いなごの災い 2015年3月22日(日曜 夕方の礼拝)

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いなごの災い

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
出エジプト記 10章1節~20節

聖句のアイコン聖書の言葉

10:1 主はモーセに言われた。「ファラオのもとに行きなさい。彼とその家臣の心を頑迷にしたのは、わたし自身である。それは、彼らのただ中でわたしがこれらのしるしを行うためであり、
10:2 わたしがエジプト人をどのようにあしらったか、どのようなしるしを行ったかをあなたが子孫に語り伝え、わたしが主であることをあなたたちが知るためである。」
10:3 モーセとアロンはファラオのところに行き、彼に言った。「ヘブライ人の神、主はこう言われた。『いつまで、あなたはわたしの前に身を低くするのを拒むのか。わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせなさい。
10:4 もし、あなたがわたしの民を去らせることを拒み続けるならば、明日、わたしはあなたの領土にいなごを送り込む。
10:5 いなごは地表を覆い尽くし、地面を見ることもできなくなる。そして、雹の害を免れた残りのものを食い荒らし、野に生えているすべての木を食い尽くす。
10:6 また、あなたの王宮、家臣のすべての家、エジプト中の家にいなごが満ちる。それは、あなたの先祖も、先祖の先祖も、この土地に住み着いたときから今日まで見たことがないものである』と。」彼が身を翻してファラオのもとから退出すると、
10:7 ファラオの家臣が王に進言した。「いつまで、この男はわたしたちを陥れる罠となるのでしょうか。即刻あの者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてはいかがでしょう。エジプトが滅びかかっているのが、まだお分かりになりませんか。」
10:8 モーセとアロンがファラオのもとに呼び戻されると、ファラオは二人に言った。「行って、あなたたちの神、主に仕えるがよい。誰と誰が行くのか。」
10:9 「若い者も年寄りも一緒に参ります。息子も娘も羊も牛も参ります。主の祭りは我々全員のものです」とモーセが答えると、
10:10 ファラオは二人に言った。「よろしい。わたしがお前たちを家族ともども去らせるときは、主がお前たちと共におられるように。お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい。
10:11 いや、行くならば、男たちだけで行って、主に仕えるがよい。それがお前たちの求めていたことだ。」ファラオは自分の前から彼らを追い出した。
10:12 主はモーセに言われた。「手をエジプトの地に差し伸べ、いなごを呼び寄せなさい。いなごはエジプトの国を襲い、地のあらゆる草、雹の害を免れたすべてのものを食い尽くすであろう。」
10:13 モーセがエジプトの地に杖を差し伸べると、主はまる一昼夜、東風を吹かせられた。朝になると、東風がいなごの大群を運んで来た。
10:14 いなごは、エジプト全土を襲い、エジプトの領土全体にとどまった。このようにおびただしいいなごの大群は前にも後にもなかった。
10:15 いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった。いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった。
10:16 ファラオは急いでモーセとアロンを呼んで頼んだ。「あなたたちの神、主に対し、またあなたたちに対しても、わたしは過ちを犯した。
10:17 どうか、もう一度だけ過ちを赦して、あなたたちの神、主に祈願してもらいたい。こんな死に方だけはしないで済むように。」
10:18 モーセがファラオのもとを退出して、主に祈願すると、
10:19 主は風向きを変え、甚だ強い西風とし、いなごを吹き飛ばして、葦の海に追いやられたので、エジプトの領土全体にいなごは一匹も残らなかった。
10:20 しかし、主がファラオの心をかたくなにされたので、ファラオはイスラエルの人々を去らせなかった。出エジプト記 10章1節~20節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は、第八の災いである「いなごの災い」についてご一緒に学びたいと願います。

 主はモーセにこう言われました。「ファラオのもとに行きなさい。彼とその家臣の心を頑迷にしたのは、わたし自身である。それは、彼らのただ中でわたしがこれらのしるしを行うためであり、わたしがエジプト人をどのようにあしらったか、どのようなしるしを行ったかをあなたが子孫に語り伝え、わたしが主であることをあなたたちが知るためである」。主は、モーセをファラオのもとに遣わすに当たって、ファラオとその家臣の心を頑なにしたのは、自分自身であると言われます。そして、それは主がエジプトのただ中でしるしを行うためであるのです。ファラオとその家臣が心を頑なにして主の言葉を聞き入れないことは、主がエジプトでこれらのしるしを行う機会となるのです。そして、これによって、イスラエルの人々の子孫は、主がエジプトでどのようなしるしをなされたかを伝え聞き、イスラエルの神がヤハウェ、生きて働く共におられる神であることを知るようになるのです。ファラオの頑なな心によって繰り返されるこれらのしるしは、エジプトにとっては罪の大きさを示すしるしでありますが、イスラエルにとっては、自分たちの神が生きて働く共におられる神であることを示すしるしであるのです。

 モーセとアロンは、ファラオのところに行き、彼にこう言いました。「ヘブライ人の神、主はこう言われた。『いつまで、あなたはわたしの前に身を低くすることを拒むのか。わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせなさい。もし、あなたがわたしの民を去らせることを拒み続けるならば、明日、わたしはあなたの領土にいなごを送り込む。いなごは地表を覆い尽くし、地面を見ることもできなくなる。そして、雹の害を免れた残りのものを食い荒らし、野に生えているすべての木を食い尽くす。また、あなたの王宮、家臣のすべての家、エジプト中の家にいなごが満ちる。それは、あなたの先祖も、先祖の先祖も、この土地に住み着いた時から今日まで見たことがないものである』と」。主は、心を頑なにするファラオに対して、「いつまで、あなたはわたしの前に身を低くすることを拒むのか。わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせなさい」と言われます。ファラオはエジプトの王でありますが、神様の御前には塵に等しい一被造物に過ぎません。ですから、ファラオは、神様の御前に身を低くして、その御言葉に従い、神の民であるイスラエルを去らせ、神様に仕えさせるべきであるのです。神様の御前に自分を高くして、神様の御言葉に従わないことは罪であります。それゆえ、主は、「もしあなたがわたしの民を去らせることを拒み続けるならば、明日、わたしはあなたの領土にいなごを送り込む」と言われるのです。このように神様は前もって警告されることによって、この災いの責任をファラオに負わせられるのです。

 モーセが身を翻してファラオのもとから退出すると、ファラオの家臣が王にこう進言しました。「いつまで、この男はわたしたちを陥れる罠となるのでしょうか。即刻あの者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてはいかがでしょう。エジプトが滅びかかっているのが、まだお分かりになりませんか」。ここでファラオの家臣たちは、モーセやイスラエルの人々を悪く言うことによって、ファラオを諭しております。家臣たちは、モーセとイスラエルの民こそ、エジプトを滅ぼしかねない元凶のように語ります。しかし、本当にそうでしょうか?むしろ、エジプトに滅ぼしかねない災いを招いた元凶は、主なる神の言葉に聞き従おうとしてないファラオの罪にあるのです。しかし、家臣たちはエジプトが滅びかかっていると認識した点については、正しかったと言えます。地表を覆い尽くし、地面を見ることもできないいなごによって、雹の害を免れた残りのものを食い荒らされてしまえば、エジプトは飢饉に陥ってしまうからです。この家臣たちの進言を受けて、ファラオはモーセとアロンを呼び戻して、こう言いました。「行って、あなたたちの神、主に仕えるがよい。誰と誰が行くのか」。ここでファラオは、「わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせなさい」という主の御言葉を受け入れております。ただ問題は、「誰と誰が行くのか」ということであったのです。「若い者も年寄りも一緒に参ります。息子も娘も羊も牛も参ります。主の祭りは我々全員のものです」とモーセが答えると、ファラオは二人にこう言いました。「よろしい。わたしがお前たちを家族ともども去らせるときは、主がお前たちと共におられるように。お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい。いや、行くならば、男たちだけで行って、主に仕えるがよい。それがお前たちの求めていたことだ」。ファラオは、主に犠牲をささげにいくのは、壮年男子だけであると考えていたようです。しかし、モーセは老若男女すべてのイスラエルの民が、主の祭りに行くと言うのであります。それも「羊も牛も連れて」、いわば全財産を携えて行くと言うのです。それに対してファラオは、「よろしい。わたしがお前たちを家族ともども去らせるときは、主がお前たちと共におられるように」と言いました。これは本来は祝福の言葉でありますが、ここでファラオは皮肉の言葉として語っています。それゆえ、ファラオは続けて、「お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい」と言うのです。この所を新改訳聖書は、次のように翻訳しています。「わたしがおまえたちとおまえたちの幼子たちを行かせるくらいなら、主がおまえたちとともにあるように、とでも言おう。見ろ。悪意はお前たちの顔に表れている」。新共同訳聖書が、「お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい」と翻訳している言葉を、新改訳聖書は、「悪意はお前たちの顔に表れている」と翻訳しました。ファラオにとって、主に仕えるという名目で、民族ごとエジプトから逃亡することは、悪意に他ならないのです。それゆえ、ファラオは、「行くならば、男たちだけで言って、主に仕えるがよい。それがお前たちの求めていたことだ」と言うのです。ファラオは、妻や子供を人質としてエジプトに残し、男たちが再びエジプトに戻ってくるように仕向けるのです。ここでファラオをは、「それがお前たちの求めていたことだ」と言っていますが、果たしてそうでしょうか?主がモーセを通して何度も言われたことは、「わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ」でありまして、わたしの民には、男だけではなく、女も子供もすべての人が含まれているのです。ファラオは、「男たちだけが行って仕えることが、モーセとアロンの求めていたこと」と言っておりますが、そうではなかったわけです。ファラオは、イスラエルの民をエジプトから去らせたくない一心で、このように言い、モーセとアロンを自分の前から追い出したのです。

 主はモーセにこう言われました。「手をエジプトの地に差し伸べ、いなごを呼び寄せなさい。いなごはエジプトの国を襲い、地のあらゆる草、雹の害を免れたすべてのものを食い尽くすであろう」。モーセがエジプトの地に杖を差し伸べると、主はまる一昼夜、東風を吹かせられました。そして、朝になると、東風がいなごの大群を運んできたのです。そして、いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかったのです。このような光景を目の当たりにして、ファラオは急いで、モーセとアロンを呼んでこう言いました。「あなたたちの神、主に対し、またあなたたちに対しても、わたしは過ちを犯した。どうか、もう一度だけ過ちを赦して、あなたたちの神、主に祈願してもらいたい。こんな死に方だけはしないで済むように」。ここでファラオは、主に対してばかりでなく、モーセたちに対しても罪を犯したと告白しております。そして、もう一度だけ罪を赦して、あなたたちの神、主に祈願してもらいたいと、執り成しの祈りを頼むのです。こんな死に方だけはしないで済むようにと、いなごを取り除くよう、モーセを通して願い出るのです。モーセがファラオのもとを退出して、主に祈願すると、主は風向きを変え、甚だ強い西風とし、いなごを吹き飛ばして、葦の海に追いやられたので、エジプトの領土全体にいなごは一匹も残りませんでした。このようにして、主はモーセを通して、ファラオから死を取り除かれたのです。しかし、ファラオはイスラエルの人々を去らせませんでした。それは、主がファラオの心を頑なにされたからであります。そのようにして、主は、さらなるしるしをエジプトの中で行われるのです。

 今夕の御言葉で、ファラオは、モーセの執り成しによって、死を除かれ生き延びることができました。ファラオは、モーセこそ、主なる神と自分との間を仲介する者であることを知っていたのです。新約時代に生きる私たちには、モーセにまさる仲介者が与えられております。それはまことの神であり、まことの人であるイエス・キリストであります。イエス・キリストこそ、神と人との唯一の仲介者、いや仲保者であられるのです。イエス・キリストは、私たちのすべての罪を担って十字架につき、私たちに代わって呪いの死を死んでくださいました。私たちが、そのような死に方をしなくて済むように、私たちに代わって呪いの死を死んでくださったのです。ですから、イエス・キリストが十字架の死から復活されたことを信じる者は、もはや死ぬことはありません。死んでも生きる、永遠の命に生かされているのです。そして、それは私たちの頑なな心を柔らかな心へと変えてくださる神様の御業によることであるのです。神様が私たちの心を柔らかな心としてくださり、イエス・キリストを信じる者としてくださったのは、私たちが神の民として神様に仕え、すべての人に、神の偉大な御業を宣べ伝えるためであるのです。

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