 今夕の御言葉を、新約時代に生きる私たちはどのように解釈したらよいのでしょうか。おそらく、カナン人との戦いを悪魔との霊的な戦いに、カナンの地を新しい天と新しい地に、神様の祝福を義認、子とすること、聖化といった霊的な祝福に置き換えて読むのだと思います。そのようなことを踏まえまして、わたしが今夕心に留めたいことは、私たちの前に主の名を帯びておられるイエス・キリストが遣わされ、私たちの天国への道を守り、導いてくださっているということです。復活されたイエス様は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言われました(マタイ28:20)。イエス様は目には見えませんけれども、私たちと共におられ、私たちに先立って歩んでくださっているのです。そのことを私たちが信じること、そして、この方が私たちを必ず天の御国に導き入れてくださることを信じたいと願います。そのような者たちとして、私たちは偶像を避けたいと思うのです。偶像を壊して歩くまではしなくとも、日本の国のあちこちにある偶像を避けることが命じられているのです。これはヨハネの手紙一の最後で命じられていることであります。使徒ヨハネは、私たちが真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいること。この方こそ、真実の神、永遠の命であることを記した後で、次のように命じています。「子たちよ、偶像を避けなさい」(一ヨハネ5:21)。偶像を避けて、イエス・キリストの父なる神だけを神とし、歩んで行きましょう。

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