王を求める民 2021年1月06日(水曜 聖書と祈りの会)
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王を求める民
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- 村田寿和 牧師
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サムエル記上 8章1節~21節
聖書の言葉
8:1 サムエルは年老い、イスラエルのために裁きを行う者として息子たちを任命した。
8:2 長男の名はヨエル、次男の名はアビヤといい、この二人はベエル・シェバで裁きを行った。
8:3 しかし、この息子たちは父の道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げた。
8:4 イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエルのもとに来て、
8:5 彼に申し入れた。「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください。」
8:6 裁きを行う王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った。そこでサムエルは主に祈った。
8:7 主はサムエルに言われた。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。
8:8 彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。
8:9 今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい。」
8:10 サムエルは王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えた。
8:11 彼はこう告げた。「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、
8:12 千人隊の長、五十人隊の長として任命し、王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。
8:13 また、あなたたちの娘を徴用し、香料作り、料理女、パン焼き女にする。
8:14 また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。
8:15 また、あなたたちの穀物とぶどうの十分の一を徴収し、重臣や家臣に分け与える。
8:16 あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。
8:17 また、あなたたちの羊の十分の一を徴収する。こうして、あなたたちは王の奴隷となる。
8:18 その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない。」
8:19 民はサムエルの声に聞き従おうとせず、言い張った。「いいえ。我々にはどうしても王が必要なのです。
8:20 我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです。」
8:21 サムエルは民の言葉をことごとく聞き、主の耳に入れた。サムエル記上 8章1節~21節
メッセージ
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今朝は、『サムエル記上』の第8章1節から21節より、「王を求める民」という題でお話しします。
サムエルは年老い、イスラエルのために裁きを行う者として息子たちを任命しました。第7章15節に、「サムエルは生涯、イスラエルのために裁きを行った」とありました。サムエルは自分の後継者として、息子たちを任命したのです。長男の名はヨエル(「ヤハウェは神」の意)、次男の名はアビヤ(「わが父はヤハウェ」の意)といい、この二人はベエル・シェバ(「七つの井戸」または「誓いの井戸」の意)で裁きを行いました。サムエルが、ベテル、ギルガル、ミツパ(ベニヤミンの土地)を巡り歩いて裁きを行ったのに対して、息子たちは南のベエル・シェバ(ユダの土地)で裁きを行ったのです。しかし、この息子たちは、父の道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げておりました。祭司エリの二人の息子が、主への献げ物から最上のものを取って私腹を肥やしていたように、サムエルの息子たちも裁きを曲げることによって、賄賂を受け取っていたのです。そのように、サムエルの息子たちは、主の御前に罪を犯していたのです(申命16:19「裁きを曲げず、偏り見ず、賄賂を受け取ってはならない」参照)。
イスラエルの長老は全員集まり、ラマのサムエルのもとに来て、こう言いました。「あなたは既に年を取られ、息子たちはあなたの道を歩んでいません。今こそ、ほかのすべての国々のように、我々のために裁きを行う王を立ててください」。イスラエルの長老たちは、サムエルが年を取り、息子たちも正しく歩んでいないことを理由に、ほかのすべての国々のように、自分たちのために裁きを行う王を立てるようにと願います。「ほかのすべての国々のように」とは、「まことの神を知らない国々のように」ということであります。イスラエルの長老たちは、まことの神さまを知らない国々をモデルにして、「王を立てよ」と要求したのです。彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映りました。そこでサムエルは主に祈りました。主はサムエルにこう言われました。「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ」。主は、民(長老たち)の声に従うようにと言われます。しかし、それは賛成というよりも承認であります。なぜなら、民は王を求めることによって、主が王として君臨することを退けているからです。イスラエルの王は、イスラエルを、エジプトの奴隷状態から解放し、シナイ山で契約を結ばれた主であります。主は、イスラエルに、「あなたたちは、わたしにとって、祭司の王国、聖なる国民となる」と言われたのです(出エジプト19:6)。かつて、イスラエルの人々は、自分たちをミディアン人から救った士師ギデオンに、王になって欲しいと願ったことがありました。その時、ギデオンは彼らに、こう答えました。「わたしはあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる」(士師8:23)。「イスラエルを治める王は、主である」と、そのように昔から考えられて来たのです。しかし、民の長老たちは、サムエルが年老い、息子たちも頼りにならない現状を憂いて、ほかの国々のように、人間を王として立てて欲しいと願うのです。なぜ、長老たちは、そのように願ったのでしょうか。その背後には、諸外国に対する恐れがあったようです(12:12「ところが、アンモン人の王ナハシュが攻めて来たのを見ると、あなたたちの神、主があなたたちの王であるにもかかわらず、『いや、王が我々の上に君臨すべきだ』とわたしに要求した」参照)。イスラエルはゆるやなか部族連合であり、主によって立てられた士師(裁き師)によって治められていました。しかし、そのような状態では、諸外国と渡り合って行くことはできない。王を立てて、中央集権国家としての制度を整えて、常備軍を持たなければならない。そのように、民の長老たちは考えたのです。長老たちは、王を立てることを、政治の問題として考えたわけです。しかし、主はそれを神学的な問題として、王である御自分を退ける不信仰として捉えられるのです。主は、王を立てることを、御自分を捨てて他の神々に仕えることと言われます。その場合の、「他の神々」とは何でしょうか。それは王に象徴される国家ですね。今や、王に象徴される国家が新しい偶像として加わったのです。国に依り頼み、国のために生きるならば、それは国を神とする偶像崇拝であるのです。
主は続けてこう言われます。9節。「今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい」。主は再び、サムエルに、民の声に従うようにと命じます。そして、王の権能を教えることによって、民にはっきりと警告するように命じるのです。
サムエルは王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えました。その主の言葉の中には、王を立てることが、主が王として君臨することを妨げる不信仰であることも含まれていたと思います。そのようなイスラエルの民の不信仰にもかかわらず、主は民の求めに応じて、王を立てることを承認されたと伝えたのです。そして、サムエルは、民に警告の言葉を告げるのです。「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、千人隊の長、五十人隊の長として任命し、王のために耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。また、あなたたちの娘を徴用し、香料作り、料理女、パン焼き女にする。また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。また、あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。また、あなたたちの羊の十分の一を徴収する。こうして、あなたたちは王の奴隷となる。その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない」。
新共同訳聖書は、「徴用する」「没収する」「徴収する」と訳し分けていますが、元の言葉は、「取る」(ラーカフ)という言葉です。王は、息子や娘、土地、財産を取る権能が与えられているのです。王を立てるということは、イスラエルの社会のあり方を変えてしまうほどの大きな変化であるのです。その大きな変化を、サムエルは、「こうして、あなたたちは王の奴隷となる」と言い表します。イスラエルの人々は、エジプトの王ファラオの支配から解放されて、主の支配に生きる者となりました。そのようにして、彼らは自由な者となったのです。しかし、イスラエルの人々は、王を立てることによって、自らを再び奴隷とするのです。「その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてくださらない」。これは、預言とも言える言葉ですね。イスラエルの人々が不信仰な王によってどれほど苦しむことになるか、そして、最後には、アッシリアやバビロンという帝国によって滅ぼされることになるわけです。
民はサムエルの声に聞き従おうとせず、こう言い張ります。「いいえ。我々にはどうしても王が必要なのです。我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです」。イスラエルの民は、他のすべての国民と同じように王を立てることによって、祭司の王国としての特権を捨ててしまいます。それほどまでに、軍事的な必要に迫られていたのです。彼らには、陣頭に立って進み、自分たちの戦いをたたかう王が必要であったのです。
サムエルは民の言葉をことごとく聞き、主の耳に入れました。主はサムエルにこう言われました。「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい」。主は、イスラエルの願いを退けませんでした。警告を聞いたうえで、なお、王を求める彼らの願いを受け入れてくださったのです。そのようにして、王の奴隷となることがどれほどの苦しみをもたらすことになるかを、彼らに体験として教えられるのです。
この後、主は、サムエルによって、サウルを王とし、ダビデを王とされます。そして、ダビデに、彼の子孫の王座をとこしえに堅く据えると約束されました(サムエル下7章参照)。そのダビデの約束の実現として、神の御子がダビデの子孫としてお生まれになるのです(ローマ1:3、4参照)。そして、ここに、主が民の不信仰を嘆きながらも、その求めを受け入れてくださった理由があるのです。主は、「王を立てよ」との民の不信仰を用いて、イエス・キリストという王を立ててくださるのです。