モーセとアロン 2014年10月26日(日曜 夕方の礼拝)

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モーセとアロン

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
出エジプト記 6章10節~7章7節

聖句のアイコン聖書の言葉

6:10 主はモーセに仰せになった。
6:11 「エジプトの王ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を国から去らせるように説得しなさい。」
6:12 モーセは主に訴えた。「御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか。」
6:13 主はモーセとアロンに語って、イスラエルの人々とエジプトの王ファラオにかかわる命令を与えられた。それは、イスラエルの人々をエジプトの国から導き出せというものであった。
6:14 彼らの家系の長は次のとおりである。イスラエルの長男ルベンの子らは、ハノク、パル、ヘツロン、カルミで、これらがルベンの氏族である。
6:15 シメオンの子らは、エムエル、ヤミン、オハド、ヤキン、ツォハルおよびカナンの女から生まれたシャウルで、これらがシメオンの氏族である。
6:16 レビの子らの名は家系に従うと次のとおりである。ゲルション、ケハト、メラリ。レビの生涯は百三十七年であった。
6:17 ゲルションの子らは、氏族に従うと、リブニとシムイである。
6:18 ケハトの子らは、アムラム、イツハル、ヘブロン、ウジエルである。ケハトの生涯は百三十三年であった。
6:19 メラリの子らは、マフリとムシで、これらが家系に従ったレビの氏族である。
6:20 アムラムは叔母ヨケベドを妻に迎えた。彼女の産んだ子がアロンとモーセである。アムラムの生涯は百三十七年であった。
6:21 イツハルの子らは、コラ、ネフェグ、ジクリである。
6:22 ウジエルの子らは、ミシャエル、エルツァファン、シトリである。
6:23 アロンは、アミナダブの娘でナフションの姉妹であるエリシェバを妻に迎えた。彼女の産んだ子がナダブ、アビフ、エルアザル、イタマルである。
6:24 コラの子らは、アシル、エルカナ、アビアサフで、これらがコラ人の氏族である。
6:25 アロンの子エルアザルは、プティエルの娘の一人を妻に迎えた。彼女の産んだ子がピネハスである。以上が氏族ごとのレビ人の家長である。
6:26 主が、「イスラエルの人々を部隊ごとにエジプトの国から導き出せ」と命じられたのは、このアロンとモーセである。
6:27 そして、イスラエルの人々をエジプトから導き出すよう、エジプトの王ファラオの説得に当たったのも、このモーセとアロンである。
6:28 主がエジプトの国でモーセに語られたとき、
6:29 主はモーセに仰せになった。「わたしは主である。わたしがあなたに語ることをすべて、エジプトの王ファラオに語りなさい。」
6:30 しかし、モーセは主に言った。「御覧のとおり、わたしは唇に割礼のない者です。どうしてファラオがわたしの言うことを聞き入れましょうか。」
7:1 主はモーセに言われた。「見よ、わたしは、あなたをファラオに対しては神の代わりとし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。
7:2 わたしが命じるすべてのことをあなたが語れば、あなたの兄アロンが、イスラエルの人々を国から去らせるよう、ファラオに語るであろう。
7:3 しかし、わたしはファラオの心をかたくなにするので、わたしがエジプトの国でしるしや奇跡を繰り返したとしても、
7:4 ファラオはあなたたちの言うことを聞かない。わたしはエジプトに手を下し、大いなる審判によって、わたしの部隊、わたしの民イスラエルの人々をエジプトの国から導き出す。
7:5 わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」
7:6 モーセとアロンは、主が命じられたとおりに行った。
7:7 ファラオに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。 出エジプト記 6章10節~7章7節

原稿のアイコンメッセージ

 モーセとアロンは、主の御言葉に従って、エジプトの王ファラオのもとに行き、イスラエルの民をエジプトから去らせるようにと交渉しました。しかし、この最初の交渉は、イスラエルの民を苦しめる結果となってしまいました。ファラオはイスラエルの民を怠け者と決めつけ、れんが作りに必要なわらを自分たちで集めるように命じたのです。しかも、これまでと同じ量のれんがを作ることを求めたのです。モーセは、自分たちの交渉がこのような災いをもたらしたことにショックを受けて、主なる神に、「わたしを遣わされたのは一体なぜですか」と訴えました。そのようなモーセに、主は、イスラエルを約束の地へと導き出すことが、先祖アブラハム、イサク、ヤコブとの契約に基づくことを、その族長たちとの契約を、今まさに、共におられる生きて働く神、ヤハウェとして実行されることを告げられたのでありました。そのようにして、主は、指導者として召されたことに疑問を抱いていたモーセを励まされたのです。モーセはこの主の言葉を受けて、イスラエルの人々に語りましたが、彼らは厳しい重労働のために意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしませんでした。モーセは主の言葉のとおり、「わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える」と語ったのでありますが、重労働のために苦しむイスラエルの人々には、それは実現不可能な戯言のように思えたのです。今夕の御言葉は、その続きであります。

