ぶよの災い 2015年1月18日(日曜 夕方の礼拝)
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ぶよの災い
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- 村田寿和 牧師
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出エジプト記 8章12節~15節
聖書の言葉
8:12 主はモーセに言われた。「アロンに言いなさい。『杖を差し伸べて土の塵を打ち、ぶよにさせてエジプト全土に及ぼせ』と。」
8:13 彼らは言われたとおりにし、アロンが杖を持った手を差し伸べ土の塵を打つと、土の塵はすべてぶよとなり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲った。
8:14 魔術師も秘術を用いて同じようにぶよを出そうとしたが、できなかった。ぶよが人と家畜を襲ったので、
8:15 魔術師はファラオに、「これは神の指の働きでございます」と言ったが、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである。出エジプト記 8章12節~15節
メッセージ
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今夕は、出エジプト記の8章12節から15節より御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。
12節をお読みします。
主はモーセに言われた。「アロンに言いなさい。『杖を差し伸べて土の塵を打ち、ぶよにさせてエジプト全土に及ぼせ』と。」
ここで主は、ファラオに警告することなしに、ぶよの災いを及ぼすよう言われています。今夕のぶよの災いは、三番目災いでありますが、一番目の災いである血の災いのときも、二番目の災いである蛙の災いのときも、ファラオへの要求の言葉が語られ、聞き入れない場合は災いが起こるとの警告が記されていました。しかし、第三の災いであるぶよの災いでは、警告の言葉なしに、災いが及ぼされるのです。このことは、ファラオが約束を守らなかったことと関係しています。8章4節にありますように、ファラオはモーセとアロンに、「主に祈願して、蛙がわたしとわたしの民のもとから退くようにしてもらいたい。そうすれば、民を去らせ、主に犠牲をささげさせよう」と言いました。しかし、ファラオは蛙が家からも庭からも畑からも死に絶え、一息つく暇ができると、心を頑迷にして、また二人の言うことを聞き入れなくなったのでした。そのような不誠実なファラオに対して、主はぶよの災いを及ぼされるのです。
13節をお読みします。
彼らは言われたとおりにし、アロンが杖を持った手を差し伸べ土の塵を打つと、土の塵はすべてぶよとなり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲った。
モーセは主の言葉をアロンに伝え、アロンは言われたとおり、杖を持った手を差し伸べ土の塵を打ちました。すると、主の言われたとおり、土の塵がぶよになり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲ったのでありました。私たちが用いている新共同訳聖書は、「ぶよ」と訳していますが、もとのヘブライ語はもう少し広い意味を持っています。「ハエ類」というほどの意味です。今回のお話をするにあたって、ぶよについて調べて見たのですが、ぶよは、「ヒトなどの哺乳類から吸血する衛生害虫」であると記されていました。また、ぶよの害については次のように記されておりました。「カやアブと同じくメスだけが吸血するが、それらと違い吸血の際は皮膚を噛み切り吸血するので、多少の痛みを伴い、中心に赤い出血点や流血、水ぶくれが現れる。その際に唾液腺から毒素を注入するため、吸血直後はそれ程かゆみは感じなくても、翌日以降に患部が通常の2~3倍ほどに赤く腫れ上がり激しいかゆみや疼痛(とうつう)、発熱の症状が1~2週間ほど現れる」(『ウィキペディア』ブユ参照)。わたしはぶよに刺されたことがないので、実際には分かりませんが、これほどの害をもたらすぶよがエジプト全土に広がって人と家畜を襲ったとは、ちょっと考えられないのですね。といいますのも、このぶよの災いに対して、ファラオは何も手を打っていないからです。もし、エジプト全土に大きな害をもたらすぶよが広がり、人と家畜を襲ったならば、ファラオはこれに対して、何らかの対処をしたはずであります。しかし、ファラオは、ここで何の対処もしていないのです。ですから、わたしは、「ぶよ」と限定しないで、「はえ類」ほどの理解でよいのではないかと思います。ちなみに、新共同訳聖書は「襲った」と翻訳していますが、口語訳聖書、新改訳聖書は「ついた」と翻訳しています。元の言葉を直訳すると「うえにあった」です。大量発生したはえ類の小さな昆虫が、人のうえにも、家畜のうえにもあった。すなわち、ついたのです。この小さな昆虫が血を吸うぶよではなかったとしても、これは煩わしいことであります。それなのに、エジプトの魔術師たちはさらにはえ類の昆虫を出そうとするのです。
14節、15節をお読みします。
魔術師も秘術を用いて同じようにぶよを出そうとしたが、できなかった。ぶよが人と家畜を襲ったので、魔術師はファラオに、「これは神の指の働きでございます」と言ったが、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである。
これまでエジプトの魔術師たちも、モーセとアロンに対抗して、秘術を用いて同じことをしてきました。これまで魔術師たちも、モーセとアロンがしたように、ナイル川の水を血に変え、蛙をエジプトの国に這い上がらせたのです。そのことによって、エジプトにもたらされた災いはますますひどくなのですが、魔術師たちが、モーセとアロンと同じ業をしたのは、ヘブライ人の神がすることぐらい、エジプトの神々にもできるという宗教的な対抗意識からであったのです。しかし、このときは、魔術師たちも、モーセとアロンと同じようにはできませんでした。これまで魔術師たちは、秘術を用いてモーセとアロンと同じことをしてきたのですが、今回はできなかったのであります。なぜでしょうか?それは、土の塵からはえ類の昆虫を生じさせるということが、神様の創造の御業に準ずるものであるからです。創世記の1章24節にこう記されておりました。「神は言われた。『地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。』そのようになった」。このように神様は、地から、それぞれの生き物をお造りになられたのです。そして、地の塵からはえ類の昆虫を生じさせるという災いは、この神様の創造の御業に準ずるものなのであります。地の塵から命を造り出すこと、それは神様だけができることであるのです。それゆえ、魔術師たちはファラオにこう言うのです。「これは神の指の働きでございます」。魔術師たちは、モーセとアロンの背後に神様の力が働いていることを認めたのでありました。しかし、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞きませんでした。ファラオはエジプトの賢者である彼らの言葉をも聞かなかったのです(出エジプト7:11、創世記41:8参照)。そして、それは主が仰せになったとおりであったのです。
「これは神の指の働きでございます」。この魔術師の言葉を聞いて、おそらく、多くの方が、ルカ福音書11章20節のイエス様の御言葉を思い起こされたのではないかと思います。
新約聖書128ページを開いてみたいと思います。
ルカ福音書の11章14節以下には、いわゆる「ベルゼブル論争」について記されています。イエス様が悪霊を追い出しておられると、ある人々は「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言いました。それに対して、イエス様はこう言われたのであります。「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」。イエス様は御自分が神の指で悪霊を追い出していると言われております。この神の指は、モーセとアロンを通して働いた神の指であります。その神の指がイエス様において働いているのです。イエス様の時代、他の人々も悪霊を追い出しておりました。それこそ、他の人々は秘術を用いて悪霊を追い出していたのです。しかし、イエス様は神の指によって悪霊を追い出していたのです。それゆえ、イエス様の悪霊追い出しは、神の国が人々の間に来ていることのしるしであったのです。
現代に生きる私たちは、神の指の働きをどこで見ることができるのでしょうか?それは、イエス・キリストが御言葉と聖霊によって御臨在してくださる教会においてであります。私たちは、イエス・キリストを通して働く神の力によって、あらゆる迷信から解放され、真理を知る者とされたのです。主によって心をやわらかなものとしていただき、イエス・キリストを信じる者たちとしていただいたのです。私たちが、イエス・キリストを信じて、神様を父と呼び、礼拝をささげていること、これこそ、神の指の働きであるのです。