聖書の言葉 20:12 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。出エジプト記 20章12節 メッセージ 前回、私たちは、第四の言葉、「安息日を心に留め、これを聖別せよ」について学びました。今夕は、第五の言葉、「あなたの父母を敬え」についてご一緒に学びたいと思います。 12節をお読みします。 あなたの父母を敬え。そうすれば、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。 神様は十の言葉を直接イスラエルの民に語られますが、後に、神様は十の言葉を二枚の石の板に直接刻み、モーセに与えられます。32章15節に次のように記されています。「モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。その両面に、表にも裏にも文字が書かれていた。その板は神御自身が作られ、筆跡も神御自身のものであり、板に彫り刻まれていた」。神様は、十の言葉を二枚の石の板に刻んで、モーセに与えられました。そうしますと、一枚目の板には、どの掟までが記されていたのだろうか?二枚目の板は、どの掟から記されていたのだろうか?という疑問がわいてきます。聖書には記されておりませんので、はっきりしたことは分かりませんが、わたしは、第一の板には、序文から第四の言葉までが記されており、第二の板には、第五の言葉から第十の言葉までが記されていると理解しております。これはウェストミンスター信仰基準の理解でありまして、ウェストミンスター信仰告白は、イエス様が教えられた最も重要な掟、神様を全身全霊で愛することと自分のように隣人を愛することの掟に基づいて、「最初の四つの戒めは、神に対するわたしたちの義務を、他の六つの戒めは、人間に対するわたしたちの義務を含んでいる」と告白しております(ウ告白19:2)。ですから、今夕学ぶ第五の言葉、「あなたの父母を敬え」という掟は、第二の板に最初に記されている掟であり、人間に対する私たちの義務を教える最初の掟であるのです。 「あなたの父母を敬え」。私たちが用いている新共同訳聖書は、「あなたの父母を」と翻訳していますが、元の言葉では、「あなたの父とあなたの母を」と記されています。「敬え、あなたの父とあなたの母を、あなたの神である主が、あなたに与える土地で長く生きるために」と記されているのです。ここでの「あなたは」文脈で言えば、イスラエルの成人男子であります(出エジプト20:10参照)。「あなたの父と母を敬え」という掟は、高齢の親を持つ、イスラエルの成人男子に対して与えられた掟であるのです。ですから、ある人は、この掟について次のように記しています。この掟が求めていることは、「年老いた親が、暴力を振るわれ、追い出されたり、打たれたり、侮辱的な言葉を投げかけたりせず、扶養されること」である(岩波訳の脚注参照)。聖書を見ますと、父と母についての御言葉がいくつも記されています。例えば、出エジプト記の21章15節に、「自分の父あるいは母を打つ者は、必ず死刑に処せられる」と記されています。また、その17節には、「自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる」と記されています。箴言の23章22節にも、「父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはならない」と記されています。年を取れば、体の機能が衰え、できないことが増えてきます。そうすると、子供は親を軽んじ、侮るようになるわけです。しかし、神様は、「あなたの父と母を敬え」と命じられるのです。 「あなたの父と母を敬え」の「敬え」と訳されている言葉(カーボード)は、「栄光を表す」とも「重んじる」とも訳される言葉で、人だけではなく神様にも用いられる言葉であります。私たちは、自分の父と母を神様のように重んじるように命じられているのです。なぜなら、神様はあなたの父と母を用いて、あなたを造られたからです。また、神様はあなたの父と母を用いて、あなたを養い、育まれたからです。私たちの父と母は神様の代理人とも言えるのであります。それゆえ、神様は「あなたの父と母を敬え」と命じられるのです。神様を敬う民として、私たちは神様の代理人である父と母を敬うことが求められているのです。 また、神様が「あなたの父と母を敬え」と命じられるのは、神様が掟を、父と母を通して教えられるからであります。父と母は神様の代理人として、神様の掟を教えることが命じられています。例えば、申命記の6章6節、7節にはこう記されています。「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい」。神様の掟は、父と母を通して教えられました。そのような意味でも父と母は神様の代理人であるのです。 「あなたの父と母を敬え」。この掟によって神様は、私たちに自然の感情から父と母を敬うのではなくて、神様によって権威を与えられた神様の代理人として父と母を敬うことを命じておられます。まことの神様を知らない人でも、「お父さんとお母さんを大切にしよう」と言いますし、親孝行を美徳と考えます。しかし、彼らは、第五の言葉を守っているとはいえません。神様がここで命じておられることは、これまで学んで来た第一の言葉から第四の言葉を土台とするものであります。十戒は二枚の石の板に書き記され、私たちはそれを神様に対する義務と人間に対する義務と分けますけれども、それは一体的な関係にあるわけです。「あなたの父と母を敬え」という掟は、「神様の代理人として立てられているあなたの父と母を敬え」ということであるのです。神様に対する私たちの態度がどこでよく表れるのか?それは、私たちの父と母に対する態度によってであります。私たちは、父と母が尊敬に値する人物であるから重んじるのではなくて、父と母が神様の代理人であるから父と母を重んじるのです。そして、このことは、未信者の父と母についても言えることであります。ただし、未信者の父と母は、神様の掟に反することも教えますので、注意が必要です。未信者の父と母が神様の掟に反することを教えるときは、私たちは父と母を重んじてはなりません。なぜなら、神様の掟に反することを教える父と母は、神様の代理人であるとはもはや言えないからです。 「あなたの父と母を敬え」。この掟は、文脈では「イスラエルの成人男子」に与えられた掟でありますが、イスラエルの共同体を構成する女と子供にも与えられた掟であります。この掟は、イスラエルの共同体に世代を超えて与えられているのです。イスラエルの共同体の基本単位は「家」であります。それは、どの社会においても同じでありましょう。当時の家は、三代、四代から構成されていました(出エジプト20:5参照)。そうしますと、これは家の秩序を支える、さらには社会全体の秩序を支える掟となるわけです。そして、この掟こそ、神の教えを世代を超えて伝えていくための要(かなめ)となる掟であるのです。 神様は、「あなたの父と母を敬え」という言葉に続けて、「そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地で長く生きることができる」と言われました。このことは、考えてみれば当たり前のことであります。なぜなら、あなたの父と母は、あなたの神の代理人として立てられている者たちであるからです。 「あなたの父と母を敬え」。この掟を、使徒パウロは、礼拝に集う幼い子供たちに語りかけています。これはおそらく、家族の構成が変わったからだと思います。三代、四代という大家族から親と子という二世代が礼拝に出席していたのです。エフェソの信徒への手紙6章1節から4節までをお読みします。新約の359ページです。 子供たち、主に結ばれている者として、両親に従いなさい。それは正しいことです。「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。 このパウロの言葉は、父と母が神様の代理人として立てられていることを知るとき、よく理解することができます。主に結ばれている者として、幼い子供は主の代理人である父と母に従うことが命じられています。そして、父と母は、神様の代理人として、主がしつけ諭されるように育てることが命じられているのです。そして、それは親と子が、天の父なる神の御国で、いつまでも生きるためであるのです。 関連する説教を探す 2016年の日曜 夕方の礼拝 『出エジプト記』
前回、私たちは、第四の言葉、「安息日を心に留め、これを聖別せよ」について学びました。今夕は、第五の言葉、「あなたの父母を敬え」についてご一緒に学びたいと思います。
12節をお読みします。
あなたの父母を敬え。そうすれば、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
神様は十の言葉を直接イスラエルの民に語られますが、後に、神様は十の言葉を二枚の石の板に直接刻み、モーセに与えられます。32章15節に次のように記されています。「モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。その両面に、表にも裏にも文字が書かれていた。その板は神御自身が作られ、筆跡も神御自身のものであり、板に彫り刻まれていた」。神様は、十の言葉を二枚の石の板に刻んで、モーセに与えられました。そうしますと、一枚目の板には、どの掟までが記されていたのだろうか?二枚目の板は、どの掟から記されていたのだろうか?という疑問がわいてきます。聖書には記されておりませんので、はっきりしたことは分かりませんが、わたしは、第一の板には、序文から第四の言葉までが記されており、第二の板には、第五の言葉から第十の言葉までが記されていると理解しております。これはウェストミンスター信仰基準の理解でありまして、ウェストミンスター信仰告白は、イエス様が教えられた最も重要な掟、神様を全身全霊で愛することと自分のように隣人を愛することの掟に基づいて、「最初の四つの戒めは、神に対するわたしたちの義務を、他の六つの戒めは、人間に対するわたしたちの義務を含んでいる」と告白しております(ウ告白19:2)。ですから、今夕学ぶ第五の言葉、「あなたの父母を敬え」という掟は、第二の板に最初に記されている掟であり、人間に対する私たちの義務を教える最初の掟であるのです。
「あなたの父母を敬え」。私たちが用いている新共同訳聖書は、「あなたの父母を」と翻訳していますが、元の言葉では、「あなたの父とあなたの母を」と記されています。「敬え、あなたの父とあなたの母を、あなたの神である主が、あなたに与える土地で長く生きるために」と記されているのです。ここでの「あなたは」文脈で言えば、イスラエルの成人男子であります(出エジプト20:10参照)。「あなたの父と母を敬え」という掟は、高齢の親を持つ、イスラエルの成人男子に対して与えられた掟であるのです。ですから、ある人は、この掟について次のように記しています。この掟が求めていることは、「年老いた親が、暴力を振るわれ、追い出されたり、打たれたり、侮辱的な言葉を投げかけたりせず、扶養されること」である(岩波訳の脚注参照)。聖書を見ますと、父と母についての御言葉がいくつも記されています。例えば、出エジプト記の21章15節に、「自分の父あるいは母を打つ者は、必ず死刑に処せられる」と記されています。また、その17節には、「自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる」と記されています。箴言の23章22節にも、「父に聞き従え、生みの親である父に。母が年老いても侮ってはならない」と記されています。年を取れば、体の機能が衰え、できないことが増えてきます。そうすると、子供は親を軽んじ、侮るようになるわけです。しかし、神様は、「あなたの父と母を敬え」と命じられるのです。
「あなたの父と母を敬え」の「敬え」と訳されている言葉(カーボード)は、「栄光を表す」とも「重んじる」とも訳される言葉で、人だけではなく神様にも用いられる言葉であります。私たちは、自分の父と母を神様のように重んじるように命じられているのです。なぜなら、神様はあなたの父と母を用いて、あなたを造られたからです。また、神様はあなたの父と母を用いて、あなたを養い、育まれたからです。私たちの父と母は神様の代理人とも言えるのであります。それゆえ、神様は「あなたの父と母を敬え」と命じられるのです。神様を敬う民として、私たちは神様の代理人である父と母を敬うことが求められているのです。
また、神様が「あなたの父と母を敬え」と命じられるのは、神様が掟を、父と母を通して教えられるからであります。父と母は神様の代理人として、神様の掟を教えることが命じられています。例えば、申命記の6章6節、7節にはこう記されています。「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい」。神様の掟は、父と母を通して教えられました。そのような意味でも父と母は神様の代理人であるのです。
「あなたの父と母を敬え」。この掟によって神様は、私たちに自然の感情から父と母を敬うのではなくて、神様によって権威を与えられた神様の代理人として父と母を敬うことを命じておられます。まことの神様を知らない人でも、「お父さんとお母さんを大切にしよう」と言いますし、親孝行を美徳と考えます。しかし、彼らは、第五の言葉を守っているとはいえません。神様がここで命じておられることは、これまで学んで来た第一の言葉から第四の言葉を土台とするものであります。十戒は二枚の石の板に書き記され、私たちはそれを神様に対する義務と人間に対する義務と分けますけれども、それは一体的な関係にあるわけです。「あなたの父と母を敬え」という掟は、「神様の代理人として立てられているあなたの父と母を敬え」ということであるのです。神様に対する私たちの態度がどこでよく表れるのか?それは、私たちの父と母に対する態度によってであります。私たちは、父と母が尊敬に値する人物であるから重んじるのではなくて、父と母が神様の代理人であるから父と母を重んじるのです。そして、このことは、未信者の父と母についても言えることであります。ただし、未信者の父と母は、神様の掟に反することも教えますので、注意が必要です。未信者の父と母が神様の掟に反することを教えるときは、私たちは父と母を重んじてはなりません。なぜなら、神様の掟に反することを教える父と母は、神様の代理人であるとはもはや言えないからです。
「あなたの父と母を敬え」。この掟は、文脈では「イスラエルの成人男子」に与えられた掟でありますが、イスラエルの共同体を構成する女と子供にも与えられた掟であります。この掟は、イスラエルの共同体に世代を超えて与えられているのです。イスラエルの共同体の基本単位は「家」であります。それは、どの社会においても同じでありましょう。当時の家は、三代、四代から構成されていました(出エジプト20:5参照)。そうしますと、これは家の秩序を支える、さらには社会全体の秩序を支える掟となるわけです。そして、この掟こそ、神の教えを世代を超えて伝えていくための要(かなめ)となる掟であるのです。
神様は、「あなたの父と母を敬え」という言葉に続けて、「そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地で長く生きることができる」と言われました。このことは、考えてみれば当たり前のことであります。なぜなら、あなたの父と母は、あなたの神の代理人として立てられている者たちであるからです。
「あなたの父と母を敬え」。この掟を、使徒パウロは、礼拝に集う幼い子供たちに語りかけています。これはおそらく、家族の構成が変わったからだと思います。三代、四代という大家族から親と子という二世代が礼拝に出席していたのです。エフェソの信徒への手紙6章1節から4節までをお読みします。新約の359ページです。
子供たち、主に結ばれている者として、両親に従いなさい。それは正しいことです。「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。
このパウロの言葉は、父と母が神様の代理人として立てられていることを知るとき、よく理解することができます。主に結ばれている者として、幼い子供は主の代理人である父と母に従うことが命じられています。そして、父と母は、神様の代理人として、主がしつけ諭されるように育てることが命じられているのです。そして、それは親と子が、天の父なる神の御国で、いつまでも生きるためであるのです。