 主は、モーセに、「エジプトの王ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を国から去らせるよう説得しなさい」と命じます。けれども、モーセは主にこう訴えました。「御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか」。モーセは自分のことを「唇に割礼のないわたし」と言っていますが、これはモーセが口の重い者であることを表しています。モーセは、イスラエルの人々が自分の言うことを聞いてくれないことで、自分が口の重い者であることに改めて思い至ったようです。そのような自分の言うことを、エジプトの王ファラオが聞くはずが無いとモーセは言うのです。それに対して、主はこう言われました。「見よ、あなたをファラオに対しては神の代わりとし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。わたしが命じるすべてのことをあなたが語れば、あなたの兄アロンが、イスラエルの人々を国から去らせるよう、ファラオに語るであろう」。このことは、すでに4章に記されておりました。自分は口が重いので、他の人を見つけて遣わしてくださいと言うモーセに、主は怒りを発してこう言われました。「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている。その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている。あなたに会ったら、心から喜ぶであろう。彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい」。そして、この言葉のとおり、モーセはアロンと一緒に、ファラオのもとに出かけて行き、交渉に当たったのでありました。しかし、その結果は失敗でありました。モーセとアロンの交渉によって、イスラエルの人々はますます苦しめられることとなったのです。そのためでしょうか?モーセとアロンは、その後、別行動を取っていたようです。事実、6章9節を見ますと、イスラエルの人々に語ったのはアロンではなく、モーセでありました。しかし、主は、もう一度、兄アロンを通して、ファラオに語るようにと命じるのです。先程、引用した4章において、「彼(アロン)はあなた(モーセ)の口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる」と主は言われましたが、今夕の御言葉、7章1節では、「見よ、わたしはあなたをファラオに対しては神の代わりとし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる」と記されています。モーセはエジプトの王ファラオに対して神の代わりとなるのです。そのことは、モーセが神から権威を授けられた代理人、名代であることを表しています。主はモーセに全権を委ねられ、御自分の代わりとして、エジプトの王ファラオのもとに遣わすのです。このことは、これからモーセがファラオと交渉していくうえで、大切なことであります。初めての交渉において、モーセは、ファラオの権威に圧倒されてしまいました。5章4節を見ますと、エジプトの王はモーセとアロンに、お前たちも自分の労働に戻るがよいと命じております。それに対して、モーセとアロンがどうしたのかは記されておりません。しかし、おそらく、すごすごと立ち去ったのではないでしょうか?彼らは、エジプトの王ファラオの権威に圧倒されて立ち去ったのではないかと思うのです。しかし、そのようであってはならないわけです。なぜなら、主は、「わたしは、あなたをファラオに対して神の代わりと」すると言われるからです。モーセはエジプトの王ファラオに勝る神から全権を委ねられているのです。このことをしっかりとわきまえなければ、ファラオを説得し、イスラエルの人々をエジプトから去らせることはできないのです。モーセは、主からファラオに勝る権威を委ねられたのです。このことは、私たちがイエス・キリストの福音を語るときに忘れてはならないことでもあります。マタイ福音書の最後の所を見ますと、復活されたイエス様は、弟子たちにこう言われました。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。私たちは、天と地の一切の権能を授かっているイエス・キリストから遣わされている者たちであります。主と訳されるヤハウェという神様の御名前は、「わたしはある」という言葉に由来すると申しましたが、まさにイエス様は聖霊において私たちと共にいてくださるお方であるのです。それゆえ、私たちは、大胆にイエス・キリストの福音を語ることができるのです。しかし、このことを忘れるとき、私たちは、「だれがわたしの言うことなど聞くであろうか」と意気消沈してしまうのです。モーセには兄アロンが預言者として与えられましたが、私たちには説教者が預言者として与えられています。自分でイエス・キリストの福音をうまく伝えることができなくとも、教会にお誘いして、説教者の口を通して、伝えることができるのです。そして、その時も、私たちは大胆に人々を教会にお誘いすることができるのです。

 モーセとアロンは、ファラオに、「イスラエルの人々をエジプトの国から導き出せ」と命じるのですが、しかし、ファラオはその命令になかなか従おうとはしないことが予告されます。なぜなら、主御自身が、ファラオの心をかたくなにするからであります。それゆえ、ファラオがイスラエルの人々を去らせなくても、モーセとアロンは失望してはならないのです。主は、ファラオの心をかたくなにすることにより、しるしや奇跡を繰り返し行い、ついには、大いなる審判によって、御自分の民イスラエルをエジプトの国から導き出されるのです。そのようにして、主は御自分の栄光を現されるのであります。そして、そのとき、エジプト人は主を知るようになるのです。5節に、「わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる」とありますが、「わたしが主であることを知るようになる」とは、「わたしが、イスラエルの民と共にいる、生きて働く神であることを知るようになる」ということであります。エジプトの神々ではなく、イスラエルの神こそが、生きて働くまことの神であることをエジプト人は知るようになると言うのです。私たちに適用するならば、罪から贖われた私たちのささげる礼拝を通して、イエス・キリストが生きて働く神であることを人々が知るようになる、ということであります。

